
※2026年5月2日に加筆・再構成しました。
「正反対の主張をする二人が、どちらも『神の意思』を語っている」――そんな矛盾を、私たちはどう理解すればよいのでしょうか。
歴史を振り返ると、まったく違う方法で時代を動かした二人の偉人がいます。
一人はガンディー、もう一人はジャンヌ・ダルク。
彼らの生き方を比べることで、真理の立体的な姿が見えてきます。
ガンディーの非暴力主義と、知られざる発言
インド独立の父とされるマハトマ・ガンディー氏は、非暴力主義で有名です。
彼の思想に共鳴する人も多く、そうした方は、防衛などに関しても抵抗があるでしょう。
ただし彼はこうも言っています:
わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。
インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。
ガンディーは単なる「平和主義の象徴」ではなく、「臆病になるくらいなら暴力で名誉を守れ」とまで明言した、深い思考の持ち主だったのです。
それはさておき、ガンディー氏が神からの使者であることは間違いないと思います。
ジャンヌ・ダルクという聖女の戦い
一方で、フランスにはジャンヌ・ダルクという聖女が登場しました。
彼女は若い女性でありながら、神からフランスを救えという啓示を受けて、フランス軍を奮い立たせ、イギリス軍に重要な局面で勝利しました。
彼女の働きは何だったのでしょうか?
ジャンヌがいなければ、フランスという国は無く、イギリスの領土になっていたかもしれません。
戦いがもたらした犠牲という現実
ですが和平を進めていれば多くの死者を出すことなく済んでいたでしょうが、彼女の活躍によって、フランス人にもイギリス人にも多くの死者が出たのは事実でしょう。
ジャンヌに率いられて戦って死んだ敵のイギリス人にだって、熱心な信仰家や、善良な人々はいたでしょう。
彼女は19歳で火刑にあって殺されましたが、当時の人には魔女のように彼女を見る人が多かったのでしょう。
では、これだけ彼女によって亡くなった人が増えたので、やはり、彼女は魔女であったのでしょうか?
そうではありません。彼女もまた、ガンディーと同じく、神に導かれた人だったのです。
真逆の二人が、どちらも神の使者である理由
ガンディーとジャンヌ、二人は一見すると真逆の人生を生きたように見えます。
一方は非暴力の活動で独立運動をし、もう一方は戦いにおいて独立を果たしました。
ですが、どちらか一方が正しくて、もう一方が間違っているということではありません。
どちらも神の意思を体現しているのですが、地上の人間の認識力では、両者が矛盾していて、どちらか一方が正しいように見えるのです。
真理は立体、私たちの理解は平面
真理というのは立体的なありかたをしているのですが、わたしたち人間には、平面的な理解しかできないため、まるで神様は矛盾しているように見えたり、どちらかが間違っているように見えます。
たとえば、立方体を真上から見れば「正方形」、真横から見れば「長方形」、斜めから見れば「複雑な多面体」に見えます。
それぞれの見え方はすべて正しいのですが、それぞれが「これだけが真実だ」と主張すれば、互いに矛盾するように映るのです。
神の意思もまた、これと同じです。
「対立する意見」を見る霊的なまなざし
私たちの社会には、いつの時代も対立する二つの意見があります。
リベラルと保守、平和主義と国防主義、伝統と革新、宗教と科学――。
どちらも、それぞれの立場から見れば真実の一面を語っています。
「宇宙の兄弟たちへ」というメッセージを書いたことがありますが、そこで伝えたかったのは、「異なる立場の人を、安易に間違いだと決めつけないでください」という祈りでもあったのです。
対立する意見と霊的に向き合う三つの実践
一つ目は、「自分と反対の立場の人にも、神の使者がいるかもしれないと考えること」です。
「許せない」と感じる相手にも、神の意思の一面が宿っているかもしれません。
二つ目は、「『どちらが正しいか』ではなく、『何を学ぶべきか』と問い直すこと」です。
二項対立を超えるところに、霊的な気づきが待っています。
三つ目は、「ガンディーの非暴力もジャンヌの戦いも、両方を尊重する心の柔らかさを持つこと」です。
矛盾を矛盾のままに受け入れられる人が、もっとも神に近づける魂です。
対立の奥にある一なる神の御心
ガンディーの非暴力も、ジャンヌの剣も、どちらも一なる神の御心の現れです。
明日もどうか、対立する意見を耳にしたら、その奥にある「神の立体的な真理」に、静かに目を凝らしてくださいますように。
新刊『ソフィアの森で見つけた幸せの鍵』