古代エジプトではオリオンの三ツ星を神聖視していました
そしてエジプトの三大ピラミッドはこのオリオンの三ツ星を地上に模したものではないかと言われています
R、ボーヴァル「オリオン ミステリー」
また古代遺跡や宗教施設が奇妙にある直線上に並んであることからレイラインという地表にエネルギーの流れがあり、そのスポットに建てられたのではないかと考えられました
中国では風水などで竜脈と呼ばれる同じく目に見えないエネルギーの流れを言っています
日本でも酒井勝軍などがピラミッド研究をして半人工の山を見つけて日本のピラミッドと呼びました
この日本でも古代遺跡や古墳などが、ある規則的な配置にあると気付いた人もいます
有名なところでは北緯34度32分の太陽の道といわれるものがあります
またA、ギルバートは「マギ 星の証言」でフランスのゴシック様式大聖堂と乙女座との相関を発見しています
宮沢賢治研究家の畑山博さんは宮沢賢治が手帳に記した経埋ムベキ山として三十二の山を線で引くと星座になると仮説をたてました
北上川を天の河に見立て、白鳥座・わし座・たて座・射手座の形になり、銀河鉄道の通った跡になると言われました
賢治は何故埋経を考えたのか?
一般には後世へ仏の教えを残すため埋経がされるそうですが、賢治は一種のエネルギーを山に感じ、場を浄化し調和をもたらそうと考えたのではないでしょうか
天体の天と、大地の山を対照させ、天地を繋ぎかの地の加護を得ようとしたのかもしれません
(wikipedia 経埋ムベキ山より)
宇宙からの加護とは何か?
それは惑星や恒星のエネルギーというよりも、宇宙の兄弟たち、宇宙人による支援を得るための儀式のようなものです
世界各地にある、星座を模した建造物の配置は、その星座の方向にすむ宇宙人との交流の印であり、支援をうけるための方法として残したのだったのです
宮沢賢治もそうしたことを知っていたのではないか?
彼も宇宙の兄弟たちの存在を感知していたのでしょう
なぜなら彼も、宇宙から地球に飛来してきた魂ですから
私という現象
以下は、私の駄文
その昔…名前など無かったころ
瞬きすれば太陽は雲から顔を出し
呼吸は風となって大地を巡り
吐息をつくと、霧が街を覆いました
心臓の鼓動は波をつくり岸辺を清め
眠りにつくと、夜空に月が顔をだします
忘却のしじまから瞳を開けると、世界は万華鏡のようにきらびやかに現われ意識を魅了します
新鮮な体験に魅入られて、世界に対峙する時
世界を観察し体験している主体である私という現象を知ります
自我は私の前に現われる物を分析し分類し分けていき名前という記号を対象に貼り付けていきます
世界を粉々に砕き、次々と分離させて世界の仕組みを知ろうとします
やがてかつての新鮮さも薄れ、万華鏡の中身がただの紙屑と知った時のように世界は色褪せて感じます
すべてを分ける知は、ますます自己を世界と切り離し
言葉という不確かな記号は、他人との繋がりを見失わせ
「私」を誰もいない、何もない、暗闇の世界へと置き去りにします
やがて「私」は、闇の中で自らの光を見つめ
そして私という現象がひかりはたもち、その電灯は失はれゆく存在だと知り
その現象の奥に流れる大河がすべてのものの奥にも流れ、すべてが繋がっていることを思いだします
宮沢賢治さんからのお手紙

宮沢賢治が病床から、ある生徒に宛てた手紙を、
以下に紹介させていただきます
「風のなかを自由にあるけるとか、
はっきりした声で何時間も話ができるとか、
じぶんの兄弟のために何円かを手伝えるとかいうようなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。
どうか今のご生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、しっかり落ちついて、
一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、
苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きましょう」
普段、当たり前にできていることが、どれだけ奇跡的な事なのか、教えてくれる文章ですね
私たちはいろいろな不満を持ってしまいますけど、与えられている事のありがたさと、奇跡的な出来事に鈍感となり、気づかなくなっているからなのでしょう


新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』