本日は8月15日終戦の日です
今年は終戦から77年となり、今日は政府主催の「全国戦没者追悼式」が東京・日本武道館で開かれます
私たちが今あるのも、先人たちの犠牲の上にあります
数多の名もなき先人たちの骸の上に、現代の私たちは暮らしています
今日は大東亜戦争で亡くなられた、英霊たちの言乃葉を紹介させていただきたいと思います
一人でも多くの人に、英霊たちの言葉をお伝えできましたら幸いです
宅島徳光 作詞家 海軍中尉 松島航空隊機長 24歳
はっきり言う。俺はお前を愛している。しかし、俺の心の中には今ではお前よりもたいせつなものを蔵するようになった。それは、お前のように優しい乙女の住む国のことである。
俺は、昨日、静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに強く心を打たれたのである。もしそれがお前に対する愛よりも遥かに強いものというなら、お前は怒るだろうか。否、俺の心を理解してくれるだろう。ほんとうにあのような可愛い子供達のためなら、生命も決して惜しくはない。自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けていかねば生きていけないことも、お前は解ってくれるだろう。俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。俺は確信する。俺達にとって死は疑いもなく確実な身近の事実である。
市島保男 海軍大尉 神風特別攻撃隊第五昭和隊 23歳
隣の室では酒を飲んで騒いでいるが、それもまたよし。俺は死するまで静かな気持ちでいたい。人間は死するまで精進しつづけるべきだ。ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい。
俺は、自己の人生は、人間が歩み得るもっとも美しい道の一つを歩んできたと信じている。
精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私を囲んでいた人々の美しい愛情のおかげであった。今かぎりなく美しい祖国に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな喜びと誇りを感ずる。
塩田源二 陸軍憲兵中尉 二十四歳
突然お知らせせねばならない不幸をお許し下さい。先頃もお知らせ致しましたが、不幸戦争犯罪なるものに問はれました。そして先頃裁判があり、その結果、思ひがけず絞首刑の宣告を受けました。私は自分の行った行動に対しては、何等の後悔も持つて居りません。
私は断じて愧づべき行動をとつて居りません。私は甘んじて、否満足して、この大東亜我々民族の礎石として死んで行きます。
私として心残りは私の最後をお知りになつて、お悲歎遊ばされるのではないかと思ふことです。何卒はかない運命の私と思ひなされて、あきらめ下さる様お願ひ申上げます。
私は身はたとへ南の地に果てても私の魂は皆様のお傍近く必ず行きます。そして皆様のお幸福の為にお守りする積りです。
昭和二十二年十月十日
蘭貢監獄にて
源二拝
父上様
母上様
遺書をよむ父母の心を思ふとき
はるかに居ます方ぞをろがむ
多田 美好 海軍二等機関兵曹 三十三歳
母上
長い間色々御厄介になりました。此の度の件、お國の為に一生懸命働いたのですが、敗戦と云ふ大変動で戦犯人として刑を受ける事になりました。然しお母さんの教えを守り、家の名を辱める事は決して致しませんでした事を嬉しく思つて居ります。
大らかな気持で喜んで國難に殉じて参ります。唯、生前何等の御孝養を尽すことなく、それ計りが心残りです。
どうかお母さん、何時迄もお元気で幸福にお過し下さいます様お祈りして居ります。
判決のあります前夜、お母さんにおぶつて頂いて川を渡つた夢を見ました。私は随分仕合せでした。何もかも唯なつかしく、凡て夢の様です。
親思ふ心にまさる親心 今日のおとづれ如何にきくらん
お母さん、私は死んでは居りません。何時も何時もお傍に居ります。
伊藤 甲子美 陸軍衛生伍長 二十六歳
季代子
かう呼びかけるのも最後になりました。
短かつたけど優しい妻でした。
有り難く御礼申し上げます。
まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。
折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、
陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。
短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。
若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。
私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。
さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。
至らない身、お詫びを致します。
何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍ら、その機会もなく心残りでなりません。
どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。
さやうなら。
富田 修 海軍中尉 二十三歳
九月二十五日
一時半、我一生ここに定まる。
お父さんへ、いふことなし。
お母さんへ、御教訓身にしみます。
お母さん、ご安心下さい。
決して僕は卑怯な死に方をしないです。
お母さんの子ですもの。
。。。それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳万歳、かう叫びつつ死んでいつた幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!
かう叫びたい気持で一杯です。
何か言つてください!
一言で充分です。
いかに冷静になつて考えても、いつもいつも浮んでくるのは御両親様の顔です。
父ちゃん! 母ちゃん!
僕はかう何度もよびます。
僕と同じ気持、同じ境遇の戦友も相当にゐることでせう。
現に僕の机の左に一心にペンを動かしてゐる栗山君も同じであります。
一人息子であります。
北海道の人です。
飛行機乗りは必ず死するものであります。
この道を選んできた僕を、一度は反対した父も、二度目は許してくれました。
その時の気持と今の決定を見た時の気持は全く同じであります。
万感胸に迫つて泣いてゐた友もおります。
「お母さん、決して泣かないでください」
修が日本の飛行軍人であつたことについて大きな誇りをもつてください。
勇ましい爆音をたてて先輩が飛んで行きます。
ではまた。
宮崎 勝 海軍少尉 十九歳
イモウト ヤスコチヤン
ヤスコチヤン トツコウタイノニイサンハ シラナイダラウ。
ニイサンモ ヤスコチヤンハ シラナイヨ。
マイニチ クウシユウデ コワイダラウ。
ニイサンガ カタキヲ ウツテヤルカラ。
デカイボカンニ タイアタリスルヨ。
ソノトキハ フミコチヤント ゴウチンゴウチンヲウタツテ ニイサンヲヨロコバセテヨ。
