毎日の食事に心を砕き、いつも生と死のはざまを歩んでいます
しかし馬や鹿や猫や犬たちが、人生に失望して気が塞いだり、絶望の末に自殺するものは出てきません
どうして彼らは気落ちしたり、憂鬱となって寝込んでしまわないのでしょうか?
人間は頭がよく、その分、将来を憂い、まだ来ない未来のことまで嘆いて絶望したり、ふさぎ込んでしまう事があります
まだ来ない先のことを考えて、心労してしまうのは人間の性質ともいえるでしょう
もちろん将来に対して備えておくことは必要です
しかし、備えておくことと、心配してこころを痛める事は違います
しっかりと事前に備えておくからこそ、未来に対して安心していられるでしょう
イエス様は思い煩いについて以下のように述べています
その日一日を最善を尽くして生きよということでしょう
「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食べ物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれたものではないか。あなたがたのうち、誰が思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょう生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上良くして下さらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
マタイ6章25~34節
人は考える力が強いため、その分余計なことまで考えて、思い煩う事が増えていきます
未来についての不安や心配から来る思い煩いもそうです
そして人間は周りとの比較から苦しみを作り出しています
「周りからよく見られたい」、「すこしでも人よりいい生活がしたい」などの周りの目を気にする事が、苦しみを生み出していきます
「他人から笑われたらどうしよう」、「周囲から冷たい目で見られないだろうか」と心配になってきます
そして他の人はどうこうで、自分はどうだと言って、それでダメだと否定的になったり、優越感に浸ったりします
動物たちは自分の命を生きており、他の動物と比較したり、見比べたりすることはありません
だから動物たちは落ち込むことがないのです
動物たちは「明日は餌が手に入るだろうか?」と思い悩んで塞ぎ込むこともありませんし、隣の犬より自分の毛並みがダメだとか、隣の犬は血統書付きで、自分は雑種だからダメなんだとひがむこともありません
ただ一日一日を生きています
そのため人間より動物は不幸な感覚が少ないのです
人間から見れば、動物たちは着るものも無く、住む家も定まらず、食べ物の明日は手に入るか分からない身で、不幸なように見えますが、実際には不幸な感覚は人間の方が強いのです
動物からすれば遥かに優れた環境にある私たち人間は、取り越し苦労や持ち越し苦労、そして自他の比較から、苦しみを生み出し、不幸になっています
無駄な気苦労を捨て、自分をよく見せようとする見栄を捨てると、人はもっと気楽に生きていけます
