ある日、車のなかで何気なくつけていたラジオから、ひとつの実話が流れてきました。
放送作家の橋本昌人さんが紹介していた、ある父親から娘へのラブレターの物語です。
聞き流すつもりでいたのに、気づけば胸の奥をつかまれていました。
のちに、この実話と同じ題材を歌った楽曲「きみと死のうと思ったんだ」があると知り、改めて深く考えさせられたのです。
幼い子を抱えた親が、それでも生きる側へと踏みとどまる。
そこには、私たちが魂として生まれてきた理由が、そっと示されているように思えてなりません。
この記事では、橋本さんが語った物語の輪郭を私の言葉でお伝えしながら、なぜこれほど心が動くのか、その正体をたどっていきます。
そして、いま胸が重くてたまらないあなたへ、私なりの言葉も最後に添えました。
「きみと死のうと思ったんだ」のもとになった父親の実話
橋本さんが紹介していた父親は、妻を交通事故で突然に亡くしました。
娘さんがまだ六歳のときの出来事です。
悲しみに沈み、心が参ってしまったお父さんは、生きる力を少しずつ失っていきました。
誰にも本音を打ち明けられないまま、苦しさだけが胸の底にたまっていったのでしょう。
そしてある日、もう幼い娘を連れて妻のあとを追おう、という考えにとらわれてしまいます。
最後の日にしようと、家族でよく出かけた遊園地へ、娘さんと二人で向かいました。
娘さんは何も知らず、無邪気にはしゃいでいます。
その笑顔がまぶしいほどに、お父さんの胸は締めつけられたといいます。
「もう、お母さんのところに行こ」の小さな声
やがて乗り物を降りてきた娘さんが、お父さんと手をつなぎ、こうつぶやいたそうです。
「もう、お母さんのところに行こ」
幼いながらに、お父さんが何をしようとしているかを、娘さんは感じ取っていたのですね。
その小さな声で、お父さんはハッとわれに返りました。
お母さんが悲しむよ、とお父さんが返すと、葬式以来ひと粒も泣かなかった娘さんが、せきを切ったように泣きだしたといいます。
押し込めていた悲しみが、ようやく外へあふれ出した瞬間だったのでしょう。
それから月日が流れ、結婚をひかえた娘さんへ、お父さんは一通の手紙をつづりました。
いつか孫が生まれたら、みんなであの遊園地へ行こう。
お母さんのぶんも入場券を買って、いっしょに笑おう。
そう書き残して、お話は結ばれます。
感動できる心は、私たちが魂であることの証
このお話に触れて、涙がにじんだ方も多いと思います。
楽曲「きみと死のうと思ったんだ」を聴いて胸を熱くした方も、きっと同じ場所に立っているはずです。
私は、その涙にこそ大切な意味があると考えています。
人がこうした物語に深く動かされるのは、私たちが単なる物質のかたまりではなく、心を持った魂をその本質としているからにほかなりません。
機械は、人間のように本当の意味で感動することがありません。
誰かの悲しみに胸が痛み、見知らぬ親子の物語に涙する。
その力は、目に見えない魂が確かにここにある事実を、私たちにそっと教えてくれます。
涙は内側を洗い流してくれる
心からあふれた涙には、胸のつかえをやわらげ、内側を洗い流すような働きがあります。
悲しみを押し込めて生きてきた方ほど、こうした実話に触れたとき、堰を切ったように涙が出るものです。
その涙は、あなたの内側がふたたび動き出した合図だと受け取ってください。
泣きたいときには泣いていい。
そのことを、どうかご自身に許してあげてほしいのです。
幼い娘が引き戻したのは、未来の時間そのもの
この物語でいちばん胸を打たれるのは、娘さんが本当は何を望んでいたのか、という一点だと私は感じています。
「もう、お母さんのところに行こ」という言葉は、表面だけ読むと、お父さんと同じ方向を向いているように聞こえます。
ところが、その小さな声は、お父さんを行く方向ではなく、踏みとどまる方向へと引き戻しました。
娘さんが心の底から望んでいたのは、お父さんが消えてしまうことでは決してありません。
