
※2026年5月2日に加筆・再構成しました。本記事は2014年9月の御嶽山噴火直後に書いたものです。犠牲となられた方々のご冥福を改めてお祈りいたします。
古くから霊山として礼拝されてきた山が、突然牙をむく――その出来事は、私たちに「目に見えるリスクと、目に見えない領域への畏敬」の両方を、改めて思い起こさせてくれます。
霊山として礼拝されてもいます御嶽山が噴火いたしました。
犠牲となられた方も出てきてしまいました。
噴火直前の警戒レベルと「事前予測の難しさ」
御嶽山の警戒レベルについて、噴火前には事前に捉えられず、噴火後に立ち入り禁止レベルに引き上げられたようです。
噴火する前に、その兆候をとらえて入山禁止などの注意を為されていれば、今回のような犠牲は出さずに済んだかもしれません。
今回のような水蒸気爆発による噴火の場合は予測は難しいとされますが、数日前より地震が続いていたということですので、ある程度予想はついたのかもしれないと思えます。
防災予算の削減という、長年の構造的問題
火山噴火への警戒は、ある時期の事業仕分けによって予算を増やすのを押さえられたことが指摘されています。
御嶽山そのものは噴火の危険性の高い山として、その後も24時間監視体制にあったようですが、残念ながら予測できずに終わっています。
これも、日本の国家としての備えを長年にわたって細らせてきたことへのつけが、回ってきた出来事の一つとして見ることができます。
これは特定の党派だけの問題ではなく、「目に見えないリスクへの予算は無駄に見える」という政治的力学そのものの構造的な問題でもあります。
過去にも繰り返されてきた「備え不足のつけ」
前回の広島でおこった土砂災害についても、防砂対策の予算が十分にあれば、あのような被害は防げたのではないかと言われています。
かつて事業仕分けで、津波対策についても、「いつ起こるかわからない災害を防ぐためのお金は無駄だ」として削減の対象とされました。
その後に東日本大震災が起こり、津波で多くの被害が出ました。
「コンクリートから人へ」というスローガンが叫ばれましたが、津波の後にはコンクリート製の頑丈な建物ばかりが残っている被災地の風景が、象徴的に映し出されました。
さらにダムなどについても無駄であるとして廃止の方向へ進められた時期がありましたが、その後に九州等で水害が起きて多くの方が犠牲となられる事態が起こりました。
これらは、通常通りに公共インフラの建設・維持が続いていれば、あのような被害は食い止められたのではないかと言われています。
「霊山が噴火する」という霊的な意味
御嶽山は単なる山ではなく、古来「霊山」として信仰されてきた聖地です。
そうした霊的に重要な山が突然噴火するということには、自然現象を超えた「目に見えない領域からの何らかのメッセージ」が込められているようにも感じます。
それは特定の人物や政党を責めるためのメッセージではなく、「日本という国の集合的な備えの姿勢を、もう一度見直しなさい」という、大地と山々からの呼びかけだったのかもしれません。
備えと祈りの三つの実践
一つ目は、「ご家庭の防災備蓄を、年に一度見直すこと」です。
水・食料・常備薬・現金・モバイルバッテリー。当たり前に思えるこれらの整備が、いざというときご自身とご家族を守ります。
二つ目は、「目に見えないものへの予算(祈り・浄化・健康投資)も減らさないこと」です。
家計でも国家でも、目に見えないリスクへの備えを「無駄」と見なした瞬間、未来の試練が大きくなります。
三つ目は、「霊山・聖地に時折参拝し、感謝を捧げること」です。
山や海、大地への日々の感謝は、目に見えない領域との繋がりを保つ最良の祈りです。
失われた命に深い祈りを捧げて
御嶽山で命を落とされた方々の安らぎと、ご遺族の方々への深い癒やしを、心よりお祈りいたします。
明日もどうか、ご自身の暮らしの備えと、目に見えない領域への祈りを、両輪で大切に育んでくださいますように。
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