たとえば家相といって、どんなお家の建て方をしたら吉で、どうすれば凶であると述べるものもあります
浄化槽があってはよくないとか、トイレは二つあってはダメとか、敷地内に家畜を飼ってはダメなどと言います
あるいは風水のように、方角によって置いてよいもの悪いものがあるとするものもあります
また姓名判断では画数によって人の運命が決るようなことを言ったりします
他にも不幸の原因は先祖供養をしていないからだとか、水子の祟りだなどと述べるものもいます
そうしたものを信じている人は、自分の幸せや不幸の原因は、そうした外部のものによって左右されると考えています
自分が悪いのではなく、そうした外部の環境が悪かったから、自分は不幸であったり、運が良くないのだと考えます
これらはすべて依存心が生んだものであり、自己責任を放棄した考えです
実際には、人間はその考える物事によって、自分の未来を切り開いていける存在であり、その思考そのものが人生を形造っていきます
幸、不幸を分けるもっとも重要な要素は、そのものの思いの質によります
いつも不平不満ばかりを並べて、感謝を忘れていると、嫌な事を引き寄せ、ますます不満な人生を送るでしょう
心の中に自己処罰の観念が潜んでいると、病気を引き起こしたり、事故を起こしてしまう事があります
いつも怒りの炎で包まれているなら、周りから嫌われ、孤立していって、困った時には誰れからも助けてくれなくなるでしょう
いつも微笑みを絶やさずに、人に善意を向けようと思っている人は、周りを明るくし、人々の喜びに包まれるでしょう
人に善意を施している人は、困った時には、自分も人から助けられたり、見えない力で支援されたりします
そのように、人はその人の思いの力によって、環境を変えていき、生み出していきます
お釈迦様にしても、苦の原因は自らの思いと行いの結果として現れると説きます
仏教のもっとも根源的な教えとは、不幸は自分の思いと行いが作り出したもので、それを取り除くことで苦(不幸)も消していけるとするものです
ひとは自分のことは棚に上げて、周りに原因を探し出そうとします
しかし、最も大切なものは、自分自身の中にあります
何を考え、何を思わなかったか、その思いこそが、もっとも人の幸、不幸を分ける原因となるのです
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