ドイツの観念論哲学者として有名な、イマヌエル・カントという人がいます
彼の哲学は難解としても有名で、私も高校の頃に代表作の『純粋理性批判』を読んだことがあるのですが、はじめは読み進めるのに大変な時間がかかったのを覚えています
専門的な用語については、文章を読み進めていって、おそらくこの言葉の意味は、こうした事を指しているのだろうと推測し、少しづつ分かっては、また初めの方に戻って読み直さなければ、意味がつかめない為、とても時間がかかるのです
しかも本自体も大変なページ数ですので、これを読破するとなると、たいへんな時間を浪費してしまいます
現代の若者では、ほぼ読めないのではないかとも思われます
要約か入門書などで満足するしかないかと思います
前置きが長くなりましたが、要するにカントが言いたかったことを、簡単に説明すると、「人間の理性には限界があって、それを超えたものは人間には分からないのだ」と言いたいのです
人間が世界を認識するには、もともと人間に備わった思考の枠組みのようなものがあって、それに当てはめて世界をとらえているのだと言います
つまり、人間は物自体を認識しているのではなく、人間の持っている枠組みの中でしか、世界を自覚することは出来ないのです
たとえば、色彩についていえば、世界には大きく分けて七色の色彩があるとされています
しかし、それらは人間の目が認識できる、色の波長の光だけを、見ているにすぎません
それ以外にも、赤の外には赤外線の領域が広がっていますし、紫の先には、紫外線の領域が広がっています
広大な光の領域が広がっているわけですが、人間の目には、赤から紫までの七色しか認識できないのです
この例えが適切かわかりませんが、そのように人間の理性には限界があって、それを超えた物に関しては、認識することは出来ないのです
世界の実相についても、本当は私たちの認識とは全く違ったものかもしれませんが、私たちにはそれが判らないわけです
そのようにカントは人間の理性の限界を「純粋理性批判」という本で述べているわけです
そこで問題となるのが、では、神様も私たちの理性では存在を証明することは出来ないとして、故に神は存在しないのだという理解が広まった点があります
カント以降には、哲学的に無神論の流れが出てきたと言えます
人間の理性には限界があって、神様の存在を証明することも不可能だと明らかにしたことが、イコール、神様は存在しない事のようにされていったのです
しかし、カント自身は神の存在を否定したわけではありませんでした
「純粋理性批判」に続く彼の著書で「実践理性批判」というものがあります
その書でカントは「人間は最高善を求める存在だ」としています
そして”最高善”という境地に人間が到達するには、今世では無理な事も分かっていました
そのため、「魂は不死なはずであり、それゆえに人は、最高善に到達することが出来ます」
さらに「神様の働きがなければ、そうした境地に導かれるはずが無い」として、合理的に神様の存在は証明出来ませんが、推測し存在するはずだと主張していたわけです
このカント哲学によって、結果的には無神論が広まりを見せたと思います
人間の理性では神は認識できない、それゆへ神は存在しないのだと短絡的に考えられてきました
しかし、カントの考えからすると、道徳的問題を突き詰めると、神の存在や、魂の不死について認めざるを得ないのです
魂や神が存在しないとなると、人間は機械と同様な存在であり、その尊厳も生じてこない事になります
今日は少し難しいですが、なるべく分かりやすく、カント哲学についてお話ししてみました

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