2018年7月26日木曜日

不幸に陥る落とし穴 お釈迦様の悟り



昨日は置かれた環境で忍耐することと、新らたな環境にチャレンジする話をしました

人はどちらかに揺れる傾向があって、両極端にブレるとそれが不幸の原因ともなります



今日はそれとも繋がるお釈迦様のお話を紹介いたします

お釈迦様が王宮を出て修行していたときの事です

まだ大悟される前に、厳しい肉体修行に打ち込まれていました

そのため骨と皮だけのような姿になり、沐浴しようと川に行かれます

するとあまりに痩せていたため、流されそうになります

そこへ村娘が歌いながらきました

「楽器の弦は強く引けば切れてしまい、緩んでいると音が鳴らない、中ほどにしてちょうどよい」

そのような内容の歌だったと言います

お釈迦様はハッとして一つの悟りを得ます

「厳しい修行によって骨と皮だけになった自分の今の姿は、弦を強く引きすぎたように、今にも切れてしまいそうな状態だ

また、王宮にいた頃のような、贅沢な暮らしの中では、緩んだ弦のように、音が鳴らない

正しい道は、これらの両極端の生活には無くて、中道にこそあるのだ」っと悟られました

それから村娘に乳粥を布施してもらい、肉体を養われながら、中道のなかで瞑想行をして、やがて大悟され仏陀となりました

この中道というのは極端な思いや生活から離れて、正しい道を歩むための指標となります

昨日の話しを振り返ると、忍耐強くあることはよいですが、ずっとその場所に固執して、執着してるとそれが苦しみのもとになってしまいます

海のタコを獲るのに壺を沈めてそれを引き上げる漁法があります

タコは狭い隙間が好きなので、壺の中に好んで入っていきます

すると漁師は設置してあった壺を引き上げるわけですが、タコは必至で壺からはがされないように吸盤で吸い付きます

もしタコが異変に気付いて壺から飛び出せれば助かったのですが、逆に壺に執着して離れないため、漁師の手に落ちるのです

そのように人もその場に固執しすぎるがために不幸を選んでしまうことがあるのです

忍耐も大切ですが、新たな環境へと飛び出す勇気も必要です

また、逆のパターンとして、何でもかんでもすぐに飽きてしまい、長続きできない人がいます

職業でも一つの職場に長く続けることが出来ずに、職を転々とする生活を送る人がいるでしょう

そうした生活をしていると、はじめはよいとしても、段々と厳しい生活に落ちいってしまいます

若い頃はよくても、年を取ってくると仕事先もなかなか見つからず、いただける給料も安い仕事しか見つからなくなってくるようになります

そうした人は、一か所でやり抜く忍耐が不足しているといえます

このように、どちらかに比重がかかってしまうと、どちらも不幸に陥てしまうことになります

先日紹介しましたエピクテトスも、ストア派というストイックの語源ともなった哲学派に属しています

ストア派は破壊的な衝動に打ち勝つために、自制心や忍耐力を鍛えることを説いています

それは良いことですが、あまりに極端に行ってしまい、不幸を求めたり、苦しい環境を脱することが出来なかったり、自らを痛めつけるような苦行のようなものまで行ってしまうとブレすぎてしまうでしょう

エピクテトスと反対ともいえる哲学に、エピクロスという人物がいます

名前が似ているのでややこしいですが、エピクロスは快楽を求めることを主張した人です

後に快楽主義者をエピキュリアンと呼ぶようになったのも、彼の名前から来ています

自分の快だけを求める生き方には、忍耐も無くなり、堕落する人が出てきます

仕事は嫌だから必要最小限にとどめて、あとはゲームをしたりパチンコや競輪競馬などに熱を出す人がいます

そうした人も自らの快楽に忠実で、快を求める生き方をしていると言えますが、後には苦しみが追ってきます

お釈迦様は苦行も快楽もどちらにも悟りの因は無く、中道にこそ涅槃の悟りの境地に達せられると説きます

これは不苦不楽の中道とも呼ばれるものです

涅槃とは難しい説明になることもありますが、私流に簡単に説明しますと、お釈迦様が望まれた安らぎのある幸せな境地ということです

苦も楽も、どちらも極端に行ってしまっては、本当の幸せは得られないのだとお説きになられたのです

両極端にブレてしまうと、人は不幸に陥ってしまいます

自身を客観的に見つめて、どちらかに片寄っていないかを見直すと、不幸の落とし穴に陥らずにすみます

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10 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今回の記事と関係なくてすみません。 14日の因果応報の記事を読みました。
戦争地帯などの危険な情勢を取材して多くの人に知ってもらうジャーナリストという職業についてどう思われていますか?

