2022年10月31日月曜日

不幸が幸福に転じる時 鉢かづきの物語


現在の大阪の寝屋川市に伝わる民話に「鉢かづき」という物語があります

このお話は、先日のディカプリオの守護霊さま?が言っていたように、人生の幸不幸は地上の人間と天上界のものとの違いを考えさせられます

むかし、藤原実高という大変裕福な「寝屋の長者」と呼ばれている人が住んでいました

長者の屋敷はとても広くて、たいそう立派なものでした

実高とその妻は大変仲が良く、幸せな毎日を送っていましたが、なぜか子宝には恵まれませんでした

長谷寺の観音さまに、子どもが授かるようにと夫婦はお参りを続けていました

するとある夜、枕元に観音さまがあらわれ「女の子を授けるが、その子には鉢を被せるように」と告げます

長者が目を覚ましますと、たしかに目の前にはお告げどおり鉢が置かれていました

それからしばらくして、お告げのとおり女の子を授かり名前を「初瀬 」と名付けて大切に育てていました

ところが初瀬が十四才になったとき、母親が病で臥せるようになります

やがて母が死を迎える前に初瀬姫を枕元に呼び寄せ、観音さまのお告げのとおり初瀬の頭に鉢を被せ、静かに息を引き取ります

実高も初瀬も寂しい日々を過ごしますが、父実高は再婚の妻を迎えることになりました

後妻は美人なのですが、意地悪な女で、実高との間に子供が生まれると、次第に初瀬をいじめるようになります

しまいには初瀬姫を屋敷から追い出してしまいます

屋敷を追い出された初瀬は行くあてもなく歩き続けていると大きな川の堤に出ました

亡き母のもとに行こうと心中を決心し、川に身を投げます

ですが頭からかぶっている鉢のために首から上は沈まず助かります

助かった初瀬は、鉢をかぶる姿から、皆気味悪がって逃げていきます

そうしたなかで、山陰三位中将という人物が初瀬を助け、屋敷のお風呂の番として働かせることにしました

初瀬はそこで、一生懸命に働いていました

そんなある日、いつものようにお風呂の番をしていると、山陰三位中将の四番目の息子(宰相)から声をかけられ色々な話をするようになりました

まだ独身の宰相は心優しい人で初瀬とは次第にお互い心ひかれていきます

やがて二人は夫婦の約束をしますが、鉢を被った見た目にも見すぼらしい姿の初瀬に兄や兄嫁たちは大反対です

どうしても一緒になれないのなら、二人で屋敷を出る覚悟をしていましたが、そこに兄や兄嫁たちから、嫁くらべをして勝てば二人の結婚を認めようという話が出されます

いかにもみすぼらしい初瀬が、勝負で勝てるはずもなく、負ける姿を見れば、宰相も諦めるだろうと考えたのです

宰相は引き下がるわけにもいかず、その場は了承してしまいます

嫁くらべの日までもういく日もなく、今から琴や歌などを習わせる時間もありません

二人は覚悟をきめて、こっそりこの屋敷を出ようと決めたその時、今までどうしてもとれなかった頭の鉢がぽろりと落ちました

するとどうでしょう、鉢のしたからは、美しさと優しさを兼ね備えたたとえようのない初瀬の顔が現れます

二人は身支度を整えると嫁くらべの場にのぞみました

その姿を見たまわりの者の驚きました

初瀬の美しさだけではありません

琴をひいても、歌を詠んでも、文字を書いても、誰ひとりかなう者はいませんでした

嫁くらべは初瀬の勝利となり、宰相と初瀬の結婚を止めるものはいなくなりました

その後、二人はみんなから祝福されて幸せに過ごしました

鉢かづきの物語はこのようなものです

観音様に鉢をかぶせられたのは、はじめは初瀬にとって不幸の要因となっていたでしょう

その不気味な姿から、人々に怖がられ、疎まれてしまいます

しかし、もし鉢をかぶっていなかったら、美しく成長した初瀬は、意地悪な継母に、どこかに売られてしまっていたかもしれません

そして山陰三位中将の四番目の息子である宰相にも、出会う事は無かったでしょう

不幸の要因と思われた鉢は、最後には幸せの本へと変わっていったのです

