お彼岸のスピリチュアルな意味|2026年の日程と、思いが向こうへ届く七日間

2026年9月19日土曜日

記念日 霊界

きょうも1日1回、応援クリックをいただけると励みになります ▶ 人気ブログランキングへ

今年の九月は、十九日の土曜から二十三日の水曜まで五連休になります。

連休の予定は、もう立てられたでしょうか。

二十二日が十一年ぶりの国民の休日にあたって、祝日と祝日のあいだが埋まった年です。

この五連休は、そのまま秋のお彼岸の入りと重なります。

旅行を先に決めてしまって、墓参りをどこに入れるか迷っている人もいるはずです。

2026年のお彼岸は、9月20日から26日までです

お彼岸は秋分の日を真ん中に置いて、前の三日と後ろの三日を合わせた七日間を指します。

今年の秋分の日は九月二十三日の水曜ですから、二十日の日曜が彼岸入り、二十六日の土曜が彼岸明けになります。

中日にあたる二十三日に墓へ行く人が多いのですが、七日間のうちのどこであっても供養の届き方は変わりません。

今年は彼岸入りに台風が重なりました。荒れた空とお彼岸が同じ日に来た事の霊的な意味と、墓参りに行けない時にどうするかはこちらの記事に書いています。

此岸と彼岸を隔てる川が、いちばん細くなる時

仏教では、私たちが暮らすこの世界を此岸(しがん)と呼びます。

欲や怒り、嫉妬や不安が波のように立ちつづける川の、こちら側の岸という意味です。

川の向こうには、迷いの消えた光の世界があって、そちらを彼岸(ひがん)と呼びます。

亡くなった方々の魂が暮らす霊界が、そのまま彼岸にあたります。

ふだん二つの岸は川で隔てられていて、自由な行き来は出来ません。

年に二度、春分と秋分をはさんだ七日間だけ、この川の流れがゆるんで、幅がいちばん細くなります。

春分と秋分は、昼と夜の長さがほぼ等しくなる日です。陰にも陽にも傾いていない均衡の中で、霊的なへだたりが薄くなり、向こう側と通じやすくなります。

この両日の太陽は、真東から昇って真西に沈みます。阿弥陀如来の浄土は西の彼方にあるとされ、昔から西方浄土と呼ばれてきました。夕方に西へ伸びていく光の帯が、そのまま彼岸へ渡る道しるべだったわけです。

昔の人が持っていたのは、天文の理屈ではなく、この七日間だけ向こうと通じやすいという感覚のほうでした。

墓を掃き、花を供え、手を合わせる形だけが、千年以上そのまま受け継がれてきました。理由を語る言葉が失われても形のほうが残ったという事は、そこで実際に何かが通じていたからだと考えています。

先に思いを出すのは、こちら側です

彼岸は、物の重さから解かれた思いの世界です。

言葉や形の代わりに、意識と想念そのものがやりとりの手段です。

地上にいる者が亡くなった方を思い出して、ありがとうと胸の中で向けるとき、その思いは波動を持った光になって時空を越えていきます。

届いた思いは、温かいものとしてご先祖様の魂に響きます。

ふだんご先祖様が意識を置いているのは、霊界の暮らしのほうです。地上をのぞき込んだり、子孫の生活に口を出したりする事は、日頃はほとんどありません。

では、川が細くなる七日間、先に動くのはどちらの側でしょうか。

彼岸に入ると、地上にいる子孫のほうが、亡くなった人を思い出す回数が自然と増えていきます。その思いが先に向こうへ届き、受け取った側が地上を気にして見に来ます。霊的に見ると、お彼岸の行き来はこの順番で起きているのです。

