2022年5月18日水曜日

霊能者が闇に堕ちてしまわない為の注意点


霊的な能力や感覚が高まるにつれて、注意しなくてはならないものがあります

それは霊的になるほどに、人はバランスを崩しやすく、道を踏み外してしまう事があるからです

そうした道を踏み外してしまわないかのチェックポイントについて書いてみたいと思います

霊的な感受性が高まると、直感やインスピレーション、あるいは直接メッセージを受け取るようになるわけですが、直感や感受性などを重視し、知性や理性などの開発が不十分であった場合に、判断能力が落ち、受け取るメッセージをそのまま信じて、分析が不十分にできないことがあります

私が拝見したとある霊能者のお話では、宝くじを買えというメッセージが降りてきたので買いに言ったとか、近所の公園に何か埋まっているから掘り出しに行けというメッセージが下りてそれを実行したとか述べているものがありました

これはら理性の働きが弱くなって、直感に振り回されるようになっています

上記にあげたものは、霊に弄ばれている程度でしょうが、進行すると、だんだんおかしな行動が多くなったり、闇側のメッセージの配信者にさせられる場合があります

判断力が落ちてきますから、偉い神様や、何とか大天使などのメッセージなど内容を分析できなくてそのままありがたがって受け止めます

こうした方は、女性原理が優位であり、直感や感性は優れているのですが、男性原理である理性や知性が劣るためにおこります

では、男性原理が優れた能力者は良いのかというと、こちらも極端になるとおかしくなります

知性、理性が優位となると、物事を正邪や善悪を分けていく能力に優れていますが、邪や悪と判断したものを徹底的に糾弾したり、排除しようとする働きが強くなります

ですので、男性原理の方にぶれている人は、他人を批判したり、間違いを指摘することが多くなってきます

そしてミイラ取りがいつしかミイラになっていることに気づかなくなります

歴史的には魔女狩りなどがありましたけど、昔の霊能者は魔に通じているとして処刑されてしまった歴史があります

そのように、知性や理性が強くなりすぎると、人の批判や否定などが多くなります

このように、女性原理である直感や感性と男性原理である知性や理性、どちらか極端にぶれてくると能力者はおかしくなってきます

かつての日本では、メッセージを受け取る巫女・女性と、受け取ったメッセージを判断するサニワ・男性とが一対になって働いていましたが、それも、どちらか一方が得意で、もう一方が苦手な人が多いため、バランスを取るために長年培われたシステムでしょう

キリスト教のグノーシス派では、男性原理と女性原理の統合の話を説きますし、仏教では両極端を排除した中道を修行者は歩まなければならないとされてきました

このように、古来から神道、キリスト教、仏教などで霊的な歩みを進める者への注意として両原理のバランスが言われてきたわけです

ですので、その能力者がおかしくなっていないかは、知性の判断力が弱くてインスピレーションやメッセージをそのまま信じてしまっていないか、逆に、やたら他の人を批判したり、他への攻撃を激しくしていないか、そうした極端にぶれていないかを見たらよいかと思います

このように極端な者同士は、仲が悪いことが多いので、対立しあうことも多いですが、実は、両者ともにお互いの闇を相手に投影して見ている場合があります


霊能者が陥りがちなポイント


上記の記事「霊能者とバランス」では、女性原理や男性原理に偏ると、霊能者は中道を外れておかしくなってくると書きました

女性原理とは、直感、感性、受動、陰性などを現し、男性原理とは、理性や知性、論理、能動、陽性などを表しています

女性原理が優勢となると、受け取るメッセージや直感への判断が弱くなり、そのまま受け取って、信じてしまいます

男性原理が優勢となると、物事を分別する働きが強くなりますので、人に対してなどの批判や攻撃が強くなってきます

ですので、受け取ったメッセージを無批判に信じ込んでしまって、ありがたがっていたり、逆に他人の批判ばかり書いていたりするところは偏ってしまっていて道を外れています

そして、お互いの内面の闇を相手に投影して、お互いに批判しあう場合があるわけです

ちなみに、男性原理、女性原理と書きましたが、特に男性女性と分かれるのではなく、男性でも女性原理の優勢の人や、女性でも男性原理の優勢の人もいます

そして、どちらかに偏る両者に共通することとして、慢心や自惚れの心があるように感じられます

謙虚な感覚があったら、受け取ったメッセージを分析するでしょうが、慢心していると、自分は偉いのだ、特別な使命があるのだと考え、降りてくるメッセージをそのまま信じるようになります

また、謙虚であれば、あまり他人について批判や攻撃を抑えられるのですが、こちらも慢心していると、自分は正しいと信じて疑わなくなり、相手が間違っている、何とか正さねばならないと思いが抑えられなくなります

ですので、霊的な感覚の鋭くなってきた者としては、両極端にぶれていないかを省みることと、慢心していないか、謙虚さを失っていないかを日々反省する必要があると思います

霊性への道は綱渡りのように、両端に振れると落ちてしまう危ういものでもあります

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>霊性への道は綱渡りのように、両端に振れると落ちてしまう危ういものでもあります
自分は大丈夫だと思っていても綱渡りなのですね。少し前に先生が小林麻耶さんのことを非難ばかりではなかったことを思い出しました。あの時は私は深くまでわかっていなかったと思います。誰が見ても麻耶さんは変なものに繋がっているような状況だからです。でも今日のこの記事から私たちは誰もが彼女のようになってしまうこともあるのだと思いました。心の病もそうかと思います。
あと身近ではたまに何か感じとって極端な物の言い方をする人がいますが、自分も紙一重だとわかりました。私もそうなってしまうこともおかしくないからです。
彼らのことも変な影響を受けないように避けてしまってたのですが、負の感情ばかりではなく少し優しく見ることができるようになりました。この記事を読んで見方がガラッと変わりました。
ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

今回の記事とあまり関係ないのですが、すみません。
謙虚さが大切なのは分かるのですが、謙虚さは人から舐められやすい事には繋がらないのですか?
謙虚と舐められやすい事と、全く別な気もするのですが、はっきりと分からずもやもやしてしまって。
もし良かったら、ご教授願いたいです。

匿名 さんのコメント...

こんばんは~いつも有り難うございます(^^)謙虚である事は私にとっては、愛と感謝と同じ位、大切であると思っています。3次元において人は直ぐに傲慢になってしまいますものね。あと特別意識も要注意だと思っています。自分自身、過去世でこれで失敗したかも~(笑)って思っています。
近頃、みんな創造主なんだよ~と言うチャネラーさんがいますが、ちょっとぶっ飛んでしまいます(°°;)創造主に分けて頂いた御霊である事を疎かにしてはならないと思います。

匿名 さんのコメント...

まさに自分のことだと思って読ませて頂きましたし心に刺さりました。ありがとうございました!

匿名 さんのコメント...

ここでの謙虚さというのは、あくまでも自分自身に対する謙虚さではないでしょうか。驕り高ぶることを戒めるという。他人に対して謙虚であるかどうかとは、別であるように思いました。

匿名 さんのコメント...

もしかするとひろゆきさんや古市さん達も(あまり好きではないですが例えで)考えなど元になるものはどこからか彼らも大なり小なりキャッチしているような話し方だと思えました。そう考えると霊感が強い人向けのことではなく本当に人ごとじゃない話だと思いました。この気付きも元から私にあったものではなくどこからか湧いてきているからです。
何らかの変な影響を受けているから劣ってる、それに比べて私は大丈夫だではなく生きていくことは何かの影響は避けて通れないと思いました。周囲の人たちに優しくいたいと最後に思いました。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。