
冬の冷たい風が吹くたびに、私はある光景をそっと心に思い浮かべます。
それは、雪に覆われたヒマラヤの山稜を、小さな足で必死に越えていく、チベットの子供たちの姿です。
大人でさえ命を落とすことのある厳しい山岳路を、子供がたったひとりで越えていく――。
そして、もし国境警備の兵士に見つかれば、たとえ子供であっても容赦なく撃たれてしまうことがあると伝えられています。
なぜ彼らは、それでも山を越えるのでしょうか。
なぜ、そのニュースは、私たちの国ではほとんど語られないのでしょうか。
「知らないふり」もまた、ひとつの選択である
私たちは普段、ニュースで流れない出来事を「存在しないこと」として扱いがちです。
しかし、それは本当に「知らない」のでしょうか。
本当はどこかで聞いたことがあるけれど、見ないことにしている――そんな出来事が、世界にはたくさんあります。
チベットの子供たちの亡命の物語も、そのひとつです。
「自分の国だけが平和ならいい」
「経済的に得をするなら、その相手が裏で何をしていても、知らない顔をしておこう」
もしも、そんな小さな声が私たちの中にあるとしたら――。
それは、霊的な視点から見ると、決して中立ではないかもしれません。
相手が誰かを傷つけていることをうすうす知りながら、黙ってお付き合いを続けることは、悲しみを生んでいる流れに、ほんの少しだけ手を貸してしまうことにもなりうるからです。
本当の優しさは「指摘する勇気」も含んでいる
よく、「相手を否定せず、ただ受け入れることが愛だ」と言われます。
それはとても大切なことです。
しかし、もし相手が自分自身や他者を傷つけ続けているとしたら――。
ただ黙ってそれを見守ることだけが、本当の愛と言えるでしょうか。
誤りを誤りとして優しく指摘し、まっとうな道に戻ってほしいと願うこと。
そこには、相手の魂を信じる強い愛情があります。
私が時に中国政府の在り方について意見を述べるのも、決して中国の人々を憎んでいるからではありません。
一国の政府が、自国民や少数民族の方々の人権を本来あるべきかたちで守ってくれることを、心から願うがゆえの言葉です。
中国という国にも、長い歴史と、深い文化と、誇り高い人々の魂があります。
その魂たちが、本来の輝きを取り戻していけるように――。
私たちのできる祈りは、決して敵対心ではなく、深い信頼と慈愛から生まれるものでありたいと思います。
子供たちの絵が語りかけてくる、静かな祈り










上に掲載した絵は、「チベット本土からインドへ亡命した子供たちの絵」という、無料配布の絵本から許可を得て掲載させていただいたものです。
絵本には、ヒマラヤ越えで身近な人を失った子供、家族と引き離された子供、自分の国の文化を学べないことを悲しむ子供たちが、それぞれの言葉と色で語った物語が収められています。
驚くべきことに、これほどの経験をした子供たちのなかには、こうつづった子もいました。
「いつかは、中国の人たちとも仲良く暮らしたい」
身を削られるような体験を経てなお、相手を憎みきらない――。
その小さな祈りに、私は何度も頭が下がる思いがしました。
本当の意味での「赦し」とは、何も見なかったことにすることではありません。
痛みをきちんと見つめたうえで、それでもなお相手を魂のきょうだいとして見ようとする、強い愛のことです。
チベットの子供たちは、その「強い愛」を、私たち大人にそっと教えてくれているように思えてなりません。
遠い国の出来事を「魂の隣人」として見るということ
私たちは日々の暮らしのなかで、自分の家族、自分の街、自分の国のことで精一杯です。
それを責めることはできません。
しかし、ふと立ち止まって、世界地図を心の中で広げてみる時間があってもよいのではないでしょうか。
ヒマラヤを越えていく子供たちも、霊的に見れば、私たちと同じ「ひとつの大きな魂の家族」のメンバーです。
物理的に隣に住んでいなくても、想いの世界では、私たちは確かに繋がっています。
ですから、彼らの存在を「知っておくこと」、心の片隅に置いておくこと――それだけでも、見えない世界では大きな祈りになります。
今日からできる、小さな祈りのかたち
では、私たちが今日からできることは何でしょうか。
チベットの子供たちのために、何か大それた行動を起こす必要はありません。
一日のうちのほんの一瞬、こう心の中でつぶやいてみてください。
「世界中の、自由と尊厳を奪われている子供たちの心が、安らかでありますように」
「彼らを傷つけている人々の魂もまた、いつか本来の優しさに戻れますように」
そして、もし機会があるなら、信頼できる人権団体の活動を知ること、彼らが伝えようとしている事実に少しだけ耳を傾けること――それも立派な「小さな行動」になります。
私たち一人ひとりの祈りは、目に見えなくても、確かに世界の集合意識に届いています。
まとめ|沈黙が加担にならないように
私はこの記事を、誰かを糾弾するために書いたのではありません。
ただ、寒い夜にふとヒマラヤを越えていく子供たちを思い出すたびに、「自分にできることは何だろう」と自問してきました。
その答えは、いつもとてもシンプルです。
「彼らの存在を、忘れないこと」
「彼らを傷つけているものに対して、自分のなかで沈黙の同意を与えないこと」
「そして、すべての魂が本来の輝きを取り戻すことを、静かに祈ること」
それだけでも、私たちは確かに「知らないふり」をやめ、世界の流れに小さな光を加える側に立つことができます。
どうか今日も、遠い山脈を越えていく小さな足を、心の片隅で抱きしめてみてください。
その温かな思いが、巡り巡って、いつかチベットにも、中国にも、そして私たち自身の心にも、静かな平和をもたらしていくはずです。
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