先祖供養で不幸になる人・幸せになる人
日本では先祖を大切にする思いが強く、先祖供養も盛んな国です
先祖供養をされて幸せになる人もいらっしゃるでしょうが、かえって状況が悪くなるという逆転現象もおこりえます
それは正しい供養の意義が見失われているからだと思います
波長同通の法則というものがあります
これは同じような考えを持っているもの同士が引き寄せられるという法則です
たとえば、同じような趣味を持っている人同士が集まったり、同じような考えを持つものと仲良くなったりいたします
霊的な存在についても言えることで、地上の人間の考えと共通するような存在が引き寄せられて同通していきます
先祖供養におきましても、波長同通の法則はなりたちます
つまり、地上の人間がどのような思いで供養されているかによって、結果が違ってくるのです
地上の者が、「自分の不幸の原因は先祖のせいではないか」と、責任をご先祖様に擦り付けるような考えを持って、自分が幸せになるために、いわば先祖供養を利用しようとする思いで先祖供養をしようとする人がいます
同じく、ご先祖様の霊であっても、未浄化な霊がいらっしゃると、その霊は「自分が浮かばれないのは、子孫がちゃんと供養してくれないからだ」と、自らの不幸を子孫のせいと思う者がいます
そのように責任を転嫁するもの同士が思いが同通し、先祖供養することで未浄化な霊と通じるようになります
同じように自分の不幸の原因は他人(ご先祖様や子孫)にあると考える、同じような思いの者どうしが通じ合うのです
この世でも同じような考えを持った者同士が仲良くなり、波長の合わない人とはなかなか一緒に入れないでしょう
それと同じように、亡くなられた方に対しても、同じような考えを持った者同士が繋がりあい、影響しあうのです
また、日々自身が幸せに過ごせるのはご先祖様のお陰と、謙虚に感謝の思いで先祖供養をされる人もいるでしょう
そうした人には、浄化された子孫の幸せのために役立ちたいと望む、ご先祖の霊と思いが通じ、ますます幸せな状況になって行きます
霊的な世界は思いの世界であり、たとえ口先でありがとうや感謝の言葉を述べようとも、その思いにおいて、自らの幸のためにご先祖様を利用しているだけならば、思いの通りの存在とつながっていきます
先祖供養の注意点
日本では先祖を敬う気持ちが強いため、それに乗って先祖供養をすすめる方も多くいます
ですが、先祖供養がそれほど効果のあるものなら、先祖供養をしない他の国では不幸な人だらけになっているはずですね
日本では先祖供養をされている方が多数いらっしゃいますが、諸外国ではそうした風習の無い国が多いです
先祖供養の強い日本が、第二次大戦では敗れて、塗炭の苦しみを受け、逆に戦勝国のアメリカなどは先祖供養などしていませんが、貧しい日本を尻目に、アメリカは豊かな暮らしを享受してきました
もちろんアメリカも現在はだいぶ落ち込んできて日本化されてきてはおります
そのように、客観的に判断すれば、先祖供養がそのまま幸不幸を分けるものではないことは考えたらわかるでしょう
エセ霊能者や変な教祖様などが、相談者の悩みに応えるのに、ご先祖様を出してくることが多くあるため、日本ではこれだけ流行っているところもあるでしょう
なぜ自分が不幸せであると思える状況にあるか自分では分からない。そのため理由を探して様々な霊能者巡りなどをする人が多くいます
それで不幸の原因として、手っ取り早く単純に指摘できるのが先祖が浮ばれていないから、などと理由をつけて言う事です
他には不幸の原因は「水子の障りです」とか言います
なぜ、そうした事が言われるかといえば、自身を反省する必要がなく、手っ取り早くて簡単だからです
自分を変えるのは大変ですから、原因を外部の責任にして、それを除いたら良くなるのだと安易な考えに行きます
自分を変えるのは大変ですから、原因を外部の責任にして、それを除いたら良くなるのだと安易な考えに行きます
言われたほうは、実際になにが原因か分からないので、「浮ばれないご先祖様のせいです」と言われればそうかな?っと信じるわけです
自分で判断がつかないので、結局は言われたままになります
