仏様に願い事はダメなのか?

2020年7月11日土曜日

祈り 成功 仏教


仏様に願掛けなどの願い事はしてはいけないと言われる人もいて、その真偽について質問もありましたので取り上げてみます



この場合の仏様というのは、仏教でいわれている毘盧遮那仏とか阿弥陀如来とか観音様とか不動明王などの仏様の事をさしています

日本では無くなった方も一律に仏様と呼びますが、本来は悟られた方を指す言葉であり、悟りを開かれて仏様となられた存在や、仏様となるべく修行をされている方、仏様に使える方などの、仏教に縁のある高級霊と言えると思います

仏教では基本的に執着を去れという教えが説かれていますので、願いを叶える事は反するように思われます

あまり個人的な執着に根差した願いなどは、やはりよろしくないようには思います

たとえば宝くじで一等が当たりますようにとか、好きな人と結婚できますようになどというのは、やはり地上的な執着になるものだと言えます

そうした欲を叶えようと仏様にお祈りするのは違っているようには思えます

ただ、仏教であっても、真言宗などは病気平癒を祈願したりしますので、宗派によってはこの世の利益というものも認めている部分はあると思います

どうしても地上の人間には、この世での利益をえたいという思いがありますので、ニーズに合わせてそうしたものも必要になってきたのだと思います

ただ、基本的には個人の欲のようなものは仏様に願わない方がよいかと思います

ご自身を見守りくださいとか、正しく導きくださいというくらいは良いかと思いますけど、具体的な願望成就を願うような事は避けた方が無難かと思います

それは良い悪いではなくて、仏様の教えからしてそうなのです

地上のものはすべて過ぎ去るものであり、何一つとどまるものはないという教えです

なのでこの世の事に執着していると、それが苦しみのもととなってしまうわけです

「あの人と付き合いたい」「この職業に就きたい」などといろんな願望はあるでしょうが、それがどうしても手放せなくなって、苦しみを生みつづけているなら、それは執着であって、手放さなくてはなりません

この世のすべてのものは何れ無くなっていく運命にあるのです

それに執着してしがみ付いていると、苦しくなってしまいます

握りしめているものを手放す事によって、新たに得られるものがあるのです

ですので、その願いというものが執着になってしまっていないかを自己点検する必要があります

世の中をよりよくするような願いであるならば、神仏に願い出てもよいでしょう

そうでなければ、ただ感謝を伝えるだけの祈りの方がよいと思います

間違った方向に進んでいる願いは届けられませんし、違ったものに行ってしまう事があります

願いが正しい方向に進んでいるかを点検してみる必要があるでしょう

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