2020年5月31日日曜日

仏陀意識とキリスト意識の秘密


仏陀意識とキリスト意識についてアンケートで質問がありましたのでわかる範囲で書いてみます


地上に肉体を持って生まれられた存在としては仏陀意識は2500年前のインドの地で、仏教の開祖である、お釈迦さまとしてお生まれになっています

そして2000年前のユダヤの地にて、イエスとして誕生されたのがキリスト意識の一部です

キリスト意識は、十字架で示されるように、神と人との垂直の関係と、人と人との横の関係がクロスする特徴があります

主を愛する垂直の思いと、隣人を愛する横の繋がりの思いが強いのですね

仏陀意識は慈悲の特徴が強く、人を導いたり、向上させる特徴があります

キリスト意識の愛が、隣同士の仲間の愛であるのに対して、仏陀意識の慈悲は、教師が生徒に持つような、あるいは親が子供を育む思いのような、違いがあるといえるでしょう

おもに、この二体の巨大意識体が地球を指導されています

キリスト意識の一部であるイエス様が、地上にあったときに、天の父と言っていたのが、実は仏陀意識であったといえます

初期キリスト教で異端とされたグノーシスでは、ヘルメス・トリスメギストスという存在を認識していました

ヘルメス・トリスメギストスこそ、天の父と理解していて、この偉大なヘルメスという名前の存在が、西洋的に表れた仏陀意識であります

グノーシスでは、イエスの述べた天の父が、そうした仏陀意識であることを認識されていたようで、旧約聖書に出てくる創造の神=ヤハウェとされる存在とは違うと知っていたようです

旧約に出てくる創造の神とされるものは一段劣った神だという主張をしたがゆへに、旧約側から弾圧されて滅ぼされてしまったというのが真相でしょう

こうした真実は、今までは弾圧されたり、滅ぼされてしまったために、秘密裏に一部の者の間だけで語り継がれてきた秘密なのですが、現在になり、ようやくと表立って伝えられるようになったものです

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10 件のコメント:

  1. 驚くべき内容ですね!

    このようなことは、このブログでしか学べないのでは?と思います。

    仏陀のことは手塚治虫の漫画で読みましたが、漫画でも感動した記憶があります。

    以前にキリスト教の流れと思われる幾つかの新興宗教を覗いたことがありましたが、残念ながら心に響くようなお話などは聞けませんでした。

    キリストの教えも学んでみたくなりました。

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  2. いつも勉強になる記事を掲載して下さりありがとうございます。

    とても新しい解釈と言いますか、
    あまりこういう視点で話をなさる方はいらっしゃらなかったように思います。

    でもとても納得の行くものでした。
    長年疑問に思っていたことが解決したような。
    心が洗われました。癒されもしました。

    もっと深く勉強したいと向学心も芽生えてきました。

    どうもありがとうございます。

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  3. あらゆる宗教は本来、根本は一つなのだと示唆する霊視なり記事なり情報なりがスピ系ブログなどで目にすることが頻繁になってきたように感じます。
    イスラム国などの中東の混乱に対して何か今、天からの共通したメッセージが降りてきているタイミングなのかなと感じています。

    すべて我がことに置き換えて、目の前の人を大事にしたいと思います。

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  4. 今日たまたまこの記事にたどり着きました。
    以前読んだと思うのですが、2015年の時点では私の意識がまだ到達できていなかったのでしょう。
    今日読ませていただくと、これまでに感じていたことや、色々な知識が繋がり、納得できたことがたくさんありました。
    こういう瞬間が、スピリチュアルを学んでいて一番幸せな瞬間であることを、再確認しています。
    いつもありがとうございます。

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  5. イエスさんも仏陀さんもその魂は今も変わらず存在されて、たくさんの方々を見守り導かれているのだろうな〜〜と感じる日々です。

    また、洪さんをはじめとして私たちのそばにはいろんな役目を持って生まれ変わってこられている方がいて、人知れずそっと地球や皆さんを守るために動かれているようにも思います。

    これからはみんなで力を合わせて、これ以上エゴの欲のみで堕落していくのでなく、思いやりや愛で浄化していけるように…これからも頑張ってブログでイエスさんの言葉をわかりやすく翻訳し、ご紹介していきますね(=´∀`)人(´∀`=)

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    1. ゆるふわさん、こんにちは。こんにちわ、かな。

      この返信を書いております今の日付は7月26日です。

      最近、ゆるふわさんのコメントが見られなくなりましたがなにかあったのでしょうか。
      心配しております。

      私は昭和の人間なのでエドガー・ケーシーさんとかジョージ・アダムスキー氏の出来事などを引用するだけのコメントしかできませんが、洪さんが取り上げてくださるので励みになります。

      ゆるふわさんのコメントはイエスさんの言葉、それも聖書からでなく、ゆるふわさんに直に語りかけて下さる…普通、長年スピリチュアルなことを「勉強」してきた私にとってはイエスさんではなく、守護霊さんからだろう、などと、軽く考えておりましたが、実際、ゆるふわさんのブログを読みまして、びっくりしましたね。

      私のように考えてしまう人から非難を受けることが多いのではないかと心配しておりますが、私は支持いたします。

      どうか、洪さんのブログの中でもまた出会うことができますことを願っております。

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  6. スクールもブログも楽しみにしています。
    本日も記事ありがとうございます!
    キリストとブッダの意識が繋がっているとは、
    びっくりなような、でも、なんか説得力ありますね。

