高名な禅師のもとに、学者さんが禅とは何かを尋ねに来ました
その和尚は客人に碗を出してお茶を注ぎます
お椀いっぱいに茶を注いでも一向にとめようとしません
しまいにはお茶があふれだし、こぼれてしまいます
訪ねてきた学者は「お茶があふれてしまっていますよ」と禅師に注意します
すると禅師は「あなたの頭の中はこのように自分の考えであふれている。まず空にしてから禅とはなにか質問されよ」と返しました
知識を得ることはよいですが、ガラクタの知識を頭に詰め込みすぎて、肝心の真理が入っていかない人がいます
質問をしてくる人でも、自分の不遇や世の中への憤りを述べ、その事で頭がいっぱいになり、言葉を受け入れられなくなっている人がいます
ご自身の考えや感情に固執してしまい、他人の意見が入れられなくなってしまうことがあります
この世的な知識を詰め込みすぎた人にも、霊的なものを受け付けなくなる人がいます
真理からすればガラクタで部屋の中をいっぱいにして、本当に必要なものが入れられない状態です
これららどれも哀れな状態であり、知的な固執や執着からきています
他の意見や見解も入る隙間はいつも必要なものでしょう
3 件のコメント:
最近のヒマさえあればスマホを見ている人たちは、これに当たると思います。
絵がツボです😂でもとても考えさせられました。ありがとうございます。
答えを教えてあげたくても伝わらない。都合の良いように切り取られてかえってマイナスに働く。
けっこうあります。
ガラクタの例えすごくよく分かります。あの城壁ほんと粉々に叩き潰したい。
自分も頑迷なところ少なからずあるんで気をつけます。