誰かの何気ない一言が、胸に刺さったまま抜けないことがあります。
批判や悪口を受けて、何日も立ち直れずにいるあなたへ向けて、この記事を書きました。
私のもとにも、人からの言葉で傷ついてしまい、なかなか立ち直れないのですがどうしたらよいですか、という相談がよく届きます。
実は私自身、もとは非常に傷つきやすいタイプでした。
学生時代には、友達のふとした言葉にも傷ついていたのです。
それでも今では、日々いただく批判を軽く受け流せるようになりました。
その変化に何があったのか、そして傷つきやすさから立ち直る道筋を、霊的な視点も交えてお伝えします。
なぜ言葉にこんなに傷ついてしまうのか
言葉に傷つきやすい人は、心が純粋でまっすぐな方だと私は思っています。
ただ、自分のことで悩みを抱え込みすぎているところがあるでしょう。
若いころは特に、自分が周りからどう見られているかを気にしすぎて、余計に傷つきやすくなっていることがあります。
そして霊的な視点から見れば、あなたという存在は肉体でも他人からの評価でもなく、永遠に学び続ける魂そのものです。
この世は魂にとって仮の学び舎であり、傷つく経験さえも、魂を磨くための教材として用意されています。
ですから、言葉に傷つくこと自体は、あなたの弱さの証ではありません。
その繊細さをどう扱うかという課題が、いまあなたの目の前に置かれているのだと受け止めてみてください。
言葉に傷ついたときの立ち直り方
私は今、ブログを大勢の方に読んでいただけるようになり、毎日のように何かしらのご批判をいただきます。
けれども、それらを軽く受け流せるようになりました。
自分が好かれたい、人気が出たいという個人的な欲で書いているのではなく、真理を多くの人に伝えたいという公的な思いがあるからです。
人は個人的な欲や気持ちで動いているとき、打たれ弱くなり、悩みに押しつぶされそうになります。
反対に、より多くの人のためにと考えて公的な気持ちが強くなり、思いの対象が広がっていくと、小さなことは気にならなくなり、物事を大きく捉えられるようになるのです。
もっと心を強くしていこう、些細な言葉はいつまでも心に止めず、翌朝になったら忘れているくらいの強さを持とう、と願ってみてください。
そうした強さを持ちたいと強く思い続けていれば、徐々にバリアーのように、自分を傷つける言葉への防御力がついていきます。
そして、自分の悩みばかりに囚われるのではなく、他人の気持ちや悩みにも心を向けてみましょう。
自分だけの悩みに沈んでいると、それは自分を押しつぶすほど巨大化したように感じられます。
けれども人のことに目を向け、愛情を注いでいると、自分のことは小さなことのように感じられていくのです。
本当の自分に帰るために
心を守る鎧が、やがて自分を苦しめる
人のこころは痛がりですから、傷つかないようにと鎧で身を守ろうとします。
もう傷つかないように、悲しみに出会わないようにと、重い鎧を身に着けていくのです。
そしていつしか、その鎧そのものが自分自身であるかのように感じ、周りの人もそう思うようになります。
そこにあるのは、重く醜い姿です。
傷つかないようにとまとった重い鎧は、肉に食い込み、やがてそれ自体が苦しみを生みだします。
人は、自ら生みだしたものに苦しんでいくのです。
私も子どもの頃から、他人の言葉や思考を過敏に感じ取ってしまい、そこから苦しみを生むことが多くありました。
神経が過敏で、ちょっとしたことでも傷ついてしまう性格だったのです。
そのため知らず知らずのうちに重い鎧をまとい込み、いつの間にかそれが新たな苦しみを生んでいました。
他人がどう思っているかを必要以上に気にしてしまうため、人と会うのが苦手で、会ってもうまく溶け込めずにいたのです。
警戒して愛想よくできないために、余計に周りの人から敬遠され、ますます傷ついてしまいます。
結局は、自分自身でまとった鎧こそが、自分を傷つけるもとになっていました。
世の中にあふれる、さまざまな心の鎧
世の中には、さまざまな鎧を着た人がいます。
なかには傷を隠すためにかえって饒舌になり、他人に話す隙もないほど話したてる人がいます。
