2018年2月20日火曜日

苦難を乗り越えていくために霊的な観点から


私たちは生きていく中で、様々な苦難に見舞われる存在にみえます


ブラック企業と言われるような、厳しい職場に勤めて、休みもほとんどなく、給料も安いと感じて苦しむこともあります

リストラや会社の倒産などで、働く職場を失い、途方に暮れている人もいるでしょう

病気にかかってしまい病院に入院し、冷たいベッドのなかで、天井をじっと眺めている

お金に困っていて、電気やガスも止められそうで、明日食べるお金もないという貧困による苦しみを感じる人もいます

こうした苦難の原因には、私たちが肉体に宿って、この世へと降り立った事があります

病気にかかるのも、物質である肉体が痛むことから起こり、本来の魂の世界にはありません

働いて行かなくてはならないというのも、肉体を維持するために必要であり、毎日食事をして、屋根付きの家に住み、衣服を必要とするのも、肉体に起因する要求からです

物質である肉体に起因して、私たちは様々な苦難や困難に立たされていきます

私たちの本質というのは、本来は肉体ではなく、その内に宿る魂という霊的エネルギー体にあります

魂は自由自在であり、衣食住の心配も無く、生き通しの生命です

私たちの本質である魂が、一時期地上の肉体に宿ることによって、ざまざまな苦難に出会うわけです

そうした肉体に宿って生じた苦難を重く感じる理由は、肉体感覚に捕らわれて、本来の霊的感覚を失ていることによります

「肉体こそが自分であり、自己とは肉体から生じる意識だ」という錯覚によるのではないでしょうか

そうした肉体感覚に捕らわれているために、この世的な苦難に深く飲み込まれてしまうという事があります

お釈迦様の教えの、この世は移ろい行くものであり、肉体も仮のものであるから、執着をはなれよというのも、私たちが、肉体我に捕らわれることによて苦しみが生じるという考えでしょう

こうした肉体感覚によって生じる苦難を乗り越えていくためには、肉体は私たちがこの世を味わうための仮の乗り物であることを自覚し、霊的な自覚を高めていくことにあるのではないでしょうか

物質である肉体というものは、あくまでも霊の宿る器であり、乗り物にのって遊園地のアトラクションを楽しむように、この世という物質世界を、味わい感じるための仮の乗り物であります

遊園地でジェットコースターに乗ってスリルを味わうように、私たちは肉体に乗って、この世の感覚を味わいます

肉体に宿ることによて、自由自在さを制限し、定められたルールに従って生きるため、苦難と思える感覚が生じてくるのです

それらを超えていくためには、私たちは本来、肉体に宿った光であり、自由自在な魂が本質であると自覚していくことにあります

物質に対する霊的な自覚を高めることによって、苦難を乗り越えていけます

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