3年前、世界中に衝撃が走った、安倍晋三元総理大臣の銃撃事件。
そして、ついにその裁判が始まり、被告である山上徹也氏が犯行を認めました。
この事件には、宗教的な問題、家族の悲劇、社会からの孤立、そして深い絶望が絡んでいます。
スピリチュアルな観点から見つめたとき、この事件は私たちすべての魂への問いかけでもあるのです。
被告の背景にある“宗教”の影響については、すでに多くが報道されています。
一部の信仰団体によって家庭が壊れ、金銭的・精神的に追い詰められた人は、彼だけではありません。
スピリチュアルな真理に照らして言えば、魂は本来、自由であるべきもの。
誰かを盲信し、自己を手放してしまうような「依存の信仰」は、愛と光からむしろ遠ざかってしまうものです。
愛とは、支配ではなく、許しであり、解放であり、魂を育むもの。
けれど、カルト的な信仰は「恐れによる服従」を教え込み、組織や教祖に依存させ、魂の光を覆い隠してしまいます。
こうしたカルト宗教による被害は後を絶ちません。
犯人の山上被告も幼少期から厳しい環境にあったという点は同情される向きもあります。
しかし――
どんな理由があったとしても、暴力によって人の命を奪うことは、決して正当化できません。
すべての行為は、相応の反作用を生みます。
憎しみによって行われた行動は、また新たな苦しみを生み、魂の輪廻に重くのしかかります。
光を志す私たちは、どんなに深い絶望を感じたとしても、そのエネルギーを“癒し”や“祈り”へと昇華していくことを学ばなければなりません。
真の勇気とは、怒りに任せて誰かを裁くことではなく、
痛みを抱えながらも、愛と平和への道を選び取ることなのです。
この事件を通して、私たちは改めて問われています。
「自分はこの社会に、どのような光を届けているだろうか?」と。
一人ひとりの心に、小さな“平和の種”を蒔いていくこと。
それが、やがて大きな光となって社会を変えていくはずです。
目の前の人に、優しい言葉をかけること。
傷ついた魂に、温かいまなざしを向けること。
それが、闇に光を灯す最初の一歩になります。
私たちは、自由意思を持ってこの地上に降り立ちました。
怒りを選ぶことも、許しを選ぶことも、私たちの心次第です。
社会に潜む不正義や闇の構造には、これからも声を上げていかなくてはなりません。
しかし、変革のために選ぶべきは「暴力」ではなく、「真実の言葉」と「魂の光」です。
山上被告のような悲劇を、二度と繰り返さないために。
私たちもまた、自らの内なる闇と向き合い、日々、光を選び取って生きていきましょう。
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