苦難に一人で立ち向かわなければならないと感じた時
愛するものと別れた時
信頼していた仲間たちに裏切られた時
人生のいろんな時に、孤独を感じるものです
しかし、この世的には、ひとりでいるように感じられても、実は、私たちは独りでいるのではありません
神仏と呼ばれる偉大なる存在は、たえず私たちを見守っています
私たちが過ちを犯し、足を滑らせて穴に落ち込んでいる時にも、救いの手は差し伸べられています
その手を払い、拒んでいるのは、私たち自身なのです
世の中には闇や苦しみが多く残されていますが、それらは人間が築き上げた業(カルマ)の結果です
そうした人類の過ちを背負い、苦しみを受け止めている存在がいるからこそ、私たちはこうして生きられています
もしも神仏が人々の過ちを背負うのをやめ、苦しみを手放したならば、人類は一部の人を残して激減してしまうでしょう
苦難を背負っておられる存在があるからこそ、私たちはこうして生きられています
以前に『あしあと』という詩を紹介したことがあります
旅人がふと振り返ると、自分の足跡以外に、もう一人の足あとが並んで残されていることに気づきます
それは主が共に、人生を歩まれていたことを示すものです
しかし、旅人が苦難の時期を歩んでいた時には、その足跡が一つになっていることに気づきます
旅人は「いちばんあなたを必要としたときに、あなたは、なぜ、わたしを捨てられたのか」と問います
主は、答えられます「あしあとがひとつだったとき、わたしがあなたを背負って歩いていたのだ」と
私たちは、ひとり孤独に暗闇の中を歩んでいるのではありません
偉大なる存在に背負われて、人生の道を歩んでいます
そして私たちには守護霊という目には見えない魂の兄弟がともに寄り添って存在しています
肉体に宿ると、魂の繋がりが希薄になり、孤独に生きているように感じられますが、その奥深く、魂のそこでは、繋がりあっているのです
それは魂の兄弟である守護霊と繋がっているだけでなく、すべての存在と繋がりあい、結びつきあっている次元があります
普段の私たちはそれを感じられずに生きています
しかし心の奥底から響く、微かな振動にそっと耳を傾けていると、ひとりではないことに気づきます
すべてが繋がりあい、生かされている実相の世界にほんとうは生きているのです
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