
障害を持って生まれることには、どんな意味があるのか。
このテーマを知りたいと願う方の多くは、ご自身が障害とともに生きている方か、お子さんやご家族に障害のある方だと思います。
だからこそ、最初にお伝えしておきたいことがあります。
障害は、過去の罪の報いではありません。
誰かが何かを間違えたせいでもありません。
この記事では、障害を持って生まれる理由をスピリチュアルにとらえながら、それを誰かの責任にすり替えないという一点を、何度でも確かめていきたいと思います。
障害を持って生まれる理由を、誰かの責任にしないために
スピリチュアルな世界観のなかには、前世のカルマという言葉が登場することがあります。
けれども私は、その言葉を罰や因果応報として読むことには、強い違和感を持っています。
魂が経験を積み重ねていく途上で、今回はこういう体で生きてみよう、と選ぶことがあるのです。
それは清算ではなく、挑戦だと私は受け止めています。
仕事で難しい案件をあえて引き受ける人がいるように、魂のなかにも、簡単ではない道を選ぶ人がいます。
そう考えるほうが、私には自然に思えます。
だから、障害を持って生まれたことは、ご本人の落ち度でもなければ、ご両親の育て方や妊娠中の何かのせいでもありません。
お母さんが自分を責める必要は、どこにもないのです。
もし今、自分のせいだという思いに苦しんでいるなら、その荷物は、もう降ろしていいと思います。
障害を持って生まれる理由をスピリチュアルにとらえるとき、いちばん大切なのは、それを誰かへの評価や責任にすり替えないことだと私は考えています。
選んだのは尊い勇気であって、誰のせいでもない。
この一点は、何度でもお伝えしておきたいのです。
魂はなぜ、不自由な体を選ぶことがあるのか
ある人は耳が不自由だったり、目が不自由だったり、手や足が不自由だったり、あるいは体のどこかに不自由な部分を持って生きることがあります。
それは生まれ持ってのものであることもあれば、その後の病気や事故によって起こることもあります。
何らかの障害を持って生まれてくる方が一定数いますが、そこにはどんな霊的な意味があるのでしょうか。
私は、そこに深い意味があると感じています。
人間は、すでに与えられている状況には感謝を忘れ、足らないところばかりを見つめて不満を述べる傾向があります。
健康で不自由なく体を動かして生きられることは、本当はとても得がたいことです。
けれど私たちは、その有り難さを忘れてしまいがちです。
不自由を持って生まれてこられた方が、そばにいてくださることで、私たちはあらためて、生きていることの重みに気づかされます。
不自由があるのは肉体を持って生きるこの世においてだけで、あの世に帰れば不自由はなくなる。
私は、そう受け止めています。
魂が選ぶ道は、ひとつではない
魂が障害を持って生まれてくる理由は、ひとつではありません。
前世からの課題に向き合うために、あえてこの体を選ぶ魂もいます。
それとは別に、人々に感謝を思い出させ、導きの光となるために生まれてくる魂もいます。
人を愛をもって導こうとする天使のような存在は実在していて、その中には、あえて障害を持って人として生まれてくる魂もいると私は考えています。
ヘレン・ケラーさんも、そうした存在の一人だったのではないかと感じています。
天使と子どもたちの言い伝え
ここで、私が心に留めている小さな物語をひとつご紹介させてください。
あの世の待機場で、天使が、これから地上に生まれる子どもたちを一堂に集めて言いました。
このなかで、他の人のために不自由な体で生まれる役割を選んでくれる子はいますか。
子どもたちは、地上に出たら友達とたくさん遊びたい、思い通りに生きたいと望んでいたので、みな目を伏せてしまいました。
うつむく仲間たちの姿を見て、ひとりの子どもが口を開きました。
他の人が不自由に生まれるのはかわいそうです、どうか私を選んでください。
そうして生まれてきたのが、障害を持つ方々なのだ。
そんな言い伝えがあります。
天国での約束は、生まれてくるときに忘れてしまいます。
それでも魂は、勇気と思いやりを携えて、この世にやってきます。
立場を入れ替えながら、私たちは学び合っている
今世では健康な体に生まれ合わせている人も、長い転生のどこかでは、障害とともに生きる経験をしています。
今回は健常者として、別の人生では役割を変えて。
魂は学びのために、その都度ちがう立場を引き受けていきます。
だから、健常か障害かという線引きは、永遠のものではありません。
私たちは、立場を入れ替えながら学び合う仲間なのだと思います。
「選んで生まれた」を、苦しみの否定に使わない
魂が学びのために自ら選んで生まれてくる。
このブログでは、そういう世界観で多くのことを書いてきました。
ただ、この言葉には注意が必要です。
選んで生まれたのだから大丈夫、つらくないはず。
そんなふうに、現実の苦労を打ち消す言葉として使ってしまうと、かえって人を傷つけます。