それでは、実際にはどうかというと、たしかにご先祖様で迷われている人が近づいてきていることはあるでしょう
ただそれは、ご自身の不幸の原因をご先祖様や他人のせいとする、責任転換の考えが、同じく、『自分が浮ばれないのは、子孫が供養してくれないからだ』っと同じように不幸の原因を子孫などに責任転換する考えを持つご先祖様と同通することがあるからです
ですので、一生懸命に先祖供養をすればするほど、想いが同通してきて、かえって呼び込んで憑依されるということがあります
自らの利益ばかりを考えて供養していると、かえって呼び込んでしまいかわいそうな結果になることが多くあるのです
もしも本当に先祖供養をされたいのであれば、ご先祖様から見ても誇らしく思えるような生き方をされることでしょうね
葬式と供養の意味
葬式と供養の意味について考えてみます
お葬式でお坊さんがお経を唱えたり、みなで焼香をしたりいたしますが、こうした儀式の意味としては、亡くなられた方に、自分は死んだと言うことを自覚させると言う意味があります
現代では死後を信じていない人も多く、亡くなっても、自身が死んでいることを自覚できない方も多いかと思います
そのような自覚がはっきりされていない人に対して、死んだ事実を自覚させる意味合いが葬式にはあるでしょう
ただ、お香を絶やしてはいけないとか、位牌はどうとか、法名はどうだとかはあまり関係ないようです
お香やお花を飾ったりするのは、良い匂いをしていた方が、良い霊の働きがしやすいため、あったほうがよいかとは思います
腐敗臭とか悪臭がしている場合は、悪いものがよってきやすいため、お花を飾ったりお香を焚いたりしているのでしょう
お経を唱える効果は、そのお坊さんによるのかなっと思います
法力のある方と無い方がいらっしゃいますので、それによって違いがあるかと感じられます
残念ながらあの世を信じていない、認めていな方がお経を唱えられても、実際の効力は無いように思われます
あとお塩をふったりしているのは、おそらく憑いて来た霊を落とすと言う意味でされている風習かとは思いますが、効果はほとんど無いだろうと思われます
物質自体にはそれほどの効果というのは無くて、たとえば塩や数珠などに法力のある方の念が込められていると効果を発揮する事があるのだと思います
単に物質としてのお塩などには霊を祓ったりするような効果は無いでしょう
供養と人の念
供養について思うことを書いてみたいと思います
亡くなられた後の行き先と言うのは、その方の思いの持ち方・心境によって決まるものです
あの世と言うのは思いの世界ですので、どのような思いを発しているかによって、住む世界が分かれてきます
人に優しくしたり、手助けするのが好きな方は、同じく優しい方の澄んでいる世界に帰ります
人に対して攻撃的な方ですと、同じように攻撃的な人たちの集まる世界に住んでいます
そのように基本的に当人の心境によって住む世界が決まってくるものといえます
基本的にはそうなのですが、地上にいる人間などが、よき思いを向けることで、それが浮力のように働いて、持ち上げる力ともなっていることはあります
その方が生前になした行為や言葉によって、人のためになったとすると、相手から喜びや感謝の念が届いていると、それがプラスの力として働いて、良い世界にあがれる手助けになるようです
多くの方に愛されたり、感謝されている方というのは、亡くなられてからも、そうした多くの方のポジティブな念を受けて、まるで浮力が働くように高い世界へと向かわれます
逆に、人々から恨まれたり、憎しみの念を向けられてしまうと、それが重りのように働いてしまって、下の世界へと降りてしまうこととなります
ですので生きておられる方が、ポジティブな思いを持たれて、感謝や愛情の念を故人に向けられるのは、供養となります
悲しみの念というのは、波動が低いため、遺族などがあまり悲しんでしまうと、かえって浄化するための足を引っ張ってしまうことともなりかねないので、気をつけたほうが良いでしょう
故人の思いを知る方法
Q、遺産相続で醜い争いをしたりする事を、亡くなった人はどう思っているのか気になります。故人の気持ちを感じたい時はどうしたら良いでしょうか?