こちらから先に出した思いの分だけ、向こうの魂が近づいてきます。

受け取った魂は喜びに満たされて、その喜びが、地上で踏ん張っている子孫を見守り助けたいという光の力になって返ってきます。

夢の中の短い場面、ふとよぎる懐かしい気配、困った場面で急に働く直感、偶然とは思えない巡り合わせ。返ってきた力は、そうした形をとって日常に混ざってきます。

供養の重さは、供物の値段では決まりません

墓参りに行けない事情を抱えている人は多いはずです。

遠くに住んでいたり、体が動かなかったり、今年のように空が荒れたりします。

そういう時は、座れる場所で目を閉じて、いつも見守ってくださってありがとうございます、いただいた命を使って生きていますと心の中で伝えれば、それで届くのです。

一杯の水に心をこめて供えるほうが、値の張る供物を並べるより尊い供養になります。

裏返せば、手順どおりに整えても、そこに思いが乗っていなければ橋は架かりません。

供物を並べながら頭の中は今日の段取りでいっぱい、という状態では、向こうへ出ていくものがないからです。

手を合わせる時間そのものは、数十秒で足ります。その数十秒のあいだ、意識を本当にそちらへ向けられるかどうかだけが問われているのです。

論語に、祭ること在すが如くす、という一節が残っています。先祖を祭るときは、その人が今そこにいるかのようにせよ、という意味です。孔子が弟子たちに求めたのは作法の細かさではなく、相手がそこにいると本当に思えているかどうかでした。二千五百年前の中国でも、問われていた場所は同じだったわけです。

彼岸へ渡るための六つの行い

お彼岸は、こちらの魂を磨くための七日間でもあります。

彼岸という言葉はもともと悟りの岸を指していて、そこへ渡ろうとする側の修行期間という意味を持っています。

今こうして肉体を持って立っていられるのは、ご先祖様が命を絶やさずに繋いでくださったからです。魂だけの状態では、汗をかく事も、誰かに手を差し伸べる事も出来ません。肉体という道具を与えられて、はじめて日々の出来事から学べるのです。感謝は、いただいた命をどう使うかという形でこそ返っていきます。

仏教には、彼岸へ渡るために此岸で積む六つの行いがあって、六波羅蜜と呼ばれています。七日間のうち六日を一つずつに当てる過ごし方が、昔から勧められてきました。

布施(ふせ)は、見返りを考えずに与える事です。募金箱に小銭を入れる、電車で席をゆずる、その程度の事で足ります。

持戒(じかい)は、自分の行いを自分で戒める事です。嘘をつかない、陰口を言わない、決まりを守る、それだけで身のまわりの空気が変わります。

忍辱(にんにく)は、理不尽な出来事に怒りで返さずに持ちこたえる事です。なぜこれが起きたのかを冷静に見られたとき、その出来事は魂の学びに変わります。

精進(しょうじん)は、決めた道を続ける事です。仕事でも勉強でも、一歩ずつ続けている姿そのものが魂を鍛えていきます。

禅定(ぜんじょう)は、心を一点に置いて揺れない状態を保つ事です。数分でも目を閉じて呼吸だけを数える時間が、そのまま禅定になります。

智慧(ちえ)は、表に出ている情報の奥を見抜く力です。先入観を外して世界をそのまま見られるようになると、判断を誤らなくなります。

六つのうち一つを意識して過ごすだけでも、心にたまった濁りが流れ、魂が光の側へ寄っていきます。そこに祈りが加わると、寄っていく速さが変わるのです。

お彼岸とは、此岸と彼岸を隔てる川がいちばん細くなる七日間です。

先に思いを出すのはこちら側で、出した分だけ向こうの魂が近づいてきます。供養の重さを決めるのは供物の値段ではなく、手を合わせた数十秒のあいだ、意識が本当にそちらへ向いていたかどうかです。

この七日間にみなさまが向けた思いが、そのまま向こう側の光となり、また温かい力となって返ってきますよう祈っています。

関連記事

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よろしければ下のバナーを1日1回押してください。
人気ブログランキング人気ブログランキング

このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。

スピリチュアルスクール 宇宙の兄弟たちへ

スクールの詳細を見る

関連記事

記事の感想をXにてお寄せください
X (旧Twitter) を見る

いまの心の状態から読む

気になる入口をひらいてください。

心が疲れているとき
人との縁に迷うとき
目覚めの感覚があるとき
現実を動かしたいとき
見えない世界を知りたいとき
時代の変化が気になるとき

ソフィアの森で見つけた幸せの鍵

新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』 は、科学と古代の叡智が融合した魂の物語。生きる意味を見失った主人公が、ソフィアの森で賢者と出会い、人生を変える「幸せの鍵」を見つけ出していきます。読む人の心を癒やし、真実へと導く感動のスピリチュアル・ファンタジーです。

↓一日一回のクリックが、このブログの灯を守ってくれます

応援いただいたあなたに、幸せが届きますように祈ります

人気ブログランキング

ブログ内を検索

自己紹介

スピリチュアルブロガー・作家の洪正幸です。🌟「私がなぜスピリチュアルの世界へ導かれたのか――驚きの体験と魂の気づきを綴った自己紹介は以下からご覧いただけます。」 ▶️[プロフィールと魂の物語を読む]

ブログ アーカイブ

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

QooQ