
※2026年5月3日に加筆・再構成しました。
あるとき何気なくテレビをつけてみたら、新人タレントの方がブータンの絶壁に建つ古いお寺を訪れる、という番組をやっていました。途中からしか見ていなかったので番組名はわからないのですが、その新人タレントさんは、お寺に泊めてもらいながら現地の暮らしに触れていく、というような構成でした。
ブータンの若い奥さんとの会話
そのお寺で暮らす家族の中に、新人タレントさんと年齢の近い、まだ若い奥さん(おそらく23歳くらい)がいらっしゃいました。
新人タレントさんは、その奥さんに、自分の幸せのイメージを正直に語ります。「自分が有名になって、テレビにいっぱい出られるようになりたい」「お金をたくさん欲しい」――いまの日本ではまったく珍しくない、ごく一般的な夢です。
それを聞いたブータンの若い奥さんは、おだやかに、しかしはっきりとこう返したのでした。
あなたの言っているのは自分のことばかり。周りの人のことを考えていないと、幸せはありませんよ。
新人タレントさんは大きなショックを受けて、後で「自分のことばかり考えていた」と泣いておられました。
「自分中心の願いがかなうこと=幸せ」という常識
この新人タレントさんが描いていた幸せ像は、決して特別なものではありません。「自分が成功したい」「自分が豊かになりたい」「自分が認められたい」――こうした自分中心の願いが叶うことこそが幸せだ、と感じている人が、現代日本ではほとんどなのではないでしょうか。
それを、まだ二十代前半のブータンの女性が、軽々と飛び越えるような言葉でやさしく指摘した――この対比こそが、この番組の見どころだったのだと思います。
もちろん彼女が育ったのは、お寺の家族という特別な環境ではあります。しかし同時に、仏教の思想が国全体に深く息づくブータンならではの感性とも言えるでしょう。「他者の幸せのなかにこそ、自分の幸せがある」という発想が、日常感覚として体に染みているのです。
「世界は自分のためにある」から「自分は世界のためにある」へ
霊的な視点で言うと、人は子どものうちは、ほとんどの人が「世界は自分のためにある」と感じて生きています。母親が自分のために動き、家族が自分を見てくれて、世界は自分のごきげんを取るために回っている――幼い頃のあの感覚です。
しかし、大人になっていく過程で、ほんとうはどこかで、もう一段上の発想転換が必要になります。それが「自分は世界のためにある」という発想への切り替えです。
周りの人や社会は自分のために存在し、自分に奉仕してくれるべきだ、と感じ続けながら生きていくのか。それとも、世の中のために自分は何ができるかを考える側へとシフトしていくのか――人はどちらの方向を選んで生きるのかを、霊的にいつも観られている存在なのだと思います。
ブータンの「世界一幸せな国」の秘密
ブータンが「世界一幸せな国」と呼ばれるのは、物質的な豊かさのランキングではなく、まさにこの「自分中心」を当たり前のように超えていける感性が、社会全体で共有されているからだといえます。
大金持ちにならなくても、有名にならなくても、「自分は誰かのためにいる」と感じられたとき、人はとても深いところで満たされます。日本人としてこの番組を見て泣いた新人タレントさんの涙は、私たちみんなの中にある、忘れていた本当の幸せの基準を思い出させてくれる涙でもあったのです。
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