A、当然、こころよく思っていないでしょうね
たいていの人は、ご自身が亡くなってから、遺族が争いをすることを好まないでしょう
できたら子孫には仲良くしていただきたいものです
故人の気持ちを感じたいとのことですが、もし故人がいたらどのように思うかを想像してみたら大体わかるはずです
故人は何を望むだろうか?どう考えるだろうか?っと相手の気持ちになって考えれば大体わかるでしょう
どうしても聞きたいことのある場合は、故人に手紙を書いてみることです
質問を書いた紙を用意して、それを枕の下に置いて、夢で答えをいただきますようにと祈って就寝します
起きたら忘れないうちに夢を書き留めるようにするといいでしょう
夢で何らかの思いを伝えてくれることがあります
遺骨と成仏について
Q1、亡くなった母の遺骨を分骨して家の仏壇に置いてあるのですが、従兄弟からこのままだと、成仏出来ない、分骨もいけないとも言われ、分骨は母の遺言でしたのでこのような状況にしていますがいけないことでしょうか?
Q2、義母が亡くなって半年以上経ちますが未だに墓がなくて、骨壺が義父の家の仏壇のところにあるのですが、義母は成仏できるのでしょうか。
A、上記のご質問は二つとも内容は違っていますが、遺骨と成仏との関係についての話になるでしょう
実際に、遺骨を分骨したり、あるいはお墓に入れずに仏壇に置いたままでは成仏できないかというと、そんなことはありません
遺骨自体が成仏に関係するわけではないのですが、亡くなられた方の気持ちが重要になります
たとえば上記のQ1のケースでは、ご本人が分骨を望まれていたのに、残された子孫などが、それについて批判したり否定していると、故人も不安になったり、嫌な気持ちになってしまい、成仏の妨げになることはあるでしょう
よくあるのが、亡くなられた後に親族や子孫の方が互いに争いあったりするようなことがあると、亡くなられた方はおちおち成仏もできないことがあります
本来であれば、亡くなられた後の魂は、この世を離れて、魂の本来の故郷である、あの世へと旅立っていくのですが、この世に未練が強いと、あの世に旅立ちが遅れて、成仏されていないという状態になります
ですので、故人のためには、残された方々が仲良く調和して、安らかに旅立たれるのを支えるのがよいのですが、遺産相続などで争うことも多いでしょう
遺骨をどうするかによって、直接は成仏には関係ありませんが、故人がそのことでどのような思いを持つだろうかと考えて、措置をされたらよいでしょう
未浄化な霊を救済することは可能か
日本では先祖供養などの考えが広く伝わっているので、地獄に落ちた方や、未浄化な霊を救うことは可能ですか?という質問をいただきます
先祖供養などとして個人で様々なことをされている場合もありますが、ご自身で救おうと考えるのは危険な面があります
未浄化な霊は、例えれば海で溺れているような状態で、何とか救いを求めているため、子孫などに供養してほしいと訴える場合があります
しかしその個人が泳ぎの達人でなければ、溺れた人を救済することは出来ませんよね
たいていは溺れた人にしがみ付かれて、一緒に溺れてしまうことが多いでしょう
つまりは先祖供養をしようとしている個人に、未浄化な霊が憑依して、同じような苦しい状況を作り出してしまうことがあります
ただ、まったく供養は無理かというとそうではなく、ご本人が人々を助けて徳が高く、心も清らかなら、その影響を受けて、ご先祖にも良い影響を与えることが出来るでしょう
ご本人がこの世において優れた生き方をされることが、よき効果を及ぼすことが出来るわけです
一般的には、個人で供養しようなどとは思わずに、素直にご先祖様には感謝しているのが良いと思います
何らかの理由で供養されたいのであれば、仏教では供養のための法要をされていますので、そうした専門の方にお願いしてみるのがよいでしょう
霊能者などもいらっしゃいますが、玉石混交で石のほうが多いでしょうからおすすめはしません
お坊さんでも、あの世を信じていないような方であれば、供養をされても効果はないでしょうから、そこらへんは見極められるとよいでしょう
一般的には、子孫が正しく生きて、人のためになる善行を積んでいれば、その徳がご先祖様にも向かえますので、人のために尽くし、よく生きることを心がけるのが良いでしょう
自然葬や宇宙葬の問題とは?
