2019年7月25日木曜日

何の為に生まれたか知る方法と世界がアセンションするために

この世に生まれてきた理由を知りたいという質問もいただいていますので、今日はこの件について書いてみます

私たちは何故この世に生まれてきたのか?その理由については全般的な理由と、個別的な理由に大きく言えば分かれるでしょう

全般的な理由というのは、人間全員に共通するもので、個別的な理由とは、その人個人の問題としての理由です

全般的な理由につきましては、このブログのスピリチュアルメッセージで何度も降ろされている内容ではあります

つまりはこの世に生まれてくるのは魂を向上させて、神仏の元へと戻っていくためであり、進化・向上を目的としたもの

魂が向上するためには、摩擦や抵抗が必要であり、この世に様々な試練と思える出来事が現れるのも、魂を向上させるための舞台設定だからです

そしてこの世には闇や苦しみや不幸が存在しますけど、私たちの本質は光であり、神仏より分かれ出た魂であるわけですが、それらの闇という自分の本質と反するものを経験することで、光とは何か?魂とは?自分の本質とは何かを知ることが出来るのです

つまり自分ではないもの・本来の光の性質とは違う出来事を体験することで、自身の本質を自覚するために生まれてきています

三つ目としては、この世に光をもたらすために生まれてきたということです

私たちは生きているうちに様々なものを頂いて生かされています

太陽の光や水や空気、そして子供から社会人になるまで両親などに育てられてきます

社会人になっても、様々な人の見えない支えによって私たちは快適に暮らせているわけです

例えば冬に私たちが凍死せずにいられるのも、暖房を開発した人がいて、それを販売する人がおり、さらに動かすための電力を供給するひとの働きがあります

火力発電なら、中東などから石油かガスを採掘する人がいて、それを日本に届ける人、有害物質を除去する人、備蓄するひと、様々な人の繋がりの中で、生かされています

普段は気づかずに生活していますけど、私たちは様々な人々から分け与えられて生きています

生まれてから死ぬまでの与えられてきた愛の量というものがあるでしょう

それに対して、私たちが世の中に与えてきた愛の量もあります

私たちが与えられてきた愛と、与えてきた愛の量を比べて、どちらが多いかが、あの世では量られます

あの世で天国地獄が分かれていて、そのどちらかに行くのを決めるのが、生まれてきて与えられた愛の量と、与えてきた愛の量の差となっていきます

もしも与えた量よりも、与えられた量のほうが多いのであれば、その人はマイナスの人生を生きていたこととなり、あの世では厳しい世界に生きられることでしょう

もしも世の中に多くの愛を与えてきて生きた人であれば、愛のあふれる世界へと帰られるでしょう

この世が良くなっていくのか、アセンションしていくのかは、愛の量が増えていくか減っていくかによって分かれるのです

生まれてきて愛をもらうばかりの人が増えたなら、世界に出回っている愛の量は減っていきますので、この世はだんだん暗く厳しい世界になっていきます

もらうよりも多くの愛を世の中に放つ人のほうが増えたなら、この世はアセンションしていくのです

このように、私たちはこの世に生まれてきたのは、より多くの光=愛を、地上に届けるためであります

そして私たちが生まれる前よりも、生まれた後のほうが良い世の中となるために、努力していくことを願って生まれてきました

主に全般的な理由としては上記の三点があげられるかと思います

次に個別的な理由について書いてみます

一つはカルマの刈り取りの意味があるでしょう

前世で行ったカルマの刈り取りとして、現在の環境に生まれてきます

どのようなカルマを背負って生まれてきたかは、人生でどのような試練や出来事と遭遇したかを考えてみるとよいでしょう

そうすると自分の魂の傾向性と、人生の課題が見えてくるでしょう

まだ若い方であれば、今は見えなくとも、いずれ見えてくると思います

他にはその人の使命としての理由があるでしょう

何のための生まれてきたのか?と聞く人は、この使命のことを言っている人が多いのかもしれません

その人個人の使命は何かを知るには、その方が何に関心を持っているかを考えてみるのがよいでしょう

他人よりも洋服のデザインや着こなしに関心が高いのであれば、そうした洋服などを通して美を世の中に伝えるという使命があるのかもしれません

そのようにその人自身の深い関心が、その人の使命を知る術となるでしょう

人によっては若いころから才能を発揮して使命に生きられる方もいらっしゃいますが、なかには晩年になってからお役目が出てくることがありますので、そこは人間心では測れないので、御心に委ねるしかないでしょう

