2020年2月23日日曜日

人に与えられた最大の幸せとは?


人は神の姿に似せて創造されたと言われています

その最大の理由は、人間が持つ自由度の高さではないでしょうか


神は思いによって世界を創造されたといわれますが、人は同じく創造の自由と行動の自由を持ち、様々なものを作り出し、行動しています

この自由こそ、人にとって最大の幸せであろうと思えます

動物たちは自由に行動しているように見えても、その多くは本能に規定されて生きています

人間も本能を持ってはいますが、本能のままに生きることも出来れば、より崇高なもののために生きようと選択する自由も与えられています

動物たちは古代からずっと同じ生き方を続けておりますが、人間は生活に創意工夫を凝らし、先人たちの知恵を生かして、文明を築いていく事も出来ます

人間がどれだけ物事について考えを深め、理解する範囲が広くなるだけ、自由さは広がっていきます

まったく認識の範囲外にあるものについては、誰もそれを自由には動かせません

対象を認識し、理解する事によって、それをどうするべきか、選択の自由が生まれてきます

そのように人間は意識する範囲の広さだけ、自由度を持ち合わせています

国家によっては、個人の自由を抑圧する社会を作り出しておりますが、それは人間に与えられた最大の幸せを奪うことに繋がるものでしょう

かつての時代であれば、身分制度が確立され、武士の家系に生まれれば、子は武士になりますし、農家に生まれれば、子は農家を継ぐしか選択肢がありませんでした

また、結婚相手を決められたり、交友関係も、同じ身分でなければならない時代もありました

そうした過去の歴史から見ると、現代の日本人は大きな自由を手にしていると言えます

しかし、ひとはすでに手にしている幸せには目が行かず、足らざるもののみに目が向かうため、現在の置かれている立場が、どれほど有り難いか、その感謝を忘れがちではないでしょうか

自由と対をなすものとして、平等という概念があります

人々が平等に暮らし、誰もその輪からはみ出さず、突出しているものも、落ちこぼれるものもない社会です

それは一見理想的に見えますが、社会全体で適応させようとすると、個人の自由を抑圧する社会となってしまいます

弱者救済とか平等な社会というスローガンは聞こえはよいですが、それが結果的に個人の自由を抑圧する方向へ進んでいかないかを注意しなくてはいけません

かつてのベルリンの壁の崩壊や、中東で興ったアラブの春も、人々が自由を求め、自由こそ人の幸せの根幹であることを示しているのでしょう

自由と言うのも、そのように尊いものですが、各自が自由に行動していくにつれ他の人との衝突というのがおこります

利害の不一致とも言えます

そこで社会では、一定のルールを作って、この範囲では人は自由に行動してよいのだと決めているわけです

集団で生きる人間同士が、お互いに相手を害さないで生きるための約束です

それが法律であったり、慣習であったります

自由にはその結果に対する責任がともなうのです

人はどうしても自分勝手な判断をしがちであるため、時には人を傷つけ、害してしまうことがあります

そうした時に、自らを省みて、悔い改めていく必要があります

人は自由に行動して、自由に物事を考えるのですが、その時に、他人を害する思いや行為をなしたときには、軌道修正をしていく必要が出てくるのです

人は自由を与えられたと同時に、悔い改め、反省して、自らの軌道修正を求められる存在でもあります

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10 件のコメント:

  1. それは私達へと、ご自分の事も含めてのメッセージですか?

