幸せというものは、どこか遠くの国にあると感じてしまうことがあります。はるか山の向こうにあって、長い旅をして探し当てなければ手に入らない、貴重で珍しいものだと思い込んでしまう。だから私たちは地図を広げ、抜け道はないかと考え、近道を探して歩き回ります。やっとたどり着いたと思ったその場所に、思い描いていたものは見当たらない。また次の山を越えていく。そんなふうに、幸せを追いかける旅を一生続けてしまう人は少なくありません。
遠くに探しに行く生き方には、ひとつの落とし穴があります。それは、たとえ手に入れたとしても、失うのもまた早いということです。遠くから運んできたものは、自分の手元になじむ前にこぼれ落ちていきます。
遠くに探す人と、庭で育てる人
あの会社に入れば幸せになれる。あの人と結ばれれば幸せになれる。この金額の貯金ができれば、この家を買えれば、この資格を取れれば。明確な目標を立てて、それを手に入れることに全力を注ぐ。その努力そのものは尊いものです。ただ、いつのまにかその目標が、自分を苦しめる重荷に変わってしまうことがあります。手に入れた瞬間はうれしくても、その喜びはすぐに薄れていく。そしてまた、次の「これさえあれば」を探し始める。終わりのない捜索です。
遠くにあると信じている幸せは、自分の外側にあります。外側にあるものは、状況が変われば簡単に手の中から滑り落ちていきます。仕事は変わり、人の心も移ろい、お金の価値も上下する。外側に置いた幸せは、その揺れにそのままさらされてしまうのです。手に入れたと思った瞬間にもう、失う不安が始まっている。これでは、いつまでたっても心は休まりません。
真の知恵者は、自分の庭に種を植える
真の知恵を持つ人は、幸せを遠くに探しに行きません。自分の庭に、幸せの種を植えます。どこか遠くから完成品を運んでくるのではなく、自分の足元で、自分の手で育てていくのです。
庭を耕すには、まず準備がいります。生い茂った雑草を抜き、邪魔な石を取りのぞき、でこぼこの地面をならしていく。心の庭でいえば、これは古い恨みを手放したり、できない理由ばかり数える癖を見直したり、人と比べて自分を責める習慣を片づけたりする作業にあたります。地味で、すぐには結果の見えない仕事です。けれど、この下ごしらえをした土でなければ、種はうまく根を張れません。
水をやり、肥料をあたえて育てる
整えた地面に種を植えたら、そこからは毎日の手入れです。水をやり、肥料をあたえ、ときどき様子を見にいく。心の庭の水やりとは、小さなことに「ありがたい」と気づくこと。今日ごはんが食べられた、誰かが笑いかけてくれた、空がきれいだった。そうした当たり前の一つひとつに目を留めるたび、種は少しずつ芽を出していきます。
肥料にあたるのは、人とのあたたかなやりとりや、自分が誰かの役に立てたという実感です。一日で大きく育つことはありません。それでも、手をかけ続けた庭は確かに変わっていきます。そしてある時から、毎年実がなるようになる。収穫できるようになる。外から運んできたものとは違い、自分の庭で育てた幸せは、根がしっかりと張っているから、少々の風では倒れません。来年もまた、その次の年も実をつけてくれます。
幸せは、はるか山の向こうにあるのではありません。あなたの足元の、まだ耕されていない庭にあります。今日、その庭にしゃがみこんで、雑草を一本抜くところから始めてみてください。
今日からできること
一つ、「これさえあれば幸せになれる」と思っているものを書き出す。それが本当に自分を幸せにしているか、それとも重荷になっていないか、静かに見つめ直してみましょう。
一つ、心の庭の雑草を一本抜く。長く握りしめてきた恨みや、人と比べて自分を責める癖を、今日ひとつだけ手放してみてください。
一つ、寝る前に今日あったありがたいことを三つ思い出す。これが幸せの種への水やりになります。小さなことでかまいません。
一つ、誰かに小さな親切をする。人の役に立てたという実感は、あなたの庭をよく育てる肥料になります。
一つ、今ある暮らしの中の幸せを一つ見つけて味わう。遠くを探す目を、足元に向け直す。それだけで、見えてくる景色が変わります。
応援いただいたあなたに、幸せが届きますように祈ります
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
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