手をつないだまま、明日も、その先の日々も、ともに生きていくことだったのです。
幼い娘が引き戻したのは、二人で過ごすはずの未来の時間そのものでした。
愛は、ともに生きる方向へも向け直せる
大切な人を巻き込みたくなるほどの強い愛があるのなら、その愛は、ともに生きるという方向へも必ず向け直せます。
愛が消えてしまったわけではありません。
愛を抱えたまま、ただ、いったん力が尽きかけているだけなのだと思います。
ですから「いっしょに消えてしまいたい」という思いは、進むべき道を指し示しているのではありません。
あなたが一人で背負いすぎてきた。
それを知らせる、心からの合図なのです。
いま、消えてしまいたいほど苦しいあなたへ
「きみと死のうと思ったんだ」という言葉に強く胸を打たれた方のなかには、ご自身がいままさに、深い苦しみのただ中にいる方もいるかもしれません。
大切な人を失った悲しみ。
先の見えない不安。
誰にも言えずに抱えてきた孤独。
それらを長いあいだ一人で抱え続けていると、いっそ大切な人と一緒に消えてしまいたい、という考えが胸をよぎることがあります。
もし今あなたがそういう場所にいるのなら、まずお伝えしておきたいことがあります。
その気持ちは、あなたが弱いからでも、ましてや悪いからでもありません。
愛する人を守りたいという思いと、もう疲れ果ててしまったという思いが、苦しさのなかで結びついてしまっただけなのです。
声を受け取ってくれる場所はあります
このお話のお父さんをこの世へ引き戻したのも、難しい理屈ではありませんでした。
幼い娘さんの、たったひとことの声です。
人は、誰かの声がふっと届いた瞬間に、止まっていた時間がまた動き出すことがあります。
だからどうか、その声が届く場所まで、もう一歩だけ足を運んでみてください。
信頼できる人に、今のつらさをそのまま打ち明けてみる。
身近に話せる相手がいなければ、いのちや暮らしの悩みを受け止めてくれる相談窓口があります。
「よりそいホットライン」や「いのちの電話」のような窓口では、電話の声でも、言葉にならない涙だけでも、そのまま受け取ってもらえます。
ひとりで抱えてきた重さは、誰かと半分こにしていいのです。
あなたが今日まで耐えてきたことを、知ってほしいと願う人が、きっとどこかにいます。
残していく者ではなく、ともに生きる者として
このお話のお父さんは、娘さんの言葉でわれに返り、いっしょに生きていく道を選び直しました。
そこから先の人生が、すぐに明るくなったわけではないでしょう。
悲しみを抱えたまま、一日また一日と歩いていったはずです。
それでも気づけば、孫が生まれ、家族そろってあの遊園地へ行こうと書ける日がやってきました。
消えることを選んでいたら、決して訪れなかった景色です。
小さな一歩で十分です
苦しみがすっかり消えるまで待つ必要はありません。
重さを抱えたままでも、人は生きていけます。
そして時間の流れのなかで、その重さは少しずつ形を変えていくものです。
今日できることは、ほんの小さな一歩で十分です。
「つらい」と、たった一人に伝えてみる。
それすら難しければ、相談窓口を調べて画面に表示してみるだけでもかまいません。
その小さな動きが、あなたと、あなたの大切な人の明日を、そっと開いていきます。
あなたが生きていてくれること。
それを願っている人は、あなたが思うよりも、ずっと多くいます。
「きみと死のうと思ったんだ」という言葉に込められた愛が、最後にはともに生きる愛へと姿を変えていく。
そんな転換が、どうかあなたの上にも訪れますように。
応援いただいたあなたに、幸せが届きますように祈ります
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。
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