地球は物質におおわれた世界です。私たちは肉体という入れ物をまとって、この地上に降りてきました。生まれた瞬間から、目に見えるもの、手で触れられるもの、重さのあるものに囲まれて育ちます。そうしているうちに、いつのまにか感覚が物質の側へと染まっていきます。あの世のことも、霊的な世界のことも、記憶のずっと奥へとしまい込んで、この物質世界にすっかり没頭していくのです。
肉体という物質に魂が閉じ込められると、まるで物質こそがすべてだと勘違いしてしまいます。けれど、片寄り方には二つの方向があります。物質の側へ深く沈み込む人と、反対に霊性の側へ高く浮き上がってしまう人。どちらの片寄りも、その人なりのつまずき方を生みます。今日は、その両方を見ていきたいと思います。
物質に片寄った人のつまずき
唯物的な生き方に深く染まった人は、目に見えるものしか信じなくなります。数字、肩書き、預金の残高、所有しているものの量。それらが増えれば安心し、減れば不安になる。心のものさしが、すべて外側の指標に置き換わってしまうのです。
そういう人は、本当に大切なことを見失っていきます。家族と過ごす時間、誰かにかけたやさしい言葉、自分の良心が静かに告げる声。そうした目に見えない値打ちを、価値のないものとして脇へ押しやってしまう。そして、いずれ朽ちて消えていくものばかりを握りしめて、それを失うまいと苦しみます。手のなかにあるのは、自分が大事だと思い込んでいたガラクタだったりします。死を前にしたとき、その人が握っていたものは、何ひとつあの世へは持っていけません。
霊性に片寄った人のつまずき
では、霊的なことに目覚めた人なら安心かというと、そうとも限りません。あの世の価値に気づいた人は、今度はこの世を軽く見るようになりがちです。この世は仮の世界であって実在ではない。そう考えるあまり、目の前の現実そのものを、どこか低いものとして扱ってしまう。
仕事をおろそかにし、お金の話を汚いものとして避け、人づきあいを面倒がる。瞑想や学びには熱心でも、地に足のついた暮らしがおろそかになっていく。霊にとらわれているがゆえに、この世の足場を失って、ふわふわと浮いた状態になるのです。足が地につかない。だから少しの出来事でぐらつき、地球の現実につまずいて、挫折してしまいます。あの世を見ているつもりで、実はこの世から逃げているだけだった、ということも起こります。
中道という綱を渡る
物質と精神。この世とあの世。霊性と現実。このどちらに片寄っても、中道からは外れてしまいます。大切なのは、両方をバランスよく抱えて歩いていくことです。
中道とは、足を地につけながら、心を天に向けている状態です。きちんと働き、お金を健やかに扱い、人と関わりながら、その一つひとつのなかに目に見えない値打ちを見いだしていく。日々の家事や仕事を、修行とまでは言わなくても、魂を磨く場として受け取る。そうやって生きるとき、私たちは細い綱の上をしっかりと渡っていけます。その綱とは、永遠の命に通じる綱です。物質の側にも、霊性の側にも落ちずに渡りきること。それが、この地上に降りてきた私たちに与えられた歩み方なのだと思います。
今日からできること
一つ、自分がいま物質と霊性のどちらに片寄っているかを振り返る。数字や所有に縛られていないか、あるいは現実から浮いていないか、正直に見つめてみてください。
二つ、目の前の仕事や家事を、ていねいにやり遂げる。地に足をつける一番の近道は、いま手にしている現実をおろそかにしないことです。
三つ、お金を汚いものとして避けない。お金は人を生かす道具です。健やかに稼ぎ、感謝して使うところに中道があります。
四つ、一日のどこかで、目に見えない値打ちに目を向ける。誰かにかけたやさしい言葉や、良心の声を、その日の終わりに思い返してみてください。
五つ、霊的な学びを、暮らしのなかへ持ち帰る。知識を増やすより、その学びを家族や仕事の場でどう生かせたかを大切にしてください。
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