2013年6月22日土曜日

自分の存在価値を感じられない時


愛するものから切り離されたとき、大きな過ちや、失敗をしたとき、周囲に溶け込めないとき、人は自分に無力感を感じて、自分は何のために生きているのだろう?存在する価値はあるのかと悩んだりします



自己紹介を読まれた方ならお分かりかと思いますが、わたしもそうした思いに襲われることがあります

現在であれば私はADHD・注意欠陥・多動性障害と診断されていたと思います

言いつけられたこと、宿題などが出来ず、先生の話に集中することも出来ませんでしたので、いつも怒られてばかりでした

周りからは単なる努力不足や本人の怠慢と考えられていたでしょう

先天的な特質のため、努力不足によるものではないのですが理解され無いころが多いでしょう

ADHDの人はそうして、いつも怒られて、否定されることで、自信を失い、うつ病を併発するひともいます

ですが、短所もあれば長所も存在します

天才とされてきた人にはADHDだったのではないかとされている人も多くいます

たとえば小学校を中退した発明王のエジソンや、芸術や発明に才能を発揮したダビンチもそうだったのではないかと言われています

ひとの話しや、興味の向かないことに集中するのが難しい分、自分の関心のあることに没頭して、何かを生み出すことがあるのです

このように、なんらかの欠点とされるものも、裏返せば長所が存在します

その長所を生かして人のために慣れるならその人は幸せです

それが不可能であったとしても、多用なる存在のある事は、それ自体が神の芸術性を現す、価値ある存在です

すべての人々に守護する存在があること、たとえ目に見えなくとも、その存在に愛されていることを、打ちひしがれたときには思い出してください

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