しかしいつか幸運が訪れることを願っていては、自分がいまは幸せではないと自分に言い聞かせてしまっているのです
幸せになりたいという願いは、今の自分は幸せではないことを確認する作業になっている事があります
すると人間の思いは現実化してきますので、幸せではない状況を生み出してしまいます
まるで猫が自分の尻尾を追いかけるように、いつまでもグルグルと追いかけ、幸せを掴めないで苦労します
そんな時は、発想を逆転させ、自分が幸せであることを確認してみるのです
どれだけ自分が恵まれた環境にあるのか、与えられている事への感謝をしてみるのです
生きていく事へありがたさを感じ、感謝してみます
するといくら追いかけてもつかめなかった幸運の尻尾が、いつも離れずに自分についてくることが分かります
アメリカの哲学者、心理学者のウィリアム・ジェームズはこう言いました
「我々は楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。」
We don’t laugh because we’re happy – we’re happy because we laugh.
私はこのように言い換えたいと思います「私たちは幸運が訪れたら幸せになるのではなく、今ある幸せに気づいた時に、私たちは幸運と共にあるのです」
3 件のコメント:
人はないものを考えるので幸せに気付きませんが、すでにあるもののことを考えればどれだけ恵まれていて幸せなのかが見えてくるはずです。
きちんと心臓が動いて、目が見えて、耳が聞こえて、声が出せて…それだけでも本当に有難いことではないでしょうか。
その上で、好きなものを食べれて好きな場所に行けて、好きな人に抱きしめてもらうことができるのなら…こんなに幸せなことはないはずです。
といっても、(神様はいつも皆さんのことを愛し抱きしめていますから)全くの孤独な人は本当はいないのですが、神様のことを忘れ抱きしめられていることもわからない人がほとんどになった現代では、皆さん幸せに気付かず不満でもって過ごしてしまいます…
本当に、幸せというのは(すでにあるので)手に入れるものでなく気付くものなのです(^-^)
あれもない、これもない(><)と、焦ったりする気持ちになりました時、足るを知るという禅の言葉を思いましたら、感謝の気持ちを持って、生きるのが大事だと思いました。 聖書や仏教の本などには人々の救いとなる素晴らしい宝物の御言葉が記されていますね。いつも、人々をポジティブにするメッセージをありがとうございます。
ふと気がつくと今生の苦しい課題にとらわれ、運もなにも幸せそのものに目が向いていなかったと思い至りました。 苦しいという「状況認識」にとらわれてたんですね。 心の筋肉が固まってたのに気づいたというか… この記事でその認識にちょっと風穴をあけないとなぁ、と感じました(^^; いつもメッセージをありがとうございます。
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