2019年12月22日日曜日

悲運の底に落ち込まないための人生の命綱


山登りなどをしていて、急な崖や危険な場所を通る時には、命綱が必要になってきます

命綱によって安全が守られ、底に落ちなくて済みます



私たちの人生のも、山あり谷あり、時には危険な崖を乗り越えなくてはならない時があります

そうした時に、無事に登り切れるように、下に落っこちてしまうのを防ぐために、人生の命綱が必要になってきます

この人生の命綱とは何かと言えば「私は神仏に愛されている」という確信と思いでしょう

どんな過酷な道を通ろうとも、いかに危険な崖を登ろうとも、「私は神仏に愛されている存在なのだ」という思いを持っていたなら、戻ってこれない底に落ち込むことなく、またやり直して人生を歩んでいけます

私の人生を振り返っても、やはり「神仏が見守ってくれいていたからこそ、ここまでこれた」という思いがあります

「神仏が愛してくださる」という思いが命綱となって、人生のどん底まで落ちずに、またやり直すことが出来ました

「この試練はいつか乗り越えられる」、「やがて晴れ間が見えてくるはずだ」と気持ちが折れることなくいられるのも「なぜなら神仏は愛してくれているから」という思いがあればこそです

試練や逆境は乗り越える事で自らの魂の肥やしとなり、魂を磨く砥石ともなります

もしも「神も仏もあるものか」と、天も人も恨んでしまったなら、その底からはい出せなくなるでしょう

神仏の愛を信じられるのは、人生の命綱と表現しましたが、これは芥川竜之介が書いた「蜘蛛の糸」のようなものでしょう

生きている時に強盗などをして悪事を働いたカンダタという男が、死後に地獄に落ちてしまいます

彼が生前に蜘蛛を助けてあげたことをご存知のお釈迦様が、天から蜘蛛の糸を垂れてカンダタを助けようとするお話しです

人生の命綱も、天から垂れてきた一本のロープのようなものです

それを握りしめるのか、それとも振り払うのかは、地上の人間の判断に委ねられています

ロープを握りしめるとは、神仏の愛を信じるという事です

苦難にあった時に、自分一人でもがいているように感じられますが、実は神仏の垂らしたロープにつかまり、助け出されていたのです

それは災害などがあった時に、自衛隊の方などがヘリで救助に来て、ロープを下げて避難者を救出しているような姿に似ています

地上にいる私たちは、自分一人の力で苦難の場所をよじ登っていると思っていますが、実は神仏の見えざる命綱によって助け出されているのです

苦難や逆境にある時には、どうかこの命綱を手放さないようにしてください

以前にも紹介した事のある『あしあと』という詩を紹介します

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

byマーガレット・F・パワーズ

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4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

母がもうすぐ天に召されそうです。神様はいないのか、見てくれてないのか不安になりましたがこの詞を見て考え直しました。 

匿名 さんのコメント...

今日、どうしても神社(比較的近所の)に行きたくなりました。「たしか冬至に茅の輪潜りやるよなぁ。今日あるかなぁ〜。でも、無くても一年お世話になったからそのお礼をして来よう!」と自転車こいで行ったらば、ありました〜(^O^)v茅の輪〜。嬉しかった〜!
すみません、色々大変な悲しみの中にいらっしゃる方もおいでなのに、能天気な事言って…。

ゆるふわ。 さんのコメント...

神様が私たちを愛していないのなら、今この瞬間に世界から空気が消えて、みんな一瞬で死に絶えるはずです。

ここに今も空気があって、太陽の光があって、変わらずに明日がくることが約束されているだけでも、私たちがどれだけ神様に愛されているのか分かるはずです。

分からないのならそれは、あまりにもエゴにまみれて自分中心になりすぎてしまっているということですが、そもそもそんな人は洪さんのブログを読まれないと思うので、読まれている皆さんはこの地球でも数少ない・この地球を変えていく力を持つ心の綺麗な人たちなのだと感じています。

で、この人生で起きる嫌なことや辛いことは、過去や現在で自分が犯した自分中心なエゴの振る舞いの反作用を受けているだけであって、それをきちんと受け止めて乗り越えることでようやくそのエゴを相殺できますから、実は神様からの有難いやり直し(エゴ消し)のチャンスと言えるのです(だから、すぐに神様を呪ったり文句を言ったりするのはお門違いなのです…私はたまにブツブツ言いますが、全部神様はお見通しで、それでも許してくださっています…もちろん、皆さんのこともです)!

なので、ピンチの時はエゴ消しのチャンスなのです。
周りの人に素直に助けてもらったりしながらも、誠実に乗り越えていけばいいだけなのです…その間にエゴが消えていき、いつのまにかみんなに・神様に感謝しながら生きる心のさらに綺麗な人に(もともとの美しい魂に)戻っていくからです!

神様を信頼して頑張る人のことを、神様はいつも守って導いておられます。
たまたまとか偶然を装って、いろんなヒントや答えをくれたりします。
24時間365日ずっと一緒におられます。
気付かずに距離を置いているのは皆さんの方なのです。

どうか神様に心を開いて、信頼して、これからも誠実に頑張ってください…そうすればいつか必ずエゴが完全に消え去って、私のようにイエスさんや素晴らしい善き人たちの言葉を受け取ったりインスピレーションで学ばされたりするようになります…エゴさえなくなれば誰でも必ずそうなるのです!

だから、そのために必要な知識をイエスさんがわかりやすく説明してくださったものを頑張ってブログでご紹介しています。
イエスさんの言葉はあまりにも振動数が高くて翻訳するのには命を縮めなければならずクタクタになるのですが、これからも頑張ります!

匿名 さんのコメント...

何故だかわかりませんが「あしあと」を読むと毎回涙が出ます。何回読んでも泣いてしまいます。
意味があるんだろうと思うのですが、まだわかりません。とても素敵な詩です。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。