急におしゃべりになって話し続けるのも、傷つきたくないがために鎧をかぶっている姿でしょう。
あるいは、傷つけられる前にと、先に相手を攻撃してしまう人もいます。
自分が傷つけられるのが嫌なために、率先して周りの人を傷つけたり攻撃したりする人が出てくるのです。
そのなかには、自分が傷ついてきた分を分かってもらいたくて、他人にも同じような苦しみを与え、自分の傷を癒そうとしている人もいます。
ある業界や部活などで、伝統的に後輩を理不尽な目に合わせる風習があるのも、自分たちがされた分を下の者に味わわせるというものでしょう。
他にも、必死に万能な姿を見せて、自分のコンプレックスを隠そうとする人がいます。
けして弱点を見せまいと、何でもできることをアピールするのです。
このように人は、何らかの形で傷つくまいと、鎧を着て自分をガードしています。
自我の働きとは、自分を守るために必死にバリアーを張り、近づく者を攻撃しようとするものです。
そうして、いつかは自分自身が苦しんでいくことになります。
仏教の無我の教えに学ぶ方法
この自我の働きを抑えるためには、二つの方法があります。
ひとつは、伝統的な仏教の教えにあるように、自我を無くしていき、無我を目指して修行するという方法です。
自分への囚われを去って、我執を手放していく道といえます。
自分がどのような鎧をまとっているかを自覚し、それを脱ぎ去っていく考え方といえるでしょう。
鎧というものを見つめ、不要なものとして脱ぎ捨てていくのです。
愛の思いの中に自我を消していく方法
もうひとつは、自分のことばかり考えて囚われるのをやめて、他人のこと、周りの人のこと、世の中のためになることを考えてみるという方法です。
これは、愛する思いの中に自我を消していくということを意味します。
傷つかないようにと必死に考えている思考は、自分の意識が強く働き、自我が活発になっている状態です。
それを、他人を愛すること、思いやりを持つことによって思いを一転させ、自我の働きを消していきます。
自分が傷つかないようにと考えるのではなく、相手によかれと思って考えてみるのです。
そうすることで、鎧は自然と脱げていきます。
仏教的に執着を手放していく修行も、愛をもって接するという実践も、ともに無我へと通じています。
どちらも、自我という偽物の我の働きを消して、本当の自分に帰るための道といえるでしょう。
今日からできる具体的なアクション
最後に、今日から始められる小さな実践をお伝えします。
まず、傷ついた言葉を夜まで持ち越さないと決めて、翌朝には忘れていると自分に宣言してみてください。
言葉にして決めるだけでも、心の防御力は少しずつ育っていきます。
次に、一日にひとりでかまいませんから、身近な人の気持ちや悩みに心を向けてみましょう。
挨拶に一言添える、相手の話を最後まで聴く、それだけで十分です。
そして夜には、今日の自分はどんな鎧を着ていただろうかと、振り返る時間を持ってみてください。
鎧の存在に気づくことが、それを脱ぐための第一歩になります。
余裕のある日には、より多くの人のために自分は何ができるだろうと、問いかける習慣も持ってみましょう。
思いの向きが外へ広がるたびに、あなたの心は少しずつ強く、温かくなっていきます。
傷つきやすさは、魂の優しさの証
あなたが言葉に傷つきやすいのは、それだけ繊細に他人の心を感じ取れる、魂の感受性が豊かだからです。
その感受性は、鎧で覆い隠すためではなく、誰かを思いやる愛として使うために与えられたものだと私は思います。
この世は、魂が学ぶために訪れている仮の学び舎です。
傷ついた経験のひとつひとつも、あなたを本当の自分へと帰すための、大切な授業になっています。
鎧を一枚ずつ脱いでいった先には、傷つく前のままの、光のように澄んだあなたが待っているでしょう。
どうか焦らずに、今日のひとつの思いやりから始めてみてください。
心の鎧をほどいたあとにも生きることの重さが残るようでしたら、つらさの正体をひとつずつたどっていく生きづらさ完全ガイドが、あなたの歩みに寄り添ってくれるはずです。
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