2019年6月23日日曜日

沖縄の大切な日 慰霊の日・清明祭・沖縄返還の日


沖縄・慰霊の日


毎年6月23日は、慰霊の日として沖縄で制定されている慰霊の日にあたります

第二次大戦中である1945年の6月23日に沖縄戦を指揮していた第32軍の司令部が自決し、組織的な攻撃の集結の日として記念されたものです

沖縄戦についてすこし書いてみます

沖縄戦の起こる前の作戦として八原大佐は、三個師団半の兵力と、強力な砲兵によって、米軍が上陸してきた二日目の夜に突撃して、水際で米軍を追い落とす計画を立てました

その作戦の通りに訓練は進められ、上陸米軍を追い落とす確信が深まっていたときの事です

台北会議で、沖縄から一個師団を引き抜くことが決まりました

沖縄戦を戦う兵力として三分の一弱の削減となってしまいます

突然の兵力削減により、作戦計画を立て直さなくてはなりませんでした

沖縄本島南部に軍の主力を配備し、本島の中部に上陸して南下してくると予想される米軍を、首里北方陣地線で防ぎ、持久戦に持ち込み、敵に出血を強要するという作戦です

決戦して水際で追い落とすという当初の作戦から、兵力が削られ、無理となったため、戦略的に持久戦へと変更されました

この作戦には賛否両論あるでしょう

持久戦に持ち込んだため、沖縄の民間人の死傷者が増えたことは事実でしょう

日本軍の特徴として、決戦を好み、負けると判断された場合、敵に無謀な突撃をしかけて全滅するパターンが多く、負けを覚悟で持久して、敵に損害を増やすという作戦は、従来潔しとされず、日本では好まれませんでした

ですが、沖縄戦や硫黄島の戦いの結果、米軍に多大な損害が出て、これによってアメリカで対日戦の早期の終結を望む意見が増えて、降伏条件を緩和させる元となりました

もし米軍がそのあと本土上陸作戦を実行したら、沖縄を遥かに越える犠牲者を出すことに恐れを抱いたのです

沖縄戦が決戦突撃を繰り返して、日本軍が短期で全滅していたなら、本土でも沖縄と同じような地上戦が展開されていたかもしれません

そして、天皇家の存続というのも無かったでしょう

沖縄戦当初、米軍が上陸一日目に北・中飛行場を占領されたことに、中央や台湾の師団から、腰抜けと罵倒せんばかりの電報が矢継ぎ早におくられてきたといいます

持久作戦を計画したことからすれば想定内のことであったわけですが、日本軍全体に持久作戦を好まず、決戦をよしとする風潮があったことが伺えます

沖縄の司令部でも何度も決戦突撃が計画され、実行に移されたこともありますが、無駄に兵士を死傷させ、兵站を消耗したに過ぎませんでした

持久作戦を徹底できたなら、沖縄戦では日本軍はもっと有利に戦いを行えていたでしょう

余談ですが、私の地元の近くにある運玉森から聞いた話を物語として書いたことがありますが、この森では戦時中に日米両軍が対峙したときに、夜間であったそうですが、お互いに言葉による口撃?のし合いがあったと言います

声が届くわけですから、銃撃すればあたる位置に両軍があったのでしょうが、なぜか悪口の言い合いをしたのですね

私の子供の頃は、運玉森に行って銃弾の不発弾を拾ってきて、薬莢のなかにある火薬を取り出し、花火のように火をつけて遊んでいました

友達は、森の洞窟で白骨を発見したといいます

沖縄では戦時中たくさんの方が亡くなられ、いまもなお未浄化な状態にある方もいらっしゃることでしょう

いまだにアメリカと戦っている意識のままの状態であるのかもしれません

そうした状況が、基地反対運動などの活動の一部に働いているように感じられます

未浄化なままに置かれている原因のひとつには、亡くなられた方への正当な評価がなされていないことも一因にあるように思われます

なるべくはやくすべての方が浄化され、光の世界に帰られることを願います


沖縄の行事 清明祭(シーミー)


