2020年7月20日月曜日

人気俳優の死を通して考える事|自信を失っている人、生きる意味や自分の存在価値を見失った時


昨日は若手の俳優さんで人気のある方が亡くなられたことを記事にしました

その死亡原因はまだ分かりませんが、彼について自信の無さや、それによって存在価値を見失う危険性も考えさせました



今回はそれに関連して、自信を失う事や、生きる意味などを見失いそうな時について書いてみたいと思います

私たちは愛するものから切り離されたとき、大きな過ちや、失敗をしたとき、周囲に溶け込めないときなど、人は自分に無力感を感じて、自分は何のために生きているのだろう?存在する価値はあるのか?と悩んだりします

わたしも以前には自分に自信を持てずに、そうした思いに捕らわれることがありました

子供のころの私は、人から言いつけられたこと、宿題などが出来ず、先生の話に集中することも出来ませんでしたので、いつも怒られてばかりでした

学校に行くといつも怒られてばかりいたので、自分は普通の人より劣った人間だと思うようになります

お家でも厳しめの父親からは、ダメな子供のように思われていたのを、薄々感じていたりもしました

子どもの頃から怒られてばかりいると、自己を否定されることで、自信を失い、うつ病を併発するひともいます

ですが、短所もあれば長所も存在します

天才とされてきた人にはADHDだったのではないかとされている人も多くいます

ADHD(注意欠如・多動症)というのは、「不注意」と「多動・衝動性」などを主な特徴とする発達障害の事です

授業に集中できなかったり、静かにしていなければならない状況で、動き回るなどの衝動が押さえられない子どもです

たとえば小学校を中退した発明王のエジソンや、芸術や発明に才能を発揮したダビンチもADHDだったのではないかと言われています

確かに短所とされている面もありますが、一方でそれがよい方向に働く場合もあります

ひとの話しや、興味の向かないことに集中するのが難しい分、自分の関心のあることに没頭して、何かを生み出すことがあるのです

このように、なんらかの欠点とされるものも、裏返せば長所が存在します

私も学校の勉強は出来ず、今でも苦手とする作業はありますが、こうして記事を書くことで多くの人に読んでいただけるようになりました

人から言われたことや命令されて勉強するのは不得意でしたが、自分で興味があったり、関心がある分野を独学で学んだり考えたりすることが得意だったのだと思います

短所もありますが、その裏の長所の部分を生かせられて、少しは他人のお役に立つことも出来るのかなと思います

長所を生かして人のためになれるならその人は幸せです

それが不可能であったとしても、多用なる存在のある事は、それ自体が神の芸術性を現すものであり、価値ある存在です

すべての人々に守護する存在があること、たとえ目に見えなくとも、その存在に愛されていることを、打ちひしがれたときには思い出してください

関連記事



2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
私はADHDです。とても生き辛さを抱えて生きてきました。
自己肯定感も低くて、また最近、大変落ち込む事があったのですが、洪様のブログを拝読し、心が軽くなりました。

「多様なる存在のある事は、それ自体が神の芸術性を現す、価値ある存在です」

の一文に、心が震えて涙が出ました。
ありがとうございます。
自分の特性を活かして、人の役に立てるよう、頑張っていきたいと思います。

匿名 さんのコメント...

いつも納得いく情報ありがとうございます。

三浦春馬さんは、本当に自殺ですか❓

他殺の可能性も考えられます。

クローゼットの中で首つるかな?

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。