2018年6月11日月曜日

自分がどんな人間かを知る方法|魂のサインの見つけ方


自分がどんな人間かを知る方法



自分とはどのような人間であるかと考えることもあるでしょう

それが分からなくて悩む人もいます

その人がどのような人物であるかを知るには、その人が一日のうちにどのような思いを抱いたかによって分かります

あなたが一日の内に思っていることその物が、あなたとはどんな人物であるかを現しています

あなたは今日一日をどのような思いで生きたでしょうか

ほとんどの人は、自分が一日になにを思い、何を考えていたのか、分からないという人が多いでしょう

ほとんどの人は、ただ何となく思いを垂れ流していっていることが普通です

自分が今日はどのような思いを抱いて生活していたのか、何を考えて一日を送ったかを振り返って生きている人は、それだけで普通とは違うものを持った人でしょう

一日の思いの大半が、起こった出来事に反応するだけの感情的な生き方であれば、平凡な生き方といえます

たとえば、朝に満員電車に乗って押しつぶされて不快な思いになった、会社の上司に怒られて嫌な気分になり、心の中では上司や会社の不満が浮いてばかりいた、お昼には老い吸うものが食べれて嬉しかった、夜は残業になて夜遅くに帰って辛かった、そして帰ってから予約していたお気に入りのドラマを見て楽しかった