    キリスト教って、博愛でイイこと教えてるはずなのに、
    同じ宗教内でも分裂が激しく、争いの歴史は酷すぎるし、
    なのに、なぜ信仰する人がこんなに多いのか?
    疑問に思ってる人も多いと思います(^^;

    私としては、神や周りに対する感謝や愛は大事だけれど、
    「宗教」という組織は不要に感じます。
    組織を作ると、人間の権力欲だとか、信仰とは
    違うモノが混ざってしまうと思います。
    団体や組織を作らなくてもなくても、
    神を敬愛し、自然や周りの人たちに感謝できれいれば良いと思うので、
    そういう、光側へ導くための、メッセージや教えを伝える人達が、
    キリストや、洪さんとかなのかなと、思っています。

    (一部、スピ系ブログでは、作者を宗教の教祖様のように
     扱ってるようなサイトもあるので、そういうのは、なんか違う方向へ
     いってる気もしてしまいます…)


    当方が信頼する書籍で読んだことなのですが、
    キリスト教や、イエスについてのことも少し書いてありました。

    その昔、ユダヤ人が、闇の支配する宗教に染まっていってしまったので、
    イエスキリストは、同胞であるユダヤの民を何とか救いたくて(イエスもユダヤ人)
    闇に対抗する教えとして、同じように宗教という手段で、
    ユダヤの民を正しい光側へ戻そうとした。
    でも、それが後々、闇側の支配層たちに利用され、
    支配者たちの都合の良いように、歪曲され続けて、
    真実の教え中に、巧妙な偽りが混ぜ込まれて、
    現在のキリスト教がある。
    当初のイエス=キリストの教えは、現在のキリスト教とは大分違う。

    みたいなことが書いてありました。
    なるほどと思いますが、私はスピ能力もなくので、真実なのかどうか、
    スプ系能力の方からすると、そのへんもどうなのかな?って
    意見をきいてみたいと思ったりでしたm(__)m

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    1. まさにおっしゃる通りで、人間のエゴの都合によって勝手に歪曲されているため私の語ったこととまるでかけ離れている部分が多々ある、とイエスさんは言われています。

      エゴがなければ今頃みんながイエスさんとやり取りしながら生きられる平和な世の中になっていたはずなのですが…私なんかだけではなく:;(∩´﹏`∩);:

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  7. やはり大元を辿れば、全てはひとつ
    人や国により、信仰する対象は異なるけれど
    真実はひとつなんだと改めて感じました。

    いつもありがとうございます(˘⌣˘ )

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  8. 以前、こちらの洪さんのブログの記事の中でも指摘されたことですが、カレン・キング著『マグダラのマリアの福音書』というものがあります。私が読んだものは、河出書房新社より出版されているものですが、この福音書を読むとナザレのイエスがマグダラのマリアに対してどのような教えを説いていたのか、その教えの内容がよくわかります。詳細については長くなるので省きますが、そのベルリン写本の一番初めの文章には次のような記述があるのです。

     2.物質の本性
    『・・・それなら物質はまったく破壊されるのでしょうか。』救済者が答えた。『一切の本姓、すべての形ある物、すべての被造物は相互に関連して存在する。そして再びそれらはそれ自身のあるべき根源へと解体してゆく。物質の本性は、その本性に属するところのものへと解体されるからである。聞く耳のあるものは聞くべし。』

     この文章を読む限りの感覚的理解では、これは仏教で説く縁起の理法であることがわかります。この本の著者は、西洋人なので、すべてを西洋哲学やギリシャ哲学のカテゴリーで、マグタラのマリアの福音書ますが、もしこの福音書を東洋の仏教的視点で解釈するのであれば、ナザレのイエスは、マグタラのマリアに対して、欲界からの解放や空の教えを説いているように思えてくるのです。また貪瞋痴や無明から解放されることも教えられているように思えます。

     これに対して十二弟子たちは、上記のような小乗仏教的な教えや世界観に対して本能的に、自分たちがこれまでずっと教えられてきたユダヤ教の教えとは違うものであるということを、その異質性を肌で感じ取って、マグタラのマリアに対して、主はそんなことを教えていないと反発している姿がよく伝わってくる情景がよく把握できるのです。

     私が推測するに、マグタラのマリアは、女性でもあり、娼婦でもあったことからユダヤ教に対しては、あまり執着はなく、ナザレのイエスより小乗仏教の教えを受ける資質や機根が整っていたと思われますが、十二弟子たちは、ユダヤ教に固執していたので、小乗仏教の教えを受けるだけの機根が整ってなかったのです。このマグタラのマリアの福音書を読むとそのことがよく理解できるのです。

     そしてもう一つ。これはマグタラのマリアの福音書を読むと、マリアが知的な人物であるということがよく理解できるのです。かなり高度な教えをイエスより受けていて、それは知性的なものであるということがよくわかります。この福音書の中には、空間や時間という言葉が発見できるし、相互性・関連性という縁起の理法も表現されています。

     このようにナザレのイエスは文字として教えを残しませんでしたが、イエスがどのような教えを説いていたのか、この福音書を読むと感覚的に伝わってくるものがあるのです。マグタラのマリアは、ナザレのイエスの近くにいて、ユダヤ教の世界観とは違う世界に入っていたと思います。

     おそらく本当のマグダラのマリアの姿は、ダビンチコードや西洋のキリスト教的世界観だけでは理解することができないでしょう。ましてや十二使徒は、ナザレのイエスの本質的な教えを信じて受け入れるだけの機根はなかったのです。このマグダラのマリアの福音書を読むと、マリアのほうが、他の十二弟子たちよりも知的であり、高次の思考力を持っていたことがわかります。

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