2025年5月26日月曜日

備蓄米の放出は何を意味するのか?恐れではなく魂の循環としての智恵


かつて、まだお米が安く豊富だった頃、私は「今のうちにお米を備蓄をしておきましょう」と呼びかけていました。

それは単なる経済的な視点ではなく、心の奥底から湧きあがる直感──
「今、準備しておかなければならない」という“内なる声”に突き動かされたものでした。

そしていま、現実として「備蓄米の放出」というニュースが流れるとき、
私たちはこの出来事を、物価や政策の枠を超えて、“霊的なメッセージ”として受け取る必要があるのではないでしょうか。


🌾 備蓄は恐れから生まれるものなのか?

人はよく「備蓄=不安や恐れの表れ」と言います。

たしかに、未来に対する不安が私たちに「何かを貯める」行動を起こさせることはあります。

しかし一方で、備えとは“叡智”でもあります。

それは天災を予見し備蓄した古代の預言者たち、
あるいは自らを律し、季節を先読みし蓄えた先人たちと同じように──
愛からくる“配慮”と“準備”なのです。

私がかつて、まだ人々がそこまで危機を感じていない時期にお米の備蓄をすすめていたのは、
単に「モノが無くなるかもしれない」という恐れからではなく、
“魂のレベルでの合図”を受け取っていたからでした。


🔁 備蓄米の放出は、エネルギー循環のサイン

いま、国が備蓄米を放出し始めています。

この事について時事的な問題として述べるのではなく、霊的視点から考えてみます。

ものが蓄えられすぎて滞ると、
そこには“エネルギーの詰まり”が起こります。
これは人間の心にも同じことが言えます。

悲しみを、怒りを、あるいは感情を、
溜めすぎると内側で膨らみ、やがては外に放出されるように──
米の放出もまた、“エネルギーを流す必要が生じた”サインなのです。

本来、食も、モノも、富も、愛も──
すべては流れることで調和を保っています。
備蓄は大切ですが、それを手放す勇気もまた、霊的な成長の一歩です。


🌱 巡る意識へ──霊的備蓄と霊的放出

お米の放出を前にして、私たちは考えるべき時に来ています。

「自分の内側にも、抱え込んでしまったエネルギーはないだろうか?」
「与えるべき愛や言葉、行動を、しまいこんでいないだろうか?」

備えることは素晴らしい。

でもそれは、与えることとセットになってこそ、調和となります。

今こそ「溜める」から「流す」へ。
所有から、分かち合いへ。

私たちがこの地上に生きる意味もまた、
“光と愛の循環”を学ぶためだったのではないでしょうか。


締めの言葉(祈りとともに)

今日、放出されるお米の一粒ひと粒が、
誰かの命を、心を、未来を支えるものでありますように。

そしてこの動きが、
恐れではなく、霊的な循環の合図であることに、
多くの方が気づいてくださいますように──。

「備える者」として、
そして「流す者」として、
私たちもまた、愛と光の通路となっていきましょう。


著書『アースチェンジ——近未来の警告書では、これから訪れる地球の変革について書いています


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