自然葬や宇宙葬について質問がありましたので、取り上げてみます
自然葬というのは、お墓に納骨するのではなく、山や樹木の下、海洋に散骨するものですね
中には遺灰を宇宙に打ち上げるという、宇宙葬まであるそうです
こうしたものの是非が問われているところです
そもそも何故にお墓を建てて、そこに納骨するかという元から考えないといけないでしょう
亡くなられた方の骨を、お墓に納めて、そこに手を合わせて供養するのは、故人の魂に、支援の念を送ろうとするものでしょう
徳のあるお坊様が墓前でお経をあげると、故人にとって、迷わずにあの世に帰り、良い世界にいくための手引きとなると考えられてきました
それがお坊さんでも、あの世を信じていない人も増えて、葬儀がただの慣習にしか過ぎないと思われるようになってきて、それなら無駄なものを排除して、簡単なものにしていこうという流れのなかに、自然葬なども流行ってきているのでしょう
実際のところはどうかというと、確かに、あの世も信じてないようなお坊さんが、墓前でお経をあげても、ほとんど効果は見られないでしょう
ただし、故人の霊に、葬儀をして見せることで、自身が死んだことを自覚させる効果というのはあるかと思います
そして、しっかりあの世のことも分かっていて、修行されているお坊様だと、その徳の分だけ、故人の魂を正しく導く効果があります
遺族の方においても、墓前で思いを向けると、それは故人に通じますので、お墓はアンテナのような役割を果たします
ですがお墓が無かったとしても、故人の遺影や、位牌などを通して、思いは伝えられます
そのように、遺影や位牌でも、思いを向けることは可能ですが、お墓がないと忘れ去られて、故人を思い起こす人も少なくなってしまうなら、あまりよろしくないと思います
そのように、お墓が無くてもやっていけるではありますが、自然葬をする数が増えていくほど、目に見えないものをないがしろにして、合理主義で、宗教やスピリチュアルなものを、否定する人が増えていくでしょう
自然葬の増加は、人々から信仰心や、目に見えないものへの畏敬の念が薄らいでいる証拠で、人間にとって大切なものを失っていくのを示しているように思われます
自然葬の増加は、人々から信仰心や、目に見えないものへの畏敬の念が薄らいでいる証拠で、人間にとって大切なものを失っていくのを示しているように思われます
先祖供養の落とし穴
世の中の霊的なものを扱ったドラマやマンガなどは、たいてい未浄化な霊、あるいは悪霊とされる存在を中心に描かれていることが多くあります
そうしたネガティブな存在ばかり取り上げることで問題もあるように思います
たとえば、引っ越した先に未浄化な霊がいて障りをなすとか、先祖の人で迷っている人がいて、それが原因で不幸が続くとか、そうした話しが霊的なこととして語られるもので多くを占めるにいたっています
そのような話しが蔓延することで、自分の不幸や不運の原因を、周りのものや環境のせいにする、責任転嫁の思想が広まってしまっています
未浄化な霊が悪さをなしているから自分は不幸であって、それを霊能者にお祓いしたらよくなるだとか、先祖供養すればよいだとかいう考えになりがちです
占いもそうで、運命というのが、自分の外にある要因で、運不運が左右されるという、責任転嫁の考えとなります
たしかに、世の中にはいまだに浄化されていない霊の方もたくさんいらっしゃり、そうした方が影響を及ぼしていることも事実としてあります
ですが、そうした未浄化な方というのは、未浄化である原因は、大抵、自身のおかれているよくない状況を、周りや人のせいにする考えを持っていることが原因として多くあります
たとえば、自分が浮かばれずに苦しい状況にあるのは、子孫がちゃんと供養していないからだとか、周りが悪くて、そのせいで自分は苦しい目にあっているなどと考えます
