2021年4月8日木曜日

ソクラテスの言う『無知の知』は神様の前で謙虚である事


ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年)の名前は哲学者として有名です

彼は古代ギリシアの哲学者であり、お釈迦様、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられることがあります

ソクラテスの言葉として有名なのは「無知の知」や「汝自身を知れ(デルフォイの神殿の正面の額に刻まれていた言葉と言われる)」、「人は単に生きるのではなく、善く生きることが大切だ」などがあります

ソクラテスは今から2500年近くも前に生まれた方で、お釈迦様や孔子などと近い時代に生まれています

当時のギリシャにはたくさんの知識人とされる人がいたのですが、そのなかで最も知恵者は誰か?を探るためにデルフォイのアポロン神殿に神託を聞きに行った人がいて、その時の答えが「ソクラテスより賢い人間はいない」という者だったそうです

当時は神殿に巫女さんがおられて、神様からのお告げを伝えていたそうです

一番の知恵あるものは誰か?と思った人が神託を受けたら、それがソクラテスだったとされています

この神託を言いてソクラテス本人は信じがたいと思います

ソクラテスは謙虚だったようで、私が一番賢いというのはどいう言う事か?と思って、その真意を確かめるべく、当時の知恵あるものとされた人物の元を訪ね歩きます

当時、智慧らるものとされた人たちと議論を交わすのですが、ほんとうの知恵あるものとは思えませんでした

そうした経験を通して、ソクラテスは「私も彼も知恵はたいしたことは無いが、他の人はそれを自覚していない。自分は無知であることを自覚している分だけ、彼らよりも知恵がある」と考えます

ソクラテスは神託そのものが間違っているとは恐れ多くて思えませんが、自分が一番の智者とも思えません。そこで他の知恵あるものとされる者たちと議論を交わした結果、彼らは何も知らないのに、あたかも知っているように過信してしまっています

ソクラテスは知的に謙虚ですから、「自分は知識が無いと分かっていますけど、彼らはそのことが分からず認めようともしません

それゆえ、自分は無知であると思っている自分の方が、無知を知らない者たちよりも賢いのだとデルフォイの神託は言っているのだ」と解釈します

このソクラテスの有名な「無知の知」には、一般的には述べられていませんが、神様への畏敬があります

彼は「神のみぞ知る」という言葉を頻繁に使っていたように、本当に物事を知っているのは神様であって、地上にある私たち人間の知性には限りがあるとする認識があります

世界の究極的な真理を分かっているのは神様であって、それに比べれば私たち人間の知識など些細なものだという事です

しかしながら、諸君、真に賢明なのは独り神のみであり、(中略)人智の価値は僅少もしくは空無であるということに過ぎないように思われる
『ソクラテスの弁明』

現代においても知識人とされるものの数は増えてきましたが、真理を知っているものは減ってきているのではないでしょうか?

科学の発達によって、何でも知ったかのように奢るものも増えましたが、霊的真理、神の世界創造については無知であります

もしも現代にソクラテスがいたならば、そうした科学者の愚かな慢心を打ち砕くことをしていたように思います

ニュートン力学や万有引力を発見した事で有名な科学者のアイザック・ニュートンも「目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっている。だが、私はその浜辺で貝殻を拾い集めているに過ぎない」と述べています

現代人が失ったもっとも大きなものは、この知的な謙虚さにあるかも知れません

人々の無知を暴いたソクラテスは、青年を堕落させるとして告発され、裁判にあい、死刑となっています

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