先日はスイスの思想家カール・ヒルティの『幸福論』について少し触れ、仕事と幸福について書きました
人生のうちで多くの時間を人は仕事をしていますので、仕事と幸福とはとても関係の深いものです
そこで、今日は少し『幸福論』の中から仕事について紹介して話してみたいと思います
まず初めに述べておきたいのは、仕事とは、たんに会社に勤めるとか、自営業で働くだけでなく、主婦の方が家事をしたり、育児をする事も含まれると思います
男性の問題だけでなく、専業主婦の方についても、他人事ではなく、あてはまるものです
ヒルティは『幸福論』の始めの章「仕事をするこつ」において、仕事と幸福について書いています
ヒルティは「およそ考えうるかぎりの最大の不幸は、仕事の無い生活であり…」と述べています
仕事に追われている現代人からすると、仕事をせずに暮らす生活こそ幸福のように考えてしまいます
宝くじで当たったり、不労所得で生活出来るようになり、遊んで暮らせるのが幸せのように想像した事があるのではないでしょうか
辛い仕事をする必要もなく、毎日遊んで暮らせたら楽だと思う事もあります
ですがヒルティに言わせると、それは最大の不幸とまで述べています
その理由は、先に紹介した分の続いて書いており、それは「…生涯の終わりに、その実りを見る事のない生活である」と続いています
生涯の終わりに、自分の人生が実りをもたらすものでなかったと感じる事、それはつまり、「はたして自分の人生は価値があったのか?意味があったのか?」と問うてしまうような生活でしょう
同様な話を、以前に人が死を目前にして考える事として記事に書いた事があります
これは救命士として働く方が、死を前にした人が共通して問いかけるものについて紹介したものです
ひとつには許しを求めるものであり、二つ目は自分の事を忘れないで欲しいという願いです
そして三つ目には「自分の人生には意味があったのか?」と多くの人が問うのだと言います
はたして自分の人生に意味があったと自信をもって言えるのか?
それは幸福と大きくかかわっています
たしかに仕事をせずに遊んで暮らすのは、はじめのうちは楽しいでしょう
ですが遊びには実りが普通は得られないものです
あとには虚しさだけが残る事があります
何も生産せず、人のお役に立たず、成すものもなく死んでいくとすれば、その人は大きな悔いが残るのではないでしょうか?
人間は死んだら終わりではなく、魂は肉体を離れても存続し続けます
この地球に肉体を持って生まれてくる事は、それだけ覚悟を決めて私たちは生まれてきており、それが死に面して何も実りのない生き方をしたのなら、死後にも大きな後悔を残すでしょう
もっとああしていればよかった、こうしていればよかったと、多くの後悔を残すと思います
その中でも、もっと実りのある仕事、それはつまり多くの役立つ仕事を残したかったと悔いが残るでしょう

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