人は何故また地上にて生を受けるのでしょうか。
すべての記憶を消して、愛する者たちとの経験も、見守るものの存在も忘れ、新たに生まれ変わって、人はまた前世にて愛し合い、天上界にてなか睦まじく暮らしていた者たちと出会い、互いに引き寄せあい、愛し合う体験を積みます。
もし生まれる前の記憶あり、覚えているなら、新たな出会いの感動は無いでしょう。
さらに、天上界へと帰り、遠い遠い昔からお互いに愛し合うなかであったこと、悠久の昔から互いに喜び合い、悲しみあい、助け合ってきたことを思い出し、感激の涙を流して抱き合う体験をいたします。
もしそうしたことを事前に知っておれば、結末を知っているドラマを見るように、この世と来世の体験は味気ないものとなります。
それゆえ人は互いが愛し合っていたもの同士であることを忘れて、この世にて新たな出会いとして永遠の再会をはたすのです。
愛は人を結びつけ、何ものも妨げることは出来ません。
この世にては愛し合うものたちであっても離れることもあるでしょう。
それは本当は離れることは無いのだという喜びを知るためなのです。
天上界にてずっと一緒のままであれば、出会いの喜びと感動も薄らいでくるでしょう。
ですが地上にて愛するものと別れを経験し、悲しみが深いほど、来世での再会は感動的で大いなる喜びとなるのです。
この世での苦しみや悲しみは同じ意味であり、そうした経験を通過するからこそ、来世での喜びはひとしおとなるのです。
天の父は私たちに喜びに飽きさせないために、より感動と深い愛を体感して欲しいがために、私たちが地上にて生まれ、苦しみや悲しみを経験されることをお許しになられました。
光と自らの使命の発見
人間の本質とは、この地球に降り立った光です
光そのものが積極的な善であり、闇を払うものです
善を広げ、闇を払うことこそ光の使命であります
そして光は物事を明らかにし、真実を知らしめる存在です
暗闇の中にあっては、何物も判別することはかなわないでしょう
光が掲げられてこそ、人は物事を見分けて、判別することが可能となります
光は積極的な善であり、世を照らす者です
そして光は、世の中に温もりを届けます
もしも地球に日の光が射さなければ、世の中は凍てついた世界となるでしょう
光は大地を温め、海を温め、生き物たちを温めます
それは光のうちに、愛の波動があるからです
光が相手に熱を与えるのは、その根底に愛が含まれているからです
私たちは、この世に降り立つ、小さなローソクの光のようなものです
その光は小さくとも、情熱によって、周りへと次々と光を灯し、広めていくことが出来ます
はじめは小さな光であったものが、次々と広まっていき、多くの地域を照らしていけます
光そのものの中に、私たちの本質とは何であるのか、私たちのなすべきことが含まれているといえます
光とは何であるかを知ることが、私たち自身を知ることであり、
光の性質を探求することが、私たちの使命をも発見していくことなのです
人間が生かされる意味
人間がこの世に誕生し、生かされている事実には、神様によって求められている意味があります
この世に肉体をもって生まれてくる目的には、同じく地球に生まれ合わせている者たちへ、幸せをもたらすという意味があります
自らが生きていくのみならず、周りの人たちへ、幸せを供給するものとなることです
人を害したり、傷つけたり、悲しませることは、この幸せをもたらす存在としての目的に反するものです
あなたがいることで、周りの人が明るくなる、笑顔が増える、喜びが増す、そうした人間となることです
悩んでいる人の曇った顔を笑顔となし、涙の浮かぶ目に光を宿せる者となるべく願われた存在です
そしてもう一つは、私たちは成長し続けていく存在だということです
地上に生れ落ちてより、地にまかれた植物の種が、養分を吸収していき、すくすくと成長していくように、日々に成長していくことを願われています
怠慢であってはならない。成長を止めてはならない。ただ何事もない日々を願ってはならない。
様々なる出来事があろいうとも、困難を打ち砕いて、そこから学びを得て、魂の糧とすることです
喜びの中にも、悲しみの中にも、その意義を見出し、探求する姿勢の中に、無限の成長が宿っています
幸せをもたらす存在であること、成長を続けていく存在であること、それが神様より私たちに願われた思いであります
新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』