はるか昔、ナイルの流れとともに栄えた古代エジプトの文明は、今なお多くの人々の心を惹きつけ続けています。
その理由は、物質世界の背後にある「霊的な真実」への深い洞察にあるのかもしれません。
古代のエジプト人たちは、人間をただの肉体ではなく、複数の霊的要素によって成り立つ存在として捉えていました。
なかでも特に重要とされたのが、「カー(Ka)」と「バー(Ba)」という二つの霊の側面です。
今日はこの二つの側面についてスピリチュアルな視点から考察してみます。
カー ― 生命の息吹を宿す、見えざるもうひとりの自分
古代エジプトにおいて「カー」は、その人の生命力そのものであり、見えない分身のような存在とされていました。
神話では、創造神クヌムが人間をろくろで形作るとき、同時に「カー」も創り出すと語られています。
それはまさに、魂の設計図とも言える霊的な器。
私たちの肉体に寄り添い、命があるかぎり共にある存在です。
肉体が朽ちると、カーはその身体を離れますが、消え去ることはありません。
墓にとどまり、子孫や神官たちが捧げる供物を受け取る――
そうして来世へ向けての準備を続けていると信じられていたのです。
エジプトの墓に残された彫像や絵画は、このカーが宿る依り代として、
来世への霊的なつながりを保つための神聖な拠点だったのでしょう。
霊的な視点から見た「カー」
では、このカーの概念について、スピリチュアルな視点から考えてみます。
カーとは、私たちが地球に生まれてくる時に、肉体に宿って生まれてきますが、ストレートに肉体に宿るのではなく、その間に、幽体というものが存在します。
幽体は私たちの肉体に重なり合うようにして存在する、霊的な身体の事です。
幽体と肉体は繋がり合っており、肉体が損傷した時には霊内にも影響が出ますし、霊体に不調があると、肉体にも病気などとして現れてきます。
このように私たちは肉体と共に、霊的な体にも宿って生まれてきています。
その幽体は、エーテル体と呼ばれる事もあります。
私たちは死後に肉体から離れるとともに、あの世に帰る時には、この幽体も脱ぎ捨てていきます。
エジプトの伝承でカーが墓場に留まると言われているように、幽体も時には遺体の近くでとどまり、幽霊として目撃される場合もあるようです。
幽霊にはこのようにカー(幽体)を目撃している場合と、そのなかに魂の宿った実在の霊を見ている場合があります。
私たちが地球で生きる際に、肉体と共に霊的な体として存在するのがこのカー=幽体です。
バー ― 魂の個性と自由を象徴する存在
対照的に、「バー」は魂の個性や意識そのものをあらわします。
その姿はしばしば、人間の頭を持つ鳥として描かれてきました。
これは、バーが自由に空を飛び、時空を越えて旅する魂であることを象徴しています。
エジプトの人々は信じていました。
死後、バーは肉体を離れて世界を自由に飛び回り、夜には再び自分の墓に戻り、カーと結びつく――その再結合によって、死者は来世へと旅立つ力を得るのだと。
霊的な視点から見た「バー」
バーとは、私たちが魂としてイメージする存在の最も近い存在です。
私たちを有らしめている核の部分がこの魂です。
死後に肉体や幽体を脱ぎ捨てて、あの世に旅立っていくのがこの魂の部分です。
地上を超えて自由にあの世に行き来できるのが、このバー=魂なのです。
魂の叡智が教えてくれること
カーとバーの教えは、私たちにこう語りかけてくれます。
あなたは、肉体と幽体という「器」を通して、魂という「光」をこの世界に表現する存在です。
そしてやがては肉体や幽体を脱ぎ捨てて、あの世へと旅立つ魂が本質なのです。
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