そうした考えを持った未浄化な霊が影響を与えるのは、同じような考えを持つ者、つまり、自分の不運や不幸を、先祖が迷っているからではないかとか、悪い霊のせいではないかと、責任転嫁するものにかかってくるのです
霊的な世界では、同じような考えを持ったもの同士が、通じ合うという法則があります
ですので、そうした人のせい、霊のせい、運命のせいにして、お祓いや占いや先祖供養などに頼ろうとする人は、同じように不幸の原因を他人のせい、子孫のせいにする霊と通じ合うのです
一方、失敗や悪いことがあったら、これは自分の努力が足りなかったからだとか、考え違いがあったからだと、自分の責任と認めて努力する人であれば、そうした未浄化な霊とは波長があわないので通じないのです
ですので、良いことがあれば、周りの人のお陰ですと謙虚に考え、悪いことがあれば、自分の足りなさからきていると考える人は、よき者と通じあい
良いことがあれば、それは自分の才能だと不遜に考え、悪いことがあれば、人のせいや社会のせいにする人は、同じような考えの悪しき者と通じていきます
そのように、自身の不幸の原因を、何か外部の責任とする考えが蔓延することは、不幸を呼び込む方向へと社会が進んでいきます
これは政治思想にもいえることで、共産主義などは、不幸な人がいるのは、そうしたお金持ちのせいだとか、権力を持ったもののせいだとかいう、外部の責任にする考えを中心にしています
そうした思想を中心にした国になると、国全体が不幸になるのです
成功することを個人の努力などにおき、チャンスは平等にして、その結果は個々の努力しだいで公平に表す社会では、個人が努力や創意工夫していくことで発展して、結果的に全体のかさ上げになっていきます
先祖様への供養と感謝の違い
質問であったお題ですが、亡くなられてからすでに時間がたって、もう生まれ変わっているご先祖様に、お盆などにお墓参りしたり、拝んだりしても、本人に通じないか?という疑問です
確かに、遠いご先祖様になると、すでに地上に生まれ変わっている方もおられるでしょう
どれくらいの期間で生まれ変わるかは、人によってまちまちのようですが、100年位したら生まれ変わっていることが多いようです
戦争や自然災害などで、早くして亡くなられた方の場合は、もっと早く、数年から数十年で生まれ変わることがあるようです
戦後のすぐ後に、日本ではベビーブームといって多くの子供が生まれてきましたけど、その中には、戦争で若くして亡くなられた方も、多く生まれ変わってきたように思います
そのように既に生まれ変わっているご先祖様に、お墓や位牌に拝んでも、やはり本人に伝わることはないでしょう
遠いご先祖様まで拝むのは、供養としての意味は薄らいでいくでしょうが、感謝の気持ちを持つという意味では有意義かと思います
日本には未浄化なご先祖を成仏させるために拝むような考えがあるようですが、それはお坊さんなどの専門の方にしていただくようにして、素人がされないほうがよいでしょう
ご先祖を成仏させるために拝むような思いがあると、すがり付こうとする未浄化なご先祖さまなどが集まってきてしまうことがあるためです
それではどうしたらよいかというと、やはりご先祖様には、自分がいまいるのは、ご先祖様のおかげと感謝の念をささげるようにしたらよいでしょう
未浄化なご先祖様を供養しようとすると、助けてほしいと願う未浄化な霊を引き寄せやすくなり、感謝をしていると、ポジティブな思念ですから、浄化されて光の世界に帰られたご先祖様が喜び、支援を受けたり、良い事を引き寄せるようになります
両者は似たように思われるかもしれませんが、引き寄せる結果は大きく違ってくることを知っておくと良いですね
7 件のコメント:
こんいちは!