匿名 さんのコメント...

インヤン なんでもバランスが大事なんですね。日々 いろいろ考えながら 常に思います。そうすると自然に欲も減って生きやすくなる気がします。それが宇宙の真理、法則なのですかねー。(^_^;)

一慧 さんのコメント...

おっしゃる通り、我自覚しないうちに極端な思いや生活に陥っていることがあります
自らを縛りあげるような思い癖というもの、肉体的な怠慢というものにも陥り易いです
洪さんのように自己管理を厳しくなさる方もいらっしゃいますけども・・
心情的に物事に対する中庸(達観)を意識することは、心掛けていきたいものです

この度の挿絵の猫ちゃんは、バランス取る為に真剣修行中!といった眼差しでとっても凛々しいお顔してますね!

匿名 さんのコメント...

今回のお話の中に自分の姓と同じ言葉が出てきたので不思議な気持ちです。
自分の姓の意味がわかり、これからは言葉の意味を噛みしめて、この姓になったのも何かしら意味があり縁があったのだと思い、大切に生きていかねぱと思いました。
ありがとうございます。

洪 正幸 さんのコメント...

ジャーナリストについてですが、どのような思いを持っていかれているかによりますね
こうした悲劇のあることを知らせて無くして行きたいと思っているのか、実際は衝撃的な出来事に引かれる傾向のためとか、ショッキングな出来事をとって自分のステータスのためにしているかなど、人によって違いがるように思います

洪 正幸 さんのコメント...

正しさはつねに考え続けていないと道を見失ってしまいますね

洪 正幸 さんのコメント...

ひとはどうしても偏りがちになてしまいますね

この猫ちゃんは来世はサーカス団員を夢見て修行しているのかもしれませんね

洪 正幸 さんのコメント...

こんばんは
名前についても意味のあることがあるようですね
生まれるときに選んでいるのでしょう

匿名 さんのコメント...

私自身の悔い改め、反省した体験談ともなりますが、、

このお釈迦様のお話を、以前に「琴の糸」というタイトルの絵本で知りました。

私がある宗教団体を脱会する決心をしていた時期だったと思います。

「己に厳しく、信者さんにも厳しく」そんな私でしたので、お釈迦様のお話はとても心に響きました。

また、ちょうどその時期にマスコミで○○教会の話題が取り沙汰されていて、歌手のSさんが「神のためには自分を殺すのです」というような言葉を残して、お隣の国へ合同結婚式に行かれたのをテレビで見ました。

私自身もまた宗教の世界に入って、同じような気持ちになっていたことを気付かされ、大いに反省いたしました。

宗教団体では指導者として活動していましたので、信者さんたち一人ひとりに頭を下げてお詫びしたい気持ちにもなりました。


何とか完全に脱会が出来、それからいろんな本を読み、人と会い、少しづつ軌道修正していきましたが、自分がほんとうに井の中の蛙だったことを痛感しました。

あれからもうかなりの年月が経っていますが、紆余曲折はあったものの、こうして正しい道へと導かれていることはほんとうにありがたいことだと思っています。

まだまだ学びの過程ではありますが、私も光を届けられる存在を目指して努力したいと思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。






匿名 さんのコメント...

>また、逆のパターンとして、何でもかんでもすぐに飽きてしまい、長続きできない人がいます。

私は10年近く、職を転々としてきました。
日本人で尚且つ女性では珍しいタイプだったかもしれません。
幼少期から成人するまで我慢することが多かった人生の反動だったと思います。

その反動もそろそろ落ち着きそうです。
ずーっと職を転々するというのも、長くやっているとある意味パターン化されてきてしまうんですね(笑)
忍耐に寄りすぎた人生と、解放に寄りすぎた人生、どちらも経験してようやく中道を見つけられそうです。

例に出た弦のお話、とてもわかりやすい例えですね。
音楽はスピリチュアルと関係性が強いと聞いたことがあります。
私はピアノをやっていますが、ピアノの中にも中道を見出すことができます。