「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ。」
これはロシアの文豪トルストイが残した言葉です。
短い一文ですが、人間の幸福と不幸の構造を見事に言い当てています。
私はこの言葉を初めて読んだとき、背筋が伸びるような感覚を覚えました。
そして同時に、自分の中にも他人の不幸をひそかに願う気持ちがあることを、認めざるを得ませんでした。
今日はこのトルストイの言葉を入り口に、幸福と人間関係について考えてみたいと思います。
積極的に他人を踏みつける生き方
世の中には、人を騙してお金を手に入れたり、ライバルをおとしめて優位に立とうとする人がいます。
オレオレ詐欺はその代表でしょう。
不安につけ込み、家族を思う気持ちを利用して、お年寄りの財産を奪っていく。
これはまさに「他人の不幸の上に自分の幸福を築く」生き方です。
同じ構造の行為は、もっと巧妙な形でもあちこちに見られます。
誇大広告で消費者を錯覚させて売りつける商売。
同僚の手柄を横取りして昇進していくサラリーマン。
恋人を都合よく利用してから捨てる人。
形は違っても、誰かを踏み台にして自分だけが上に行こうとする心は同じです。
こうした生き方は、短期的にはうまくいっているように見えます。
しかし霊的に見れば、そのとき自分の魂には深い傷がついています。
その傷は、いずれ人生のどこかで、思いがけない形で痛みを伴って現れてくるのです。
消極的に他人の不幸を願ってしまう私たちの心
もっと厄介なのは、自分でも気づかないうちに他人の不幸を願ってしまう心です。
これは詐欺師の心とはちがい、私たちごく普通の人の中にも潜んでいます。
日本人に特に多いと感じるのが、成功者やライバルへの嫉妬です。
同期が先に出世した。
同級生が大企業に就職した。
友人が玉の輿に乗った。
そうした話を聞いたときに、純粋に「よかったね」と祝福できる人は、実はそう多くありません。
多くの場合、まず先に「ずるい」「なんであの人が」という思いがちらりと顔を出します。
そして「あの人は本当は人間性に問題がある」「そのうちきっとうまくいかなくなる」と、相手の不幸を密かに期待する声が心の奥でつぶやくのです。
このつぶやきは、表に出さなければ罪にならないと私たちは思いがちです。
しかし霊的な視点で見れば、思いそのものがエネルギーであり、種です。
蒔いた種は、いつか必ず自分の畑に芽を出します。
「お金持ちを成敗する」物語が好まれる理由
日本では、お金を儲けた人を悪とみなして引きずり下ろす空気が、しばしば社会全体を覆います。
かつてのリクルート事件、堀江貴文さんの逮捕、ゴーン氏の逮捕。
いずれも海外から見ると「やり方がおかしい」という声が上がっていました。
しかし国内では「お金持ちを成敗するのは正義」という空気の中で、深く検討されないまま叩く側に回る人が多くいます。
この心理の背景には、時代劇の構造があると私は感じています。
悪い商人と代官が裏で手を組み、貧しい庶民を苦しめている。
そこに正義の人物が現れて、悪人を成敗する。
このわかりやすい勧善懲悪のパターンが、私たちの心に深く焼きついています。
そして現実のニュースを見るときも、無意識にこの構造をあてはめてしまうのです。
けれども現実は時代劇ほど単純ではありません。
お金持ちのすべてが悪人ではなく、貧しい人のすべてが正しいわけでもありません。
表面の構造に飛びついて誰かを叩いているとき、私たちは知らずに「人を不幸にすることで気分よくなりたい」という願いを叶えているのです。
身近な人の幸せを素直に喜べないとき
大きな事件だけが問題なのではありません。
もっと身近なところにも、同じ心の動きは現れます。
就職活動中の学生さんが、友人だけ先に内定をもらったと聞いたとき。
素直に「おめでとう」と言いたいのに、心のどこかが冷たくなる瞬間があるでしょう。
結婚を望んでいる女性が、友達の幸せそうな結婚式の話を聞いたとき。
笑顔の裏で、胸の奥が小さく痛むこともあるでしょう。
こうした感情は、人間として自然なものです。
無理に消す必要はありません。
大切なのは、その感情に支配されて、相手の不幸を願う側に滑り落ちないことです。
「うらやましい」までは人間の弱さとして許される範囲です。
しかし「あの人が不幸になればいい」と願い始めたとき、自分の心の畑に毒の種を蒔いていることになります。
その種は、いずれ自分自身の幸福を蝕んでいきます。
幸福と不幸はつながり合っている
トルストイの言葉が深いのは、「他人を踏みつけてはいけない」という戒めにとどまらないところです。
「他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もある」と続けたところに、人間関係の真理があります。
誰かの幸福を心から祝福できたとき、私たちの心は不思議とあたたかくなります。
逆に誰かの不幸を願っているとき、相手より先に自分の心が荒んでいきます。
つまり、他人の幸福を願う心と、自分自身の幸福は、別々のものではないのです。
霊的な世界では、すべての魂はひとつの大きないのちから分かれた兄弟姉妹だと考えます。
そう考えれば、他人の幸福を願うことは、結局のところ自分の延長線上にある誰かを祝福することにほかなりません。
祝福のエネルギーは、相手に届くと同時に、自分自身の心にも光をともします。
祝福する練習を、今日から少しずつ
嫉妬や妬みを、いきなりすべて手放すことは難しいでしょう。
私自身、長年の修練を経てもなお、ふとした瞬間に醜い思いが顔を出すことがあります。
大切なのは、そのときに気づき、心の方向を切り替える習慣をつけることです。
誰かの成功を聞いて胸がざわついたら、その人の顔を思い浮かべて「よかったですね」とそっと心の中で唱えてみてください。
最初はうそっぽく感じるかもしれません。
それでも続けていると、不思議と心が軽くなり、相手の幸福を本当に喜べる瞬間が増えていきます。
そしてあるとき気づくのです。
他人の幸せを喜べる心は、そのまま自分の幸福を受け取る器でもあったのだと。
トルストイの言葉は、戒めであると同時に、私たちへの優しい招きでもあります。
誰かを蹴落とすことなく、ともに幸福になっていく道はちゃんと用意されています。
その道を選ぶかどうかは、いつでも私たち自身の心の決断にゆだねられているのです。
他人を犠牲にしない幸福という基本線は、幸福完全ガイドの章にも続けて置いてあります。
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