それと、あまり自分の使命使命と必死になっている人には、自分が大きな使命を持っていると思いたいという自我の疼きの場合があります

日常の小さなことに関心を向け当たりたくないために、大きな漠然とした使命のようなものに思いをはせてしまう場合があるのです

そうした場合は地に足を付けた、日常の家族や仕事での使命というか役割をしっかり果たす方向に目を向けるべきでしょう

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8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

水戸黄門の世界ですね。苦を知ってこそ、楽と感じる。地球には苛酷な環境の中に生まれた方もいます。今回の大雪の断水で多くの方が水の有りがたさを感じられた事でしょう。それでも恵まれた環境の中にいます。文明が発達すると、人としての直観や感性がマヒするので、大変ですが神様からの神事と受けとりました。
不自由しない生活というのは人を思いやるとか、生まれた役目さえも忘れさせる、こわい事です。

さくら さんのコメント...

洪さんはじめまして。
さくらと申します。
いつも楽しみに読ませていただいています。

私はあるときを境に、天のことや自分の前世を思い出しました。
自分の中に魂が2つあるように思います。
1つ目は業の深い魂で、2つ目は天の魂です。
今世は、カルマの刈り取りであり癒しである感じがしています。

ターコイズの指輪 さんのコメント...

全ての出来事に感謝の気持ちを忘れてはならないと改めて気づかされました。
ありがとうございます!!

匿名 さんのコメント...

洪さんはじめまして。
18歳のマリア(仮名)と言います。


私は何のために人間として生まれてきたのだろうかと物心ついた時から思っていました。そして、なぜか、人間の皮を被ってできるだけ人間と同じように、周りに人間でないとバレないように生きていこうと思っているのです。自分は、人間と呼ばれる者として生まれてきたけど、この肉体にずっと違和感があったのです。私は自分の躯を入れ物だと思っていて、自分の顔や声や体を自分だと未だにまだ思えないのです。もともと家庭環境に問題があり精神的な問題なのかとも考えましたが、なぜかそのせいだとも思わず、私がこのように思っているのは前世のせいだと決めつけているところがありました。
もともと愛や美に深く通づるところがありました。しかし、私は恋愛的に人間を愛することができないのです。興味を抱く人間はいても、その人間と恋人になりたいや、人間の愛的行為をしたいとは思わないのです。
人間から愛されても、それを虚しいと思うのです。だって、私はあなた個人を愛しているのではなく、人類全体を愛しているのですから。
一人の人間としてあなたを愛をあげることなど私には許されていないのです。
そこに不平というものが生まれるから。
ただ、人類を慈しむことはできるのです。悲哀を感じている人間がいたら、それは、雨の日に捨てられている仔犬と同じように私には見えるのです。
だから、その人間が悲しいと思っているのなら、そのそばに寄り添って同じ気持ちを共有し、その人の全てを理解してあげたいと思うのです。
その人が、楽しいのなら同じように笑い、同じように楽しんで気持ちの共有をはかる。
どんな悪い人間でも良い人間でも、それがその人のアイデンティティであり全てを受容し、包括し、認めることが私にはできるのです。
人間の欲望、嫉妬や傲慢、支配欲、禁欲、怒りなどの感情を美しいものだと私は思わないのですが、それが人間であり、それがあるが故にまた愛おしいとも思える。
人間を非難する人間がいて愚痴を聞いている時も、「それが人間という生き物だからしょうがないよ」と心の中では思っています。
愛とはなんなのか、それを人間に伝えることが私の使命なのだと、それが私の生きる理由だと思って今は生きています。なぜかしら、美的意識が強く、「それは美しくない、がそれ故に愛おしい」という思考がなぜかあります。
調和を愛し、喧嘩や戦争を美しいとは思わないのですが、人間はそういう生き物であり、調和があるから不調がこの地球にはあるのだとも受け止めています。
昔から、本が嫌いでした。なぜか本が読めないのです。哲学系は好きなのですが、所詮人間が作ったものを読んでも真理には辿りつけないと思うから途中で読むのをやめてしまうのです。
しかし、聖書やギリシャ神話、星の物語などはとても興味を惹かれます。
人間とは何のために生まれ、何の意味を持って生まれてくるのか。その真理を私は求めています。
とある本に、人間は愛と革命のために生まれてくるのだというのを見つけ、それが一番真理に近いものではないのかと思っています。
しかし、私は恋愛的に人間を愛することはできないし、革命を起こす力を持っている人間の躯でもないので、私は人間ではないのだとなぜかそこに辿りついてしまったことが、またなんとも不思議でした。
一番、好きな本、唯一、文学として最後まで読めるのは太宰治の人間失格です。
私は人間に溶け込んで生きているつもりなのですが、周りの人間からは変人や、宇宙人などと呼ばれます。別に嫌な気持ちはせず、しっくりさえ来るので気にもしないのですが。
私は自分という人間のためには生きられぬ人間なので、今は人間の気持ちに寄り添い、悲しみや苦悩を共有し、愛の大切さを伝えながら生きようと思っています。
しかし、無償に虚しくなる時があるのです。
自分は人間ではなく、この場所に本来いるべき存在ではないのだと思うとなぜだか涙がでてきて、早くこの世界から離れたいとさえ思うのです。
だって、私の体も名前も、親も本来は違うものだと思うからです。
こんなことを話しても、人間には理解してもらえない、私の本当の存在を認めてもらえないと思うからです。
私のいる場所に違和感を覚え、日本を旅行などしてみましたが、飛行機を降りた瞬間「あ、ここも違う」と思ってしまったり、もう自分のいるべき場所は地球にはないとさえ思っていますので、海外への旅行も考えていません。
私がいるべき場所はどこなのか、私は本来何者なのか、私は何の使命を持って生まれてきたのか、
それがとても知りたいのです。