ここで書かれている内容は、私が世間で推奨されている先祖供養に付いて長年モヤモヤと感じる部分が有って、最終的に独断で自ら出した答えとピッタリ一致するので安心感を持てました。(今まで結構孤独な戦いでした!?)
こういう視野で先祖供養の事を語られる方に、私は今までお目にかかった事がありませんでしたから、ちょっと感動しております。
こんにちは。
昨日からお盆が始まったのですが、なぜかお昼過ぎたあたりからひどい眠気に襲われました。結局夕方から00:00くらいまで爆睡してしまっていて…眠気とだるさがひどかったです。
うちは道を挟んですぐお寺と墓があるのですが、お盆という時期も関係しているのでしょうか。いつもこんなことはなかったので…なぜなんだろう…と不思議でした。
お盆の時期眠くなったりだるくなることはあるのでしょうか?
大変勉強になりました。「供養すること」自体より供養する動機があくまで「故人ためであること」が大事なのですね。
未浄化の霊に対しての考え方も救いたい気持ちは大切ながらも、自分の生き方での回向や、神仏に救済を願ったり、故人への感謝やあの世での安らぎ·幸せを祈るにとどめるのが良いのでしょうか。 近所のお寺の施餓鬼会の法要にも申し込もうと思っています。
>未浄化な霊は、例えれば海で溺れているような状態で、何とか救いを求めているため、子孫などに供養してほしいと訴える場合があります
>しかしその個人が泳ぎの達人でなければ、溺れた人を救済することは出来ませんよね
これが故人ではなく、現在まだ生きている人間の場合はどうするのがベストでしょうか?
祖母がまだ健在なのですが、未浄化な霊の例えと同じように「自分が今苦労しているのは子孫のせいだ」と思っているフシがあり、このまま亡くなればそれこそ「子孫が供養してくれない」と未浄化な霊になるんじゃないかと思っています。
自分にできることはできるだけ会いに行ってあげることくらいで、祖母が願う形に添うのは無理があります。
また会いに行く度に祖母のネガティブな感情に取り込まれないように必死で疲れるのと、その土地の鬱屈とした雰囲気も苦手で、本心を言えば億劫でもあります…
今の段階からプロにお願いしても良いものでしょうか?
それとも、生きている間は出来る限り頼らないで自分たちで救いの手を差し伸べた方が良いでしょうか。
霊が近づいてくると眠くなることがありますね
お寺さんなどで供養を申し込むのもよいと思いますが、子孫の方が良い生き方をされるのが一番の供養だと思います
生きている方に対しては、出来る範囲で親族の方が真理を伝えて、生前に思いを改めるように導けたらよいでしょう
>生きている方に対しては、出来る範囲で親族の方が真理を伝えて、生前に思いを改めるように導けたらよいでしょう
アドバイス頂きありがとうございます。
自分には少し難しいかもしれませんが、幸い母がそのような役目になっていると思います。
できるだけ、自分も役に立ちたいと思います。
いつもご返信いただき、本当にありがとうございます。
全ての責任は、今の自分の生き方や考え方にあります。
良い生き方・考え方(分け隔てない思いやり)は良いものを引き寄せ、ご先祖様をもあたため、救っていきます。
悪い生き方・考え方(自分さえ良ければいいという自己中)は悪いものを引き寄せ、ご先祖様をあたためられず、互いに暗いところで苦しむ結果に繋がってしまいます。
実はこんなにシンプルな話なのですが、なかなか実践できる方がいないので、簡単なやり方などをブログで紹介しています。
洪さんのメッセージを読まれた方が、実際の生活の中でそれを活かすにはどうしたらいいのか…そんな、マニュアルとして利用してもらえたらと思ったりします。
この素晴らしいメッセージが日々の生活で活かされないのは本当にもったいないことですので、私の命が続く限り頑張ろうと思います(^-^)