
矢作直樹さんの前世について、アンケートでご質問をいただきました。
救急医療という、人の生死がいちばん近い場所で長く働いてこられた医師の方です。
東京大学医学部附属病院で救急部・集中治療部の教授を務められ、『人は死なない』というご著書がベストセラーになりました。
医師という立場の方が、肉体が滅んでも魂は残るという見方を公にされた。
このことに当時、多くの読者が驚き、そして救われたのだと思います。
拝見して映ったのは、山で修行を積み、護摩の火を焚いて病の平癒を祈っていた修験者の姿でした。
その魂が今世では救急医療の現場に立ち、人は死なないという言葉を世に出されました。この記事では、そのつながりを霊的な視点からたどっていきます。
ご本人が前世を公表されたことはなく、ここに書くのはこちらで拝見した見立てです。
肩の力を抜いて読んでいただけたらと思います。
矢作直樹さんという方について
矢作直樹さんは、長年にわたって救急医療の現場に立たれてきた医師の方です。
救急の現場は、ご本人の意思とは関係なく、突然運び込まれてきた方の生死に向き合わなくてはならない場所。
毎日のように人の死に立ち会われ、生と死の境目を見つめ続けてこられました。
そのご経験のなかで、矢作さんは「人は死んだらどうなるのか」という問いを、医師としてご自身の内側で深めていかれたのでしょう。
その思索の一つの結実が、『人は死なない』という著書でした。
肉体は終わっても魂は続いていく。
そういう視点を、ご自身の臨床経験と思索から述べられた一冊です。
また、かつての参議院選挙では「日本のこころを大切にする党」から比例で出馬され、惜しくも落選されています。
日本のこころを大切にする党は、このブログで以前に取り上げました中山恭子さんが党首を務めていらした党。
医療の現場から、霊性の探求、そして政治の世界へと活動を広げてこられた、芯のある方だと感じています。
矢作直樹さんの前世|火を焚き加持祈祷をしていた修験者
ここからは、私が霊視で受け取った姿をお伝えしていきます。
矢作直樹さんを拝見していますと、火を焚いて、加持祈祷をしている姿が浮かんできます。
加持祈祷とは、護摩壇というものに火を焚き、呪文を唱えて仏様の加護を祈る儀式のこと。
おもに密教僧の方が行う儀式として知られていますが、私に見えてくる矢作直樹さんの前世は、その密教僧ではなく修験者のお姿です。
日本では古くから神仏習合が進みました。
密教僧だけでなく、修験者と呼ばれる山岳行者の方々も、護摩を焚き、祈祷を行っていたのです。
その修験者としての矢作さんは、特に病を癒すための祈祷を頼まれて、人々のために儀式を行っていた様子。
村の人や、遠くから訪ねてきた方が、治らない病や原因のわからない苦しみを抱えて、この方のもとを訪れる。
それを矢作さんは、火を介して祈り、霊的な力を働かせて癒していかれた。
そういう前世のお姿が、私には見えてくるのです。
今の言葉でいえば、ヒーリングによって病を癒すことをされていた。
そんなイメージに近いかもしれません。
なぜ救急医療の医師と修験者がつながるのか
矢作直樹さんの前世を見ていて、私がいちばん腑に落ちたこと。
それは、修験者として病を癒していた魂が、今世では救急医療の現場に立っているという流れでした。
使う道具は、護摩の火から医療機器へと変わりました。
使う言葉も、真言から医学用語に変わっています。
けれど、やっていることの本質は変わっていないように思うのです。
目の前で苦しんでいる人を、その人の魂が望むかぎり、なんとかこちら側へ引き戻したい。
その祈りにも似た思いが、前世から今世へとそのまま受け継がれている。
私にはそう感じられます。
そして救急医療の現場で何度も人の死に立ち会ううちに、修験者時代に抱いていた「魂は肉体だけのものではない」という感覚が、ふたたび矢作さんのなかで目を覚ましたのではないでしょうか。
『人は死なない』という言葉は、医師として観察した一つの結論であると同時に、修験者だった魂が思い出した手応えでもある。
私はそんなふうに受け取っています。
もちろん、これは私の霊視を通したひとつの見方にすぎません。
それでも、医療と祈りという一見遠いものが、一人の方のなかで地続きになっている。
そう考えると、人の魂のいとなみの深さに、あらためて頭が下がる思いがします。
修験者とはどんな人たちだったのか
前世の姿として修験者という言葉が出てきましたので、少し補っておきます。修験者は、山にこもって修行を積んだ人たちのことです。山伏とも呼ばれます。
日本の山岳信仰に、大陸から入ってきた密教や道教の作法が重なって生まれた道で、開祖は役行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられます。
修行の場は寺の中ではなく、山そのものでした。
険しい峰を歩き、滝に打たれ、洞に籠もる。
体を極限まで追い込むことで、ふだんは閉じている感覚を開いていったのです。
そして里へ降りてくると、人々の求めに応じました。
病の平癒を祈り、護摩を焚き、山で覚えた薬草の使い方を伝える。
医者がまだ町に少なかった時代、修験者は祈る人であると同時に、治す人でもありました。
祈りと医療が分かれる前の時代
いまの感覚では、祈祷と医療はまるで別のものに見えます。けれど長いあいだ、この二つは同じ人の手のなかにありました。
体に効く手当てと、心を支える祈り。どちらが欠けても、人は立ち直りにくいからです。
修験者の魂が現代の救急医療の現場に立っているとしたら、それは分かれてしまった二つを、また一人のなかで結び直す試みなのかもしれません。
「人は死なない」という視点が伝えていること
『人は死なない』というタイトルが伝えているのは、肉体の死は終わりではなく、魂は続いていくという視点です。