匿名 さんのコメント...

死ぬ間際に、全ての事に合点がいくより、元気に生きてる真っ最中の今こそ、人生の本当の意味に気づき、自己嫌悪に陥りながらもより良い人間になるべく、人生の上書き保存していきたいです。

トタン山 さんのコメント...

こんばんは。自分なりにも考えたに過ぎないだけの内容なのですが

少なくとも、【質素なうれしさの味わい『合い』♡♡】を、して行ければ、いいですよね

国境もメダルも勲章もプライドも誇りも所有権も肉食も教祖も〇〇道(習い事の否定ではありません)も棟梁も〇〇家もヒーローもスターもキリないゲーム売りも(ゲーム販売の否定ではありません)もう要らないかもしりません。
ドヤ顔意識がナンセンスであって

サーカス団や質素遊園地や芸能、リニアモーターカー地球線や極超高耐久トレーラーハウスや、極超長期保存可能穀物クッキーと極超高耐久シュラフテントの地球の隅々に置かれている無人無料配布ステーションや、先輩後輩における自らの想像創作作業等などがあれば良いのだと思います 笑

それには、人だけでは成立して行かず、少なくとも地球上の人に於いてはベジタリアンでないと、カルマ的に完全には成立して行かない様にも、何となく思いますが・・・・考え過ぎなのかも?
少なくとも宇宙からのテコ入れは、無くならないのかも (自分はベジタリアンではありませんが)

トタン山 さんのコメント...

こんばんは。自分なりにも考えたに過ぎないだけの内容なのですが

少なくとも、【質素なうれしさの味わい『合い』♡♡】を、して行ければ、いいですよね

国境もメダルも勲章もプライドも誇りも所有権も肉食も教祖も〇〇道(習い事の否定ではありません)も棟梁も〇〇家もヒーローもスターもキリないゲーム売りも(ゲーム販売の否定ではありません)もう要らないかもしりません。
ドヤ顔意識がナンセンスであって

サーカス団や質素遊園地や芸能、リニアモーターカー地球線や極超高耐久トレーラーハウスや、極超長期保存可能穀物クッキーと極超高耐久シュラフテントの地球の隅々に置かれている無人無料配布ステーションや、先輩後輩における自らの想像創作作業等などがあれば良いのだと思います 笑

それには、人だけでは成立して行かず、少なくとも地球上の人に於いてはベジタリアンでないと、カルマ的に完全には成立して行かない様にも、何となく思いますが・・・・考え過ぎなのかも?
少なくとも宇宙からのテコ入れは、無くならないのかも (自分はベジタリアンではありませんが)

ゆるふわ。 さんのコメント...

そもそも初めは何もなかったところに、宇宙や星々や動植物や魂を創った創造主は愛そのものでした。
だから魂も愛そのもので、お互いに満たされていました。

でも、自分中心のエゴが魂にくっつき始めてから、創造主のことも自分が愛である魂なことも忘れて、エゴで生きるようになりました。
そのため、もはや創造主のところへ帰れなくなりました。

でも、優しい創造主は地球などの星を用意して、人間という肉体も用意して、魂たちの周りについたエゴを落とすための舞台と機会を与えてくれました。

そのために何万回も生まれ変わっているのですが、そのことを忘れてエゴで生きるため、もはや生まれ変わりの終わるメドがなかなか立たないというのが現状です。

でも、人のエゴに痛めつけられているこの星がいつまでもつのかわかりませんので、1人でも多く・1日も早くエゴを落として魂をキレイに戻し、創造主のところへ・創造主の手足となる人たちが住む星へと帰らねばなりません。

そのためにも洪さんのメッセージはとても大切なものになりますし、1人でも多くの方々が読まれて理解されますことを心から祈ります٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。