私たちの人生にはそうした事が往々にしてあり、不幸だと思われた出来事が、後に振り返ってみると、幸福の原因となっている事があります

若いころはプロのスポーツ選手を目指したり、歌手を目指したり、いろんな目標をもって努力していても、その願いは叶わない事も多くあります

思わぬ怪我などで、プロの道を閉ざされることもあります

ですが、その時には不幸な出来事のように見えても、将来は別な道で開花するための要因になっている事は多いのです

ある道を諦めざるを得なくなって、それがとても不幸に思えても、実は別な道が開けて、その人にとっては、その方が幸せだったという事があります

先日のディカプリオにしても、タイタニックで一躍スターになり、アカデミー賞まで受賞していたら、本人にとっては幸せな事と感じたかもしれませんが、実際にはそれで俳優生命は短くなっていたかもしれません

その時に賞を獲れなかったことで、その後も長く、俳優として活躍できたのかも知れません

そのように一見すると不幸と思われる物事は、将来からみると、実は幸福の種であったことが分かる事もあります

私たち地上にいる人は、身近なスパンで物事をとらえ、安易にこれさえ得られたら幸せだと思い込んでしまいます

しかし、天上界の視点からすると、人生をもっと長い目で見て、将来の幸福のためには、いまは苦労をしていた方がよいと判断される場合もあります

そのように、必ずしも地上の私たちが考える事と、本当の幸せとはかみ合っていない事があるのです

もしも不幸と思われる出来事が起こったとしても、それは将来の私たちの幸福のためになされたことかも知れませんし、そこに隠された意図があるのだと、受け入れることが大切なのだと思います

3 件のコメント:

ゆどうふ さんのコメント...

若い頃、小説を世に出すことを夢見て、創作活動に打ち込んでいた時期があったのですが、
その当時はとにかくロクでもないことばかりが身に振りかかって若い頃、小説を世に出すことを夢見て、創作活動に打ち込んでいた時期があったのですが、
その当時はとにかくロクでもないことばかりが身に振りかかっていたのを、今でも鮮明に覚えています。

結局自分にはそんな才能などないということで諦め、今の仕事に打ち込むようになったところ、
人生がだいぶ好転し、創作をしていた時の苦しい心境も、随分と楽なものへと変わっていきました。

「そっちの方向に行くな」「創作に生きる人間ではない」
そういうことを確かに、守護・指導霊達が教えて導いてくださったから、
今の自分があると、ハッキリと確信できます。

私はそのように軌道修正することが出来ましたが、世の中には悲しいかな、創作者になる夢をかなえられないことで人生に絶望し、とんでもない凶悪事件を起こす人がいます。
「京都アニメーション放火事件」や「黒子のバスケ脅迫事件」の犯人達も、自分が漫画やアニメの世界で活躍できないことで、
「創作活動で成功しない自分=価値のない自分」という決めつけをしてしまい、あらゆるものを憎む人間になって暴走してしまったのは、誠に残念なことです。

やったことは到底擁護できるものではありませんが、
「一つのドアが閉まる時、また別のドアが開く」
ということを、もし彼等が理解できていたのなら、
創作の道を諦めることで人生を良い方向に変えることだって、決して不可能ではなかったのではないでしょうか。

匿名 さんのコメント...

洪さん、いいお話をありがとうございました!人生万事塞翁が馬ですね。
辛く苦しいここ十年ですが、もう少し頑張ってみます。
全ての人にも幸せな事がありますように。

匿名 さんのコメント...

今日のはなんか読んでいるうちに涙がでそうになりました。「ちいちゃんのかげおくり」の絵本の作者、あまんきみこさんが文を書いている絵本「鉢かつぎ」、「めっきらもっきらどおんどん」の絵本の作者、長谷川摂子さんが文を書いている「はちかづきひめ」の絵本が私の住んでいる市の図書館にあるようなので今月中には借りて読んでみたいと思います。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。