これは矢作さんがご自身の経験と思索から、医師という立場で公に語ってこられた考え方。
スピリチュアルの世界では、魂は肉体が滅んでも消えず、新しい体を得てふたたび地上に生まれてくると考えられています。
これを輪廻転生と呼びます。
私はこの考え方を、罰や宿命としてではなく、魂が学びを重ねていくための仕組みとして受け取ってきました。
では、死が終わりではないと考えると、私たちの毎日はどう変わるのでしょう。
私が感じているのは、大きく三つの変化です。
ひとつは、大切な人を失った悲しみの受け止め方が変わること。
別れが永遠の消滅ではなく、形を変えた関係の続きだと思えると、喪失の痛みのなかにもわずかな光がさしてきます。
もうひとつは、今をどう生きるかという姿勢が変わること。
魂が学びのためにこの人生を選んできたのなら、いまぶつかっている課題にも意味があると考えられるからです。
そしてもうひとつ、自分自身への見方が変わります。
今のこの人格は、自分という存在のほんの一部です。
いくつもの生を重ねてきた魂の連なりとして、自分を眺められるようになるのです。
矢作直樹さんの前世が修験者であったという私の見立てを重ねてみると、『人は死なない』という言葉の重みが、また少し違って響いてくるのではないでしょうか。
『人は死なない』の根にある、日本古来の生命観
矢作さんの死生観をたどっていくと、日本に古くからある命の感じ方に行き着きます。
山にも森にも、川にも海にも命の働きを見て、目に見えない存在を敬う。神道に近いこの素朴な感覚は、魂は続くという考えと、もともと相性の良いものでした。
修験道は、その感覚を山の修行という形にした道です。
山に入って神仏と交わり、里へ降りて人を癒す。その魂が今世で救急の医師になり、肉体の死のあとも人は消えないと語るようになったのは、霊的に見ると一本の筋の上にあります。
この方を拝見して、いちばん胸に残ったのはそこでした。
前世を知る値打ちも、昔の身分を言い当てる所にはなく、今の命が長い魂の旅の一場面だと気づける所にあります。
矢作直樹さんの前世から、自分の前世をたどる
矢作直樹さんの前世に関心を持ってこの記事にたどり着かれた方の多くは、その先にもうひとつの問いを抱えていらっしゃるように思います。
それは「では、自分の前世はどうだったのだろう」という問い。
前世を直接見ることは、誰にでもすぐにできるものではありません。
けれど、今のあなたの内側に、前世の名残はいくつも残っています。
たとえば、子どもの頃から理由もなく心を惹かれる土地、文化、職業はないでしょうか。
はじめて触れたはずなのに、なぜか懐かしく感じるものはありませんか。
逆に、はっきりした理由もないのにどうしても苦手な状況、繰り返し同じパターンで起きてしまうトラブルはないでしょうか。
そうした感覚や反応のなかに、前世から持ち越してきた魂の傾向が現れていることが多いのです。
今日できる小さな一歩として、寝る前に「今日の出来事は、私の魂に何を教えようとしていたのだろう」と一度だけ振り返ってみてください。
その問いを毎晩続けていくうちに、前世という遠い物語が、今を生きている自分自身の支えへと少しずつ変わっていきます。
矢作直樹さんが、修験者として人を癒した魂を、今世では救急医療の現場で生かしていらっしゃる。
そう見えるのと同じように、読んでくださっている方の魂もまた、今世でしか果たせない役割を持って生まれてきています。
よくある質問
矢作直樹さんは自分の前世を公表していますか
いいえ、矢作さんが具体的な前世を公に語られた事実は見当たりません。著書などで示されているのは、肉体の死のあとも魂は続くという死生観です。
前世そのものについては、私の見立てとして穏やかにお伝えする範囲にとどめています。
前世を知ると生き方はどう変わりますか
過去を突き止めることが目的になると、かえって今がおろそかになりがちです。前世という視点の値打ちは、今ぶつかっている課題や人との縁に意味を見いだし、この一日を大切に選び直せるところにあります。
過去探しより、今の生き方へ。
そう受け取っていただけると、前世の話は日々の支えに変わっていきます。
矢作直樹さんはスピリチュアルな活動をされているのですか
医師としての立場から、死後の世界や魂について語ってこられた方です。『人は死なない』をはじめとする著書や講演で、肉体が終わっても人は消えないという見方を示してこられました。
語られてきたのは死生観であり、その姿勢は一貫して医師のものだと私は受け取っています。
前世が修験者だと、今の人生にはどう出るのですか
山や高い場所に呼ばれる感覚、火を見ていると落ち着く体質、人の不調を言葉より先に肌で察する力。こうした形で出ることが多いです。
そして苦しんでいる人を前にすると、損得を飛び越えて体のほうが先に動く。
祈る人の魂は、たいていこの反応を残しています。
修験者と山伏は同じですか
同じ人たちを指しています。山に伏して修行する姿から山伏と呼ばれ、修験道を修める者という意味で修験者とも呼ばれました。
白い装束に法螺貝や錫杖を持つ姿で知られ、奈良の大峯山や山形の出羽三山などでは、今も修行が続いています。
矢作直樹さんの前世と今世をつなぐもの
矢作直樹さんの前世に映ったのは、護摩の火で病を癒した修験者でした。
祈りで人を救っていた魂が、今世では医療の現場で命に向き合い、肉体が終わっても人は消えないという霊的な真実を言葉にしました。
前世と今世は、そうやって一つの使命の上でつながっています。
みなさんも、理由もなく心が惹かれるものの中に、ご自分の魂の来し方を探してみてください。
その先に、今世で果たす役割が見えてくる事を願っています。
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