晩年の幸不幸は、若い頃の成功では決まらない
晩年に不幸になる人と、年を重ねるほど穏やかになっていく人がいます。その差はどこから生まれるのでしょうか。
一般には、努力をせず向上心も持たずに怠惰に過ごしてきた人ほど、生活が苦しくなり、晩年も辛くなりやすいと言われます。
仕事が続かず、辞めることを繰り返していると、年齢を重ねるほど再就職の道は細くなっていきます。
これはたしかに一面の真実でしょう。
ところが、私が長く相談を受けてきて気づいたのは、話がそれほど単純ではないということです。
前半生では勉強ができ、良い会社に就職し、高い給料を得て、誰の目にも幸せそうに映る人がいます。
周囲から羨まれるほどの成功を手にした人。
そういう方が、晩年になって思いがけない問題に直面し、深く苦しむ姿を、私は何度も見てきました。
社会的に立派な経歴を持ちながら、晩年になって孤独を訴えて私のもとを訪ねてこられる方は、決して珍しくないのです。
反対に、目立つ実績はなくても、晩年の表情が驚くほど明るい方もいます。
だとすれば、晩年の幸不幸を分けているのは、若い頃にどれだけ成功したかではない。
もっと別のところに、その鍵があるのだと思います。
転落を招くのは、成功を自分一人の手柄にする心
前半生で成功した人が後半生で苦しむとき、そこには見過ごせない共通点があります。それは、成功を自分一人の手柄だと思い込み、周りを見下す態度です。
他人の不幸を見ては、努力しなかったのだから自業自得だと考えてしまう。
自分の力だけでここまで来たという驕りを抱えた人が、その後に転落していく場面を、私は何度も見てきました。
自分は努力して財産も地位も築いた、それに比べて周りは努力が足りない。
そう考えているうちは、どうしても解決できない問題が表に出てきます。
お金で自惚れている人には、そのお金を失う出来事が訪れることがあります。
あるいは、お金ではどうにもならない問題が現れる。
愛情のもつれ、家族との断絶、突然の病。
これらはお金をいくら積んでも買い戻せないものです。
向上心を失って怠惰に流れても、逆に成功に慢心しても、人はどちらか一方へ偏った価値観を抱えていきます。
そして価値観が大きく傾いたとき、まるで振り子の揺れを戻すような出来事が起こるのです。
それは表面的には苦しみに見えるかもしれません。
けれども私には、その出来事に、人生を通して学ぶべきメッセージが込められているように思えてなりません。
怠けてきた人には、こつこつと努力を積む大切さを。
慢心していた人には、もう一度わが身を謙虚に見つめ直すことを。
そうやって私たちは魂の学びを深め、一歩先へと歩みを進めていくのではないでしょうか。
ここで希望をひとつお伝えしておきます。
偏りに気づいて心の向きを整え直すのに、遅すぎるということはありません。
晩年とは、それまでの心の向きが実を結ぶ季節にすぎないのです。
過去にどんな生き方をしてきたとしても、心の向きは今日この瞬間から変えられます。
晩年の豊かさを支える、二つの小さな習慣
では、偏りを整え、穏やかな晩年へ向かうために、今日からできることは何でしょうか。私がお伝えしているのは、特別な才能も大金もいらない、二つのささやかな習慣です。
人とのつながりを、成果より先に置く
晩年に苦しくなる方を見ていると、人との縁が細くなっている場合がとても多いのです。若い頃は仕事や成果を優先していても、肩書きがある間は周りに人が集まります。
ところが役職や地位が離れていくと、損得で結ばれていた縁から先に去っていきます。
最後に残るのは、利害を超えて心を通わせた相手だけ。
ここで問われるのは、これまでどれだけの人を本当に大切にしてきたか、という一点です。
家族との会話を後回しにしてこなかったか。
助けてくれた人に、きちんと感謝を返してきたか。
見返りを期待せず、誰かのために動いた記憶がどれだけあるか。
こうした小さな積み重ねが、晩年の心の豊かさを支えていきます。
もし今、人との縁が薄いと感じても、嘆く必要はありません。
今日できるのは、目の前の一人を丁寧に扱うことです。
久しく連絡していない人に、短い便りを送ってみる。
家族の話を、途中でさえぎらずに最後まで聞いてみる。
その一歩が、未来の自分を支える縁の種になるのです。
縁は貯金とは違います。
晩年になってまとめて引き出せるものではなく、日々のやり取りのなかで少しずつ育っていくものだからです。
執着を手放し、感謝で受け取り直す
晩年に心がふさいでいく方には、もう一つの特徴があります。失ったものや、手に入らなかったものへの執着です。
あのときこうしていれば。あの人さえいなければ。
過ぎ去った場面を何度も思い返し、悔いや恨みを握りしめてしまう。
握る力が強いほど、心は過去に縛られ、今日のささやかな幸せが見えなくなっていきます。
手放すというのは、忘れることでも、なかったことにすることでもありません。
起きた出来事を、自分を育ててくれた経験として受け取り直すことです。
さきほど、苦しい出来事には学ぶべきメッセージが込められているとお話ししました。
過去の痛みもまた、見方を変えれば私を一歩進ませてくれた糧だったのだと思えたとき、執着の力はゆるんでいきます。
そのために私がお勧めしているのが、一日の終わりに感謝を三つ思い出す習慣です。
温かい食事がとれたこと。声をかけてくれた人がいたこと。体がまだ動いてくれること。
どんなに小さなことでもかまいません。
これを続けるうちに、心の焦点が、足りないものから今すでに在るものへと移っていきます。
不思議なもので、感謝の量が増えるほど、執着の握力はやわらいでいくのです。
晩年が穏やかな方は、特別な幸運に恵まれた人ではありません。
すでに手の中にあるものへ目を向ける習慣を、こつこつと続けてきた人なのだと思います。
よくある質問
もう年を取ってしまいました。今から変えても間に合いますか
間に合います。晩年の幸不幸は、残りの年数の長さで決まるものではありません。
心の向きが変われば、見える世界はその日のうちから変わり始めます。
昨日まで不平に向いていた心を、今日は感謝へ向けてみる。
その小さな一歩に、遅すぎるという時期はないのです。
これまで人を大切にできませんでした。手遅れでしょうか
手遅れではありません。過去をやり直すことはできませんが、今ある縁を温め直すことはできます。
まずは身近な一人に、ありがとうと伝えるところからで十分でしょう。
こちらが心を開けば、相手の心もゆっくりとほどけていきます。
縁は、いくつになっても結び直せるものです。
お金の不安が強く、心の余裕が持てません
お金の備えは大切ですし、現実的に整えておくに越したことはありません。ただ、いくら蓄えても不安が消えないという方は少なくないのです。
不安の正体は、金額そのものではなく、満たされなさへ向いた心の習慣にあることが多いように思います。
今あるものに目を向ける練習を重ねると、同じ状況でも心の余裕は変わってきます。
現実の備えと、心の備え。
この両方を少しずつ整えていくことが、安心して晩年を迎える道になるのではないでしょうか。
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