ある日、ふらりと立ち寄ったコンビニで、いつものポテトチップスを手に取ろうとして手が止まります。
カルビーの袋が、白と黒だけの簡素な印刷に変わっていたのです。
色とりどりだったあの華やかな包装が、突然モノクロ。
そんな日がもうじき来ると、報道から見えてきます。
「ただのお菓子の包装ではないか」と思われるかもしれませんが、私にはそれが今この国に起きていることを象徴する出来事に思えました。
カラーインクの原料の多くは、石油から生まれます。
つまり白黒包装への移行は、単なるコスト削減策ではなく、原材料の供給そのものに微かな揺らぎが生じ始めた合図とも読めます。
ホルムズ海峡をめぐる緊張、原油流通の停滞、そして関連製品の品薄。
これらは遠い場所で起きている出来事のようでいて、すでに私たちの手元の袋一枚にまで届いている。
ここから少し、目に見えにくい構造の話をさせてください。
かつての石油危機との決定的な違い
1973年の第一次オイルショックを覚えている方なら、まず思い浮かぶのはガソリンスタンドに並ぶ長い車列でしょう。
あの時の主役は、燃料としての石油でした。
ガソリン、灯油、重油。
これらが手に入るかどうかが、国民全員の関心事だった時代です。
幸い、日本には石油の備蓄があります。
国家備蓄と民間備蓄を合わせれば、輸入が完全に止まっても半年近く持つだけの量を抱えています。
ですから「明日からガソリンが消える」というシナリオは、短期的にはまず起こりません。
もちろん事態が長引けば、いずれは枯渇していきます。
それでもしばらくは凌げる。
ところが今回進行しているのは、燃料そのものの不足ではなく、石油から派生する関連製品の不足です。
ここが過去の危機と決定的に違うところ。
ガソリンの行列ばかりを思い浮かべていると、本当に見るべき場所を見落としてしまいます。
ナフサ確保で安心、と言いきれない理由
最近よく耳にするのが「ナフサ」という言葉でしょう。
プラスチック、合成繊維、ゴム、塗料、化粧品、医薬品の原料。
私たちの暮らしを構成する人工物の多くは、このナフサから始まります。
日本政府は「自国で消費する分のナフサは代替ルートで目処がついている」と説明しています。
これ自体は本当でしょうし、関係者の努力には頭が下がる思いです。
ただ、この発表をそのまま受け取ると、見落としてしまう死角があります。
「日本国内で従来通りの量を製造できる」という話と、「日本人の暮らしに必要な石油関連製品が今まで通り手に入る」という話は、まったく別物だからです。
日本国内で作る分のナフサが足りても、日本人の生活に届く石油製品が足りるとは限らない。
ここを混同したまま安心してしまうと、棚から物が消え始めたときに「話が違うじゃないか」と後手に回ってしまいます。
洋服のタグを、一度ひっくり返してみてください
試しに、今日着ている服のタグをそっとめくってみてください。
ポリエステル、ナイロン、アクリル、レーヨンといった化繊の表示。
そしてその下に書かれている原産国の名前。
Made in China、Made in Vietnam、Made in Bangladesh。
ほとんどの方が、似たような結果になるのではないでしょうか。
家電のプラスチック筐体、台所の調理器具、子どもが手にする文具、医療現場で使われる使い捨て器具に至るまで、私たちの周りにある石油由来の製品の多くは、海外の工場で作られて日本に運ばれてきます。
つまり日本は、ナフサそのものを輸入するだけでなく、ナフサから完成した最終製品も大量に輸入している国です。
国内で作る分のナフサが確保できたとしても、それは全体のごく一部。
中国や東南アジアの工場が原料不足で生産を絞れば、そこから日本に流れてくる完成品の量が落ちます。
棚に並ばなくなるのは、日本のメーカーが作る商品ではなく、輸入で支えられていた商品から先になるはず。
百円ショップ、量販店の衣料、子ども用品、消耗品の棚を観察していれば、変化はそこから現れるでしょう。
「自分の分は確保した」の落とし穴
宮沢賢治の有名な一節に、こんな言葉があります。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
これは霊的な意味でも、現実の経済構造の上でも、深く響く真実だと感じます。
サプライチェーンとは、まさにこの言葉そのものです。
どこか一国だけが原料を独り占めしても、その国だけが豊かに暮らせるわけではありません。
なぜなら、その国が必要とする無数の最終製品は、すでに他国の工場という他者の手で作られているからです。
「自分のところだけ大丈夫」という発想で語られる安全保障は、二十世紀的なものの見方。
これからの時代は、世界全体の流れの中で自国を位置づける視点がなければ、本当の備えにはなりません。
日本のナフサが確保されても、隣国のナフサが足りなければ、隣国で作っていた服も、容器も、雑貨も、薬の包装も、回り回って日本の棚から消えていく。
このつながりを忘れた瞬間に、人は油断します。
目に見えないものの中に、答えがある
私はこのブログでずっと、目に見えるものの奥にある、目に見えないものに目を向ける大切さを語ってきました。
今回の話も、その延長にあります。
カルビーの白黒包装は、目に見える小さな現象。
その奥には、原油から始まり、ナフサ、化学品、最終製品、貿易ルート、各国の地政学、そして消費者の手元へと続く長大な流れが横たわっています。
この流れは、肉眼では見えません。
しかし確かに存在し、毎日休みなく動き、ときには止まりかけながら世界を回している。
霊的な眼で世界を見るというのは、神秘的な何かを見るという話だけではないのです。
物事と物事の見えないつながりを、心の眼で感じ取ること。
ホルムズ海峡の一本の航路の細さを思うとき、私たちはようやく、日々の何気ない買い物が世界全体と結びついていたことに気づきます。
不安や恐れではなく、こうした気づきこそが、これからの時代を生き抜く力になっていくはずです。
今日から始められる、静かな備え
不安を煽るためにお伝えしているのではありません。
備えとは、慌てずに整えること。
今日から無理なくできることを、いくつか挙げておきます。
一つ目、よく使う日用品のうち、プラスチック容器や化繊製品にあたるものを一週間分多めに買い足しておく。
二つ目、衣類は新調を急がず、いま手元にあるものを丁寧に手入れする。
三つ目、生活必需品の中で代替できないものを書き出し、家族と共有する。
四つ目、買い物のときにタグや産地表示を確認する習慣を持つ。
五つ目、必要以上に買い込まず、まわりの人にも届くような買い方を心がける。
六つ目、目に映る変化を観察する目を養う。色が変わったパッケージ、ラインアップから消えた商品、値段の動き、小さな違和感を見逃さない。
派手な準備よりも、こうした地道な観察と節度のほうが、結局はずっと役に立ちます。
結びに
カルビーの袋一枚から、世界の構造が透けて見える時代に、私たちは生きています。
不便な時代と感じるか、それとも目に見えなかった真実が次々に姿を見せてくれる時代と感じるか。
その受け取り方の違いが、これから先の毎日の質を大きく分けていくでしょう。
恐れを手放し、落ち着いて整え、隣の人の幸せまで含めて世界を見渡す。
そうした魂のあり方こそが、結局はいちばん強い備えになる。
私はそう信じています。
明日もまた、小さな観察を続けていきましょう。
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