2019年8月17日土曜日

幸せを捜し求めて見失う人

幸せはどこか遠くの国にあると感じてしまう事があります



ずっとはるか山の向こうにあって、探し当てなければ手に入らない貴重なものだと信じてします

必死に探し回って、どこか抜け道は無いかと必死に捜し求めたり、やっと手に入れたと思っては手元から滑り落ちて失望したりします

明確な目的をもって、これを手に入れれば自分は幸せになれると思っていたものが、いつしか苦しみを生んでしまっていることもあります

何処かにあるという幸せを探していても、失うのもまた早いと言えるでしょう

真の知恵者は、自分の庭に幸せの種を植えます

どこかに求めに行くのではなく、自分の庭に育てるのです

雑草を除いて、石を取り、地面をならして種を植えます

そして水をやり、肥料をあたえて、立派に成長させるのです

そうすると毎年実がなり、収穫することが出来るようになります

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

じぶんの庭=じぶんの心でしょうか?雑草、小石は心の三毒でしょうか?種は良き思い、愛、勇気…etc.?水、肥料は善行、愛の実践?育てる、成長は魂の向上、精神的向上のこと?これでよろしいでしょうか?ありがとうございます。

ゆるふわ。 さんのコメント...

幸せかどうかは、自分が何を考えるかで決まります。

健康な体や健全な心を持てていること、毎日安心な暮らしができること…そんな、たとえば病気や認知症などの心の病気や、家事や地震などの天災が起きなければ気付かない計り知れない幸せに気付くことができる人は、すでに神様から毎日幸せをもらえていることに気付ける人です。

だから、幸せって、なるのではなく、気付くものです。

だから、病気や地震にあうなどしてそれらを失ってから本当の幸せの意味に気付いても遅いのですが、

今からその与えられている幸せに感謝できる人は神様に愛されるので、これからも守られ、幸せを与えられ続けるでしょう…

それに気付いていない人がいるのは本当にもったいないことです。
すでにあふれるほどの幸せをもらえている人たちだからです(^-^)

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。