障害とともに生きる毎日には、はっきりとした大変さがあります。
眠れない夜があり、思うように伝わらないもどかしさがあり、周囲の視線に疲れる日もあります。
お子さんを育てる親御さんには、将来への不安が重くのしかかることもあるでしょう。
その大変さは、本物です。
魂が選んだ道だという話は、その苦労を軽くするための言葉ではありません。
むしろ、その苦労のなかにも意味の糸が通っている、と感じられるための言葉なのです。
たとえば、わが子の小さな成長に、人一倍深く胸を打たれること。
他人の弱さに、前より優しくなれたこと。
当たり前だと思っていた一日が、急に愛おしく見えること。
そうした変化は、平坦な道を歩いていたら出会えなかったものかもしれません。
苦労をなかったことにするのではなく、苦労ごと抱きしめて、その先に見えてくる景色があります。
私は、そう信じています。
障害のある方は、かわいそうな存在でも、劣った存在でもありません。
一人ひとりが、固有の物語を生きる、尊厳ある人です。
その人がそこにいてくれること自体に、もう意味があります。
何かができるから価値があるのではなく、生きていること、そのものが価値なのです。
発達障害のお子さんを持たれる方へ
発達障害のお子さんをどう育てたらよいか、何らかの障害を持つ方を家族として支える日々をどう過ごせばよいか。
読者の方から、そうしたテーマを取り上げてほしいというお声をいただきました。
ただ、具体的な育て方について私が助言をするのは、分を超えていると感じます。
その道の専門家や、もっと適切な立場の方に相談されるのがよいでしょう。
ここでは一言だけ、魂の観点からお話しさせてください。
障害や不自由な体を持って生まれてきた方は、きっと、自分が生きていることで親や周りの人を悲しませることを望んでいません。
自分がいることで両親が嘆く姿は、その方の魂にとって深い傷になってしまいます。
ですから、わずかでも喜びを見つけながら一緒に過ごせると、その方の魂にとってよいことだと私は感じています。
具体的な子育ての工夫については、同じ境遇の方が集まる場で情報を交わし、信頼できる助言者を見つけられるとよいと思います。
今日からできる、心を守る小さな一歩
意味を考えることは大切ですが、考えすぎて心がすり減ってしまっては元も子もありません。
スピリチュアルな視点は、日々の暮らしを支えるためにあります。
ここでは難しい理屈は脇に置いて、今日からできる小さなことを三つ挙げてみます。
一日の終わりに、よかったことを一つ思い出す
笑ってくれた、ごはんを食べてくれた、それくらい小さなことでかまいません。
うまくいかなかったことは、いったん横に置いておきます。
喜びに目を向ける習慣は、ご本人の魂にも、育てる方の心にも、やわらかい栄養になります。
自分を責める言葉に気づいたら、いったん止める
私のせい、という声が出てきたら、それは事実ではなく疲れのサインだと考えてください。
そういう日は、頑張ることより休むことを優先していいのです。
一人で抱えない
同じ境遇の親御さんの集まり、地域の支援、信頼できる専門家。
頼れる先につながることは、弱さではなく、賢さです。
魂が選んだ道だとしても、その道を一人きりで歩く必要はまったくありません。
支え合うこともまた、この人生で経験するために選んできたことの一つなのですから。
よくある質問
障害は前世のカルマや罰なのですか
私は、罰ではないと考えています。
魂が経験を積むなかで選んだ挑戦の一つであって、過去の過ちへの清算ではありません。
カルマという言葉を、誰かを責める道具として使うことに、私は反対です。
ご本人にも、ご家族にも、落ち度はありません。
親の私のせいで、子どもが障害を持って生まれたのでしょうか
いいえ、違います。
障害を持って生まれることは、親の育て方や妊娠中の何かのせいではありません。
魂は生まれる前に、その人生のかたちを承知のうえでやってきます。
自分を責める気持ちが湧いたら、それは深く愛している証であって、罪の証ではないと受け取ってください。
「選んで生まれた」と言われても、今がつらいです
つらいと感じることは、自然なことです。
選んで生まれたという話は、その苦労を否定するものではありません。
苦しい日は、無理に意味を見つけようとしなくて大丈夫です。
まず休んで、心が少し落ち着いてから、ゆっくり考えれば十分です。
障害のある本人として、生きる意味を見いだせません
何かを成し遂げられるかどうかで、人の価値は決まりません。
あなたがそこに在ること、そのものに意味があります。
あなたの存在は、出会う人の心にしか生まれない優しさを、確かに育てています。
焦らず、自分のペースで、今日を一つ生きていく。
それだけで、もう十分に尊いのです。
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