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  2. 今の日本は、昔の時代に比べれば平等で自由ですね。
    便利で物質的に豊かでも、それが当たり前になると、個人が窮屈に感じたり、幸せを感じにくいのかもしれません。
    自分の選択、行動に責任を持ち、自省する気持ちが大切なのですね。

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  3. ターコイズの指輪2015年9月11日 5:40

    感謝と反省を忘れてはいけないと痛感致しました。

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  4. ねるとなあじゅ2015年9月11日 16:48

    士農工商は今は教えてない。身分制はあったが、上下関係ではなかった。

    ねずさんのひとりごと
    シラス国と士農工商
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2519.html

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  5. ainu neno an ainu2015年9月11日 19:13

    いつもありがとうございます☆

    「自由」って何か?
    長男の嫁の私は、ずっと考えてました。

    自由とは自分の蒔いた種を
    自分で刈り取る覚悟と責任
    だと身をもって感じていた所です。

    後悔してもいいんだよな…。
    私の心の中心は自由を求めて
    時々苦しくなります。

    自分が欲したことを、
    自分が選択して
    それを実感するために
    私は生まれてきたのだと心が叫んでいるように思います。

    そのために家族を苦しめてしまったら…
    それは一人よがり?
    葛藤から抜け出せません。
    そんな時には、何を基準に考えたらいいのか。
    洪さんは、何を基準にされてますか?

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  6. おっしゃられる通りだと思います。
    私はとても幸せです。

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  7. いつもありがとうございます!
    私は、幸せです!一人、一人が当たり前だった事を幸せに感じれたら、不平不満も減り、世界が幸せに向かっていけると思いました!

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  8. 本当にその通りですね。
    昔と比べて、なんと自由で豊かになったことか。
    今生きられているのは先人の努力に他ありませんね。
    本当に感謝です。

    そして、どの様な未来のために、何を選択をするかは、自由という形で今の私達の手に委ねられていますね。

    先人の知恵を駆使し、反省して改善することでスパイラルしながら進化していけたらと思います。

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  9. 動物は本能に規定され同じことをくりかえして生きているかもしれないが、自分が不自由で不幸であるとは思っていないようにみえる。人間のもつ、劣等感や嫉妬、他者への批判、悪意、憎しみ、高慢、自己嫌悪、などの負の感情からも自由にみえる。自殺することもないだろう。感謝や反省、信仰心、努力精進を求められることもない(たぶん)。主義主張や難しい理屈をこねまわすこともなく、自分の生に疑問を持つこともなく、淡々と自分のおかれてた場で本能にもとづいて生き、寿命がきたら死んでいく、シンプルな生きかた。「不幸になる自由」まで人間に与えられていることは幸せで感謝すべきことなのだろうか。それを砥石として魂の修行や向上を実現させることを求められているのかもしれないが。永遠に続くロールプレイングゲームに強制参加させられているようで気が重くなる。

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  10. あなたたち人間は、神に似せて創られました。
    それは意思を持つこと、そしてその意思を実際に行動に移せるということです。
    それは言い換えれば、考えたことを現実化できるということです。

    でも、行動には責任が伴います。
    つまり、動いたことによる結果も引き受けなければならない(蒔いた種は刈り取らねばならない)ということで、それが神の定めた法則です。

    すると、(あたたかな思いやりで生きていた魂の中に現れ始めた)自分最優先のエゴを持つ魂たちは、責任を取るのが嫌になりました。
    誰かの言う通りにしていれば、失敗しても人のせいにできるからです。
    だから、自分に都合の良いときだけ自由に動き、都合の悪いときは考える自由を放棄して言いなりになったりします。

    でも本当の自由とは、(結果にきちんと責任を持つことを前提として)自由に考えて動くということ。
    そして何より、自分だけでなくみんなも笑顔に・楽しくなれるようなことを目的に、自由に考えて動くことなのです(それなら結果は楽しくなるに決まっているからです…そのためにわさわざ神はその法則を定めたのですから)。

    エゴに負ける魂を前提にしていなかった神は、「みんなが楽しめる・幸せになることを考えて動く魂たち」の喜びが倍増するように法則を定められたのです…あなたたちを苦しめるためではありません!

    だからこそ、自分で自分を苦しめることになるエゴから1日も早く離れて、本当の安心に包まれる幸せな日々を体感していただけたらと願うばかりです。

    (イエスさんより)

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