参加していましたランキングサイトで、スピ同士の方がいろいろと議論しているようで、霊能者について本物か偽者かの議論はよく聞きますが、能力者であっても良い者と悪い者があると思いますので、私見を書いて見ます
霊的な感受性が高まると、直感やインスピレーション、あるいは直接メッセージを受け取るようになるわけですが、直感や感受性などを重視し、知性や理性などの発達が不十分であった場合に、判断能力が落ちますので、受け取るメッセージをそのまま信じて、分析が不十分にできないことがあります
私がブログ等で拝見した中では、宝くじを買えというメッセージが降りてきたので買いに言ったとか、近所の公園に何か埋まっているから掘り出しに行けというメッセージを実行したりですとか、そうした理性の働きが弱くなって、直感に振り回されるようになる人がいます
上記にあげたものは、霊に弄ばれている程度でしょうが、進行すると、だんだんおかしな行動が多くなったり、闇側のメッセージの配信者にさせられる場合があります
判断力が落ちてきますから、偉い神様や、何とか大天使などのメッセージなど分析できなくてそのままありがたがって受け止めます
こうした方は、女性原理が優位であり、直感や感性は優れているのですが、男性原理である理性や知性が劣るためにおこります
では、男性原理が優れた能力者は良いのかというと、こちらも極端になるとおかしくなります
知性、理性が優位となると、物事を正邪や善悪を分けていく能力に優れていますが、邪や悪と判断したものを徹底的に糾弾したり、排除しようとする働きが強くなります
ですので、男性原理のほうにぶれている人は、他人を批判したり、間違いを指摘することが多くなってきます
そしてミイラ取りがいつしかミイラになっていることに気づかなくなります
歴史的には魔女狩りなどがありましたけど、昔の霊能者は魔に通じているとして処刑されてしまった歴史があります
そのように、知性や理性が強くなりすぎると、人の批判や判定などが多くなります
このように、女性原理である直感や感性と男性原理である知性や理性のどちらか極端にぶれてくると、能力者はおかしくなってきます
かつての日本では、メッセージを受け取る巫女・女性と、受け取ったメッセージを判断するサニワ・男性とが一対になって働いていましたが、それも、どちらか一方が得意で、もう一方が苦手な人が多いため、バランスを取るために長年培われたシステムでしょう
「陰陽 男性原理と女性原理」という記事にもそうした論点をかいたことがあります
キリスト教のグノーシス派では、男性原理と女性原理の統合の話となりますし、仏教では両極端を排除した中道を修行者は歩まなければならないとされてきました
このように、古来から神道、キリスト教、仏教などで霊的な歩みを進める者への注意として両原理のバランスが言われてきたわけです
ですので、その能力者がおかしくなっていないかは、判断力が弱くてインスピレーションやメッセージをそのまま信じてしまっていないか、逆に、やたら他の人を批判したり、闇の側だとか決め付けて裁いていないか、そうした極端にぶれていないかを見たらよいかと思います
このように極端な者同士は、仲が悪いことが多いので、対立しあうことも多いですが、実は、両者ともにお互いの闇を相手に投影して見ている場合があります
霊能者が陥りがちなポイント
上記の記事「霊能者とバランス」では、女性原理や男性原理に偏ると、霊能者は中道を外れておかしくなってくると書きました
女性原理とは、直感、感性、受動、陰性などを現し、男性原理とは、理性や知性、論理、能動、陽性などを表しています
女性原理が優勢となると、受け取るメッセージや直感への判断が弱くなり、そのまま受け取って、信じてしまいます
男性原理が優勢となると、物事を分別する働きが強くなりますので、人に対してなどの批判や攻撃が強くなってきます
ですので、偉い神様や何とか大天使とか、無批判に信じ込んでしまってメッセージを伝えていたり、逆に他人の批判ばかり書いていたりするところは偏ってしまっていて道を外れていってしまってます
そして、お互いの内面の闇を相手に投影して、お互いに批判しあう場合があるわけです
ちなみに、男性原理、女性原理と書きましたが、特に男性女性と別れるのではなく、男性でも女性原理の優勢の人や、女性でも男性原理の優勢の人もいます
そして、どちらかに偏る両者に共通することとして、慢心や自惚れの心があるように感じられます
謙虚な感覚があったら、自分のところにそうした偉い神様や、大天使などがメッセージを送らないだろうと判断できるのですが、慢心していると、自分は偉いのだ、特別な使命があるのだと考え、降りてくるメッセージをそのまま信じるようになります
また、謙虚であれば、あまり他人について批判や攻撃を抑えられるのですが、こちらも慢心していると、自分は正しいと信じて疑わなくなり、相手が間違っている、何とか正さねばならないと思いが抑えられなくなります
ですので、霊的な感覚の鋭くなってきた者としては、両極端にぶれていないかを省みることと、慢心していないか、謙虚さを失っていないかを日々反省する必要があると思います
霊性への道は綱渡りのように危ういものでもあるかもしれません
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