私たちの元の姿は光であり、やがて光の世界へ帰っていきます。この地上に肉体を持って生まれてくるのは、ほんの一時の旅をしているようなものです。長く感じる人生も、永遠の時間の中ではまたたく間の旅程に過ぎません。やがて旅は終わり、誰もが故郷へ戻る日を迎えます。
旅先がどれほど気に入ったとしても、ずっとそこに住み続けることはできません。みんなで旅に出て、現地で出会い、そしてまた一人ひとり帰っていく。それがこの世での暮らしの姿です。私はこの旅人のたとえを、長いあいだ大切にしてきました。地上の人生を旅として眺めてみると、肩の力がふっとぬけて、見えてくるものが変わってくるからです。
地上の人生は一時の旅
旅に出た先で、私たちはさまざまな経験をします。美しい景色に心を奪われ、思いがけない人と出会い、ときには道に迷って途方に暮れる。うまくいかない日もあれば、忘れられない感動に出会う日もあります。地上の暮らしも、これとそっくりです。喜びも悲しみも、出会いも別れも、すべては旅の道中で起きる出来事なのです。
旅先での出来事を、永住すべき定めだと思い込むと、心は重くなります。うまくいかないことがあれば、もう二度と立ち直れないように感じてしまう。けれど旅だと分かっていれば、雨の日も、回り道も、旅程のひとこまとして受け取れます。今いる場所がすべてではない。そう思えるだけで、目の前のつらさとの向き合い方が変わってくるのです。
故郷に持ち帰れるもの
故郷へ持って帰れるのは、旅の思い出だけです。旅先でどのような思いを抱いたか、何に感動し、何を学んだか。心に刻んだものだけを、私たちは光の世界へ携えていきます。
心に刻むものとは、たとえばこういうものです。誰かにかけてもらったやさしい言葉。苦しい時に差し出された手のぬくもり。空を見上げて美しいと感じた、あの瞬間の静けさ。許せなかった相手をようやく許せた時の、胸の奥のゆるみ。これらは写真にも通帳にも残りません。それでも、その人の歩みのなかに確かに刻まれて、消えることがないのです。
逆に、旅先で得た物やお金、地位や名誉は、故郷へ帰る橋を渡るときには手放さなければなりません。旅先の荷物を抱えたままでは、三途の橋は渡れないのです。どれほど立派な肩書きも、どれほど大きな財産も、橋のたもとに置いていくしかない。持っていけるのは、それらを得る過程で何を思い、どう生きたかという、心の記録だけです。
執着を手放すということ
こだわりを捨て、執着を断ちなさい。古くからそう教えられてきたのは、執着が橋を渡る妨げになるからです。執着を抱えたままの者は、故郷への橋を渡れず、かといって旅先にも戻れず、その中間でさまようことになります。
執着を手放すとは、何も持たずに生きることでも、大切なものをぞんざいに扱うことでもありません。物を楽しみ、人を愛し、仕事に打ち込みながらも、それを握りしめすぎないことです。たとえば、長く使った品を手放すとき、ありがとうと思って送り出せるかどうか。自分の思い通りにならない人を、それでもその人のままで認められるかどうか。手の中にあるものを、いつか返すものとして、開いた手のひらで持てるかどうか。その心の構えが、執着を手放すということなのだと私は思います。
旅の終わりに何も持っていけないと知ることは、決してさびしいことではありません。むしろ、今この瞬間に出会っているものを、より深く味わうための気づきです。いつか手放すと分かっているからこそ、目の前の人を、目の前の景色を、いとおしく感じられる。光だけが本当に在り続けるものだと知るとき、私たちは旅を軽やかに、そして豊かに歩んでいけるのです。
今日からできること
一つ、今日あった出来事を旅の一場面として振り返る。うまくいかなかったことも、旅程のひとこまだと思えば、受け取り方がやわらかくなります。
一つ、心に残ったやさしさを一つ思い出す。かけてもらった言葉や差し出された手を思い起こすと、それが故郷へ持ち帰る宝だと分かります。
一つ、握りしめているものを一つ見つける。手放せずにいるこだわりに気づくだけで、肩の力がふっと抜けていきます。
一つ、長く使った品にありがとうと声をかける。送り出す練習を重ねることが、執着をゆるめる小さな一歩になります。
一つ、空を見上げて美しいと感じる時間を持つ。その感動こそ、お金にも肩書きにも代えられない、心に刻まれる旅の思い出です。
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。
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