2025年10月17日金曜日

維新・吉村洋文代表の前世


日本維新の会の吉村洋文代表が、自民党との連立協議で議員定数削減を絶対条件として提示し、大きな話題を呼んでいます。

政治家が自らの身を切る「身を切る改革」を訴え、常に民衆の側に立つ姿勢を貫く吉村代表。

その姿を見ていると、ふと、ある過去の人物の姿が浮かんできます。

もしかしたら、吉村代表の前世は、飢饉に苦しむ庶民のために立ち上がった義民だったのではないか——。

今回は、今注目の吉村さんについて感じたことをご紹介します。


記憶に新しい方も多いでしょう、2024年に起きた「令和の米騒動」。

米価が高騰し、一部では品薄状態に陥りました。

この時、吉村代表は政府に対し、備蓄米を放出して市場価格を安定させるよう強く求めました。

この行動は、多くの国民の共感を呼びましたが、同時にある歴史的な出来事を彷彿とさせました。

それは、江戸時代後期の天保の大飢饉の際に、庶民を救うために立ち上がった人々の姿です。

当時も凶作が続き、農民たちは飢えに苦しんでいました。

しかし、役人や商人たちは米を買い占め、さらなる利益を得ようとしていたのです。

この状況に憤り、立ち上がったのが元大阪町奉行所の与力であった大塩平八郎です。

1837年に起きた大塩平八郎の乱とは、天保の大飢饉による米価高騰と、それに伴う民衆の窮状を救うため、元大阪町奉行所与力で陽明学者の大塩平八郎が起こした武装蜂起のことです。

大塩は自らの蔵書を売り払って得た金で民を救済しようとしましたが、限界を感じ、幕府役人や豪商の屋敷を襲撃し、不正を正そうとしました。

乱自体は一日で鎮圧されましたが、幕府の元役人が起こした反乱として、社会に大きな衝撃を与えました。

吉村代表が政府に米の放出を訴えた姿は、まさにこの大塩平八郎のように、民衆の窮状を救うために権力に物申す姿と重なります。

しかし、吉村さんの前世が大塩平八郎その人とは違うように感じます。

彼に刺激され、同じように立ち上がった人物の一人ではないかと思われます。

大塩平八郎の乱は、各地で同様の動きを誘発しました。

その一つが、越後の国学者・生田万が起こした「生田万の乱」であり、そしてもう一つが、摂津能勢(現在の大阪府能勢町)で起きた「能勢騒動」です。

この能勢騒動を率いたのが、山田屋大助という人物でした。

1837年に起きた能勢騒動とは、大塩平八郎の乱に触発され、山田屋大助らが摂津国能勢郡で起こした一揆のことです。

大助は「徳政大塩味方」と書かれた旗を掲げ、飢餓に苦しむ農民たちと共に徳政(借金の帳消し)などを求めて蜂起しました。

山田屋大助は、大坂で薬種商や手習いの師匠をしていた人物で、大塩平八郎の思想に深く共鳴していたと言われています。

故郷である能勢の惨状を知り、いてもたってもいられず、農民たちの先頭に立って立ち上がったのです。

自らの身分を顧みず、民衆のために行動を起こした山田屋大助。

その姿は、現代において「身を切る改革」を掲げ、既得権益に切り込もうとする吉村代表の姿と、不思議とシンクロするように感じられないでしょうか。

偶然にも、能勢騒動の舞台となった大阪府能勢町は、吉村代表が知事を務めた大阪の一部です。

吉村代表の魂には、かつて民衆のために戦った義民の記憶が刻まれているのかもしれません。

連立協議の行方も気になりますが、吉村代表の行動の根源にあるかもしれない、遠い昔の魂の叫びに思いを馳せてみるのも、また一興ではないでしょうか。


著書『アースチェンジ——近未来の警告書では、これから訪れる地球の変革について書いています

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