私たち人間は何を求めて日々活動し、生きているのでしょうか?
それは幸福を求めているのだと言えます
幸福とは何かの手段のために求められるものではなく、幸福それ自体が人間の求める目的なのです
こうした立場を難しい言葉で幸福主義=エウダイモニアと言います
エウダイモニアというのはギリシャ語で幸福を意味し、古代のギリシャ哲学者のアリストテレスは『ニコマコス倫理学』という彼の講義や草案をまとめた書籍のなかでエウダイモニアを最高善と位置付けました
(参考のために本を紹介していますが、難しい内容の本でもあるので、特に読まれることをお勧めしているわけではありません)
これだけだと難しいので、もうすこしアリストテレスの考えを紹介してみましょう
アリストテレスは幸福を求める人間の活動を、三つの種類に分けて考えました
一つ目は享楽的生活です
これは快楽を求める生活であり、たとえば美味しい食べ物の日々たくさん食べれるのが幸せであるとする生活態度です
他には異性とたくさん付き合う事が幸せと感じたり、大きな家に住むことが幸せ、豪華なドレスをたくさん持つことが幸せ、ブランド物のバッグを買い漁るのが幸せと感じるなど、一時的な快楽を求めるような生き方です
快楽というのは肉体の基づく本能から来ているものであり、欲を満たすことで得られる喜びの事を言います
ちなみに仏教ではそれらの欲を煩悩と言い、災いの種であり、執着を手放すことで苦から解放されると説きます
アリストテレスは、享楽的生活は快楽を求めるのですが、それは動物などの家畜と変わらない生き方であるとしています
次にアリストテレスがあげるのが政治的生活です
政治的生活というのは、外部に自分の成果を上げる事を目的とした生き方と言えるでしょう
たとえば仕事で良い成績を出して表彰されたり、出世する事を目的としている人もいるでしょう
他には、研究の成果が認められて世間に知れ渡る事を目的とする人もいます
あるいはスポーツや音楽活動、政治活動、芸能活動などで、よい成果を出して人々から褒められたり、称賛されることを求める生き方があります
こうした政治的生活は、名誉を求める事が最高の目的となります
ですがアリストテレスは名誉はそれを得る本人よりも、それを与える人に依存するものであると厳しく指摘します
つまり周囲からの称賛や名誉を与えられるというのも、結局は周りの人によって喜びか悲しみかなどを依存しているものであって、それは他人の目に振り回されれる生き方だというのです
このように他人に寄るような態度は最高のものではないと言います
さらに、政治的生活というのは、それ自体が求められるものではなく、目的を達する事で得られる名誉などを目的としてしてしまっている点も、最高のものではないと説きます
では、アリストテレスが最高の善として考える生活とは何でしょうか?
それは観照的生活であると述べています
アリストテレスは観照的生活が魂のうちの理性の活動であり、純粋に観照的生活をすることが幸福であると考えます
観照的生活は、それ自体が充足する活動であり、他人からの評価などは関係のないものです
自分の中に深く潜っていき、真理を発見するときに喜びは、それ自体として満たされるものです
ですが究極的な観照生活は人間にはおくれず、それは神のものだとアリストテレスは言います
神の生活というのは、永遠に神自らが作り出した世界を観照し思考するもので、純粋な自己観照の生活である、と述べています
人間にはそれはかないませんから、究極の観照生活は人間には無理だとわざわざ断っています
では人間として可能な幸福生活とは何でしょうか?
それは
・知慮(プロネーシス)
・倫理的性状(エートス)
・情念(パトス)
この三つの相互条件付けから成る複合的な卓越性(アレテー)を挙げているわけですが、これだとよく意味が分かりませんね
ようは知慮とエートスとパトスをもって、真理と学問に打ち込むような生活が最高の善であり、幸福なのだと説いてます
つまりアリストテレスは「自分のように真理を探究する哲学者になれ」と説いているわけですね
今回はギリシャの哲学者アリストテレスを挙げて幸福について書いてみましたが、参考になるところもあるでしょう
幸福な生活についてはまた何れ違った角度からも考えてみたいと思います

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