フランス生まれの数学者であり、近代哲学の祖とされるルネ・デカルトの有名な言葉に『我思う、ゆえに我あり』という命題があります
彼の著作『方法序説』に登場する言葉ですが、哲学の歴史の中で、もっとも有名な言葉では無いでしょうか
デカルトは真理を探究するうえで、まず、すべてのものを疑ってかかりました
真実では無いものをすべて排除して、もっとも正しいものを残し、そこから出発しようとしたのです
まず俎上に登るのが肉体感覚があります
人が目にするもの、耳にする音、手触りや、味覚など、これらはしばし錯覚を起こす事はみなさんもご存知でしょう
よく騙し絵などで、本当とは違って見えるものを体験した事があるはずです
一方が長く、もう片方が短く見えた線も、実際には同じという事があります
下記の図も、真ん中の線の長さは一緒なのですが、人間の目には違って見えるはずです
このように人間の肉体感覚というのは正確ではなく、目に見え、耳に聞こえるものは不確かなものと言えます
さらに数学的正しさと言うのも、一見すると普遍の真理のように思えますが、後になって間違いだと気づくこともありますので、これも除いていきます
そして私たちが真実と思っているもの、正しいと思っているものも、実は悪霊によって騙されてしまっているかもしれないと疑います
この世界に生きていると思っている私たちも、実は悪霊のような存在によって仮想現実で魅せられているのかも知れないということです
するとあらゆることが疑わしくなり、何も信じられなくなってくるはずです
しかし、デカルトは疑惑の海のなかで溺れそうになりながら、ふと気づきます
「このように疑っている時にも、その疑っている自分自身は存在する」ということ
考えている自分は絶対的に確かなものだとする確信が芽生えます
これが有名な『我思う、ゆえに我あり( cogito ergo sum)』に繋がっていくのです
思考する私は実体であって、その本質は考えるという事にあります
つまり私が存在するためにはどんな場所も必要とせず、いかなる物質的な物にも依拠しません
私という魂は、肉体から離れて存在しており、たとえ肉体が滅んだとしても存在していると言っています
このようにデカルトは有名な彼の言葉から、人間の不死性を証明しようとします
人間の本質とは考える自分であって、物質的な物ではありません
だからたとえ肉体が滅んだとしても、考える自分は不死であるという事です
デカルトの訴えたことは真実であって、人間は肉体を離れても存在し続ける魂が本質です
人間の本質とは思考するエネルギーであり、エネルギー保存の法則の通りに、エネルギーは消滅することは無く存続を続けます
デカルトも宇宙において運動の量(quantitas motus)は保たれているとして、エネルギー保存の法則を主張していました
私たちの意識である思考もエネルギーであり、エネルギーは消滅する事は無いのです
エネルギー保存の法則は、エネルギーは消滅したりせず、別な形に変化する事はあっても、その総和は等しい事を示しています
私たちの本質は思考するエネルギーであり、永遠に生きる存在です


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