シーミーは清明祭と書きます。沖縄の行事で、親類一同が墓に集まって、ご先祖に報告したり、ご馳走をお供えします

沖縄のお墓は亀甲墓という大きなお墓で、その前面が広く取られており、そこにござを敷いて、ご馳走を広げ、オリオンビールや泡盛を飲んでいる風景がみれます

その由来は、中国の清明節といわれ、中国では祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれたそうです

もともとは首里王朝の行事であったものが、民間にも浸透して普及して言ったようです

行事の形式は色々ありますが、日本本土でも先祖供養の思想は強く残っていますし、沖縄も先祖供養の強い地域です

日本にいれば先祖供養は当然にように思われるかもしれませんが、海外ではそれほど強いものではない国のほうが多いです

仏教はもともと個人の修行を中心にしてきたものですが、インドから中国を経由して日本にもたらされると、先祖供養の行事と密接なものとなってきました

日本では仏教伝来より前から、先祖を敬う思想が広まっていたので、そのような形で存続していったのでしょう

キリスト教伝来のときも、キリスト教では(イエス様の考えとは別に)信じた者だけが救われると説かれていますので、日本人はキリスト教が伝来する前に亡くなったご先祖様が救われないことに動揺があったようです

このように、日本人の精神には伝統的に先祖を敬う心が伝わりつつけてきたのですね


沖縄返還の日515


5月15日は沖縄本土復帰の記念日です

第二次世界大戦の講和条約で、1951年に署名された日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)で、沖縄はアメリカ合衆国の施政権下に置かれ

1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還されました

アメリカ施政下の1970年12月20日未明に、沖縄本島中部のコザ市(現・沖縄市)で、アメリカ軍兵士が連続して起こした2件の交通事故を契機にコザ暴動が発生しました

このコザ暴動が起こって沖縄がアメリカの施政下にあるのは難しいという思いが内外で高まっていきました

これがもしアメリカの施政下で起こった暴動ではなく、中国の占領下でおこったのなら、大変な惨劇となっていたでしょう

アメリカではなく中国であったなら、チベット等で起こったことを見ればわかるように、暴動が起こったその場で、県民は射殺されていたでしょう

そして、生き残ったものは拘束され拷問にあっていたものと想像できます

相手がアメリカであったから反撃は無く冷静にしており、その後の本土復帰、沖縄返還が実現したのです

反米の気持ちも分かりますが、現状の中国の侵略野望を見抜いて、それに対応していくことが、国際的に大切だと理解していくべきでしょう


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3 件のコメント:

  1. 沖縄戦の話など、戦時中の兵隊の話を聞くと涙が込み上げてくるのはなぜだろう。

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  2. 沖縄戦では米英戦死者1万人。日本人と合わせて20万人の犠牲があったそうですね。その中で沖縄の民間人死者は9万人以上。沖縄出身の兵隊さんも加えると実に沖縄人の4分の1が亡くなられていると知りました。
    最近まで具体的な数字を知らず、ピンと来ていませんでした。大変な数字です。

    硫黄島での米兵の犠牲者は7千人近く、負傷者も2万人近く出ています。
    原爆は戦争の早期終結を実現したとはアメリカの言い分で、強い違和感を持っていましたが、数字を見て納得しました。
    これ以上自国の犠牲者を増やしたくなかったのでしようね。

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  3. あらゆる角度からの事象へのメッセージを
    本当に毎日ありがとうございます。

    私の祖父も千葉県から兵として参戦した沖縄で亡くなりました。 
    通っていたヒーラーさんに、あるときその祖父の霊が私に助けを求めていると言われたことがありました。
    (憑依等脅すような人でなく真摯に対処してくれるヒーラーです)

    幼い子供たち(私の父や叔父)へ心残り、暑く苦しい戦い、
    会ったこともない孫にも死後助けを求めるほど…

    そんな死んでも死にきれない思いの人が他にもたくさんいたでしょう。
    これからも折に触れ、祖父に、沖縄に、戦没者に祈りを捧げたいと思います。

    話は変わりますがコザの暴動が『もしも中国が相手だったら』の仮定はなるほどと思いました。
    私も中国の野望の餌食になるのはまっぴらです。
    洪さんのスクールではそのあたりのことも議題になるのでしょうか?
    まっぴらと思って自分にできることが何か?政治を勉強できるところを探しています…。
    なかなかピンとくるところは見つからないですが…(^_^;)

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