そうした日常的な思いばかり浮かんで日々過ごしている人は、普通の人物でしょう

もし一日のなかで、どうすれば人の役に立てるだろうか、何をすれば人々が楽に暮らせて、幸せになれるだろうかと、考えている人は、非凡な人となっていくでしょう

天使界から生まれた人物とはそのような人で、自分の事よりも人の事を考えているようにな方々です

西洋的には菩薩とも呼ばれます

逆に、一日のうちの大半が、他人や世の中への不平不満で満ちている人や、本能的な欲ばかり考えている人は、マイナスの生き方をしている人となります

そのように、自分がどのような人物かを知りたければ、日々にどのような思いを抱いているかを振り返ってみるとよいでしょう




自分を知る旅 魂のサインを見つける事



人は本来の世界での記憶を無くして、この世へと旅立ってきます

自分の事も、世界の真実も忘却して、手探りでこの世に出てくるのです

この世に生まれてくるとは、とても怖いことでしょう

まるで目隠しされたまま、崖の上から落とされる感覚に近いかもしれません

そして何も知らない、真っ新な状態から、自分を知る旅に出かけるのです

この世の人生とは、自分自身を探し求める旅のようなものです

ただ自分だけ在ったら、自分自身の事は分からないものです

自分とは違う他人がいてこそ、自分とは何なのかが浮き彫りになってくるのです

この世で出会う人は、気が合う人や、好きな人ばかりでは無いでしょう

会うのが嫌な人、憎らしい人との出会いも経験いたします

そうした自分とは価値観の違う人と出会いを通してこそ、自分とは何者なのか?真実の自己は何なのかを学んでいけます

昨日も述べましたように、この世には霊的な真実を受け入れられない人も多いでしょう

また霊的な事に関心のある人でも、間違った真理を信じている人も多くいます

そうした人々がいて、真実ではない価値観に生きている人がいてこそ、あなた自身の魂の出自がわかるのです

このブログの読者には、真実のメッセージに触れると、感動する自分がいるでしょう

安易な欲を叶えるだけのスピリチュアルでは、満足できない自分がいるでしょう

単に物質的に満たされるだけでは満足できずに、より崇高なもの、真理を求めてやまない自分がいることを自覚するでしょう

そうした人は、光の使者と呼ばれる魂の者です

この世的価値観に染まっている周囲の人とは、なかなか価値観や考えが合わずにいることも多いでしょう

自分自身が何者か分からずに悩んでいる人もいるでしょう

何のために生まれたか、何の役割があるのか、考えこむこともあるでしょう

そうした探求心を持ち、魂の疼きを感じるという事こそが、目覚めのためのサインなのです

魂のサインがあるからこそ、真実へとたどり着く力となっていきます



人生は自分を知る旅



私たちがこの世に生まれて生きていく人生は、自分自身を知るための旅だと言えます

自分とは異なる性格の人と出会い、戸惑うこともあるでしょう

色々な価値観を持った人と出会い、違う性格の人と交流することで、自分とは何か?自分自身が何者であるかを知っていくことができます

様々な人たちにもまれながら、人は人生の航海を続けます

嫌だと思う人との出会いもあるでしょう

苦手な人と付き合わなくてはならない時もあるでしょう

自分と違うタイプの両親や兄弟のもとに育てられたり、苦手な人と仕事をしなくてはならなかったりします

自分の事を理解してもらえない人の中に生きなくてはならない時期もあるでしょう

褒められることもなく、意見が対立し、険悪な関係になることもあります

自分はよかれと思ってしていても、誤解され、批判や非難を浴びてしまうこともあります

そうした事なる思いや考えの人たちの中にいる事で、自分自身が磨かれて現れ出てくるのです

ダイヤの原石は、そのままであれば普通の石のように見えますが、磨かれていくことで、本来の輝きが現れてきます

様々な違いのある人々の群れの中にあることで、摩擦が起き、苦しみも生まれますが、自分自身も磨かれて、本来の輝きを出現させることが出来ます

その時に、人を恨んだり、悪口ばかり言ってしまうと、本来の輝きは失われ、曇って光を失います

不平不満で心をいっぱいにしたなら、その汚れでダイヤは見えなくなります

生きているうちに、そうしたネガティブな思いを抱いてしまうのは、致し方ないものでありますから、時々振り返って、汚れを落として磨かなくてはいけないでしょう

過ちや至らなさを素直に認め、悔い改めてよきものとなっていこうとするならば、本来の輝きを取り戻して、美しく生きていくことが出来るでしょう



自分を探す旅 なぜ個性ある存在が生まれたのか



人生は自分自身を、探す旅のようなものです

様々な経験を経て、色々な人々に出会い、自分とは何かを知っていきます

その中で、自分の思い通りにいかないこと、自分とは違う、価値観や考え方をする人々に出会います

自分と違う人を見て、どうしてそう考えるのだと、憤りや、怒りを感じたりするでしょう

ですが、自分の思い通りにならず、自分と違う考えの人がいるからこそ、自分とは何か?自らの特性や個性を知るようになるのです

もしも、同じような考えを持つものばかりであれば、自分というものは不要となっていくのではないでしょうか

それぞれの人が個性を持ち、特色を持っているからこそ、存在意義があり、全体から分離して生きているのです

どうして創造主は、様々なる個性ある世界を、お創りになったのでしょう?

それは、創造された存在を愛しているからだといえます

もしも、個性ある存在を愛していないならば、千差万別な世界は存在することなかったでしょう

主に愛の思いがあるがゆえに、世界は作られたのだといえます

様々なる個性が存在することで、争いや対立が生まれ、苦しみや悲しみも生まれてきました

ですが、そうした悲しみを超えて、愛の思いが強かったからこそ、世界は創造されています

存在の根源に愛の思いがあるからこそ、人は教えられなくとも、愛の重要性、価値を知っています

それは魂に刻まれた、主によって作られた印でもあります


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1 件のコメント:

  1. 「自分がどういう人間か」というのは、他者に対してどういう行動を取るか、取れるかだと思っていました。

    「明るい」人は誰にでも笑顔で接することができるし、「内気な」人は乱暴な人に臆病になって自分を出せなかったりします。

    だから常に反省するのは、自分が理想とする行動を取れるかであって
    「何を考えたか」は全く省みてなかったのですが、実際はそちらの方が重要だったのですね。

    意識してみると、自分の利益ばかり考えていたり、人に不満を抱いたりで、ろくなものじゃありませんでした。

    とてもいい視点を教わった気がします。ありがとうございました。

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