昨日は自己否定の思いについて書きました「自己否定な思考が悪い事を引き寄せる」
過去の失敗などから自信が無くなって自己否定的な考えに陥りやすくなったり、失敗を心に刻みやすい内向的な性格の方がなっていく傾向があるという話をしました
こうした否定的な考えを持つ人には、実際に劣っているのではなく、優秀な魂の持ち主にもいます
精神的な目覚めの高い方ですとか、霊的に優秀な方ほど、この世的に視ると、周りと違っていて、劣っているように見えることもあります
この世の世界では物質的な価値観が強く、自我の働きの強い人の方が優秀なように見えることがあります
たとえば自分が得になることを抜け目なくする人間が優秀に見えて、自分の事はあまり考えず、人様を優先するような人間は頭が弱いかのような見方をされることがあります
そうしたこの世的な価値観の強い人が周りに多いと、魂的に優れた人ほど、「自分は周囲と違っていて、劣っているのではないか?ダメな人間ではないか?」と思ってしまう事があります
たとえば聖人とされる聖フランチェスコと言われる人物も、もとは裕福な家の息子だったのですが、あるときからすべてを投げ捨て、裸になってイエスに従う人生を送り出します
それを見て周りの人は侮蔑し笑いものにしたと言います
周囲は金持ちの息子が頭がおかしくなったのだろうと見ていたと思いますが、彼は偉大な聖人であったわけです
このように優秀な魂を持つ者ほど、周囲の考えと違ったものをもっているため、はじめは自分が劣ったものではないかとか、自己否定的な考えを持つことがあります
そしてもう一つ上げるとするならば、優秀な魂の者には、過去世などで自身をなげうって人助けをした経験から、自分が不幸になっても周りを助けたいという思いを持っていたりします
また自分を罰したいような感情を持っていることもあります
イエスが十字架で磔にかかり死んでいったように、自分も命を捧げて潰えたいという思いを持っている人もいます
先に紹介しました聖フランチェスコもイエス様を慕い、やがてはイエスが磔になった時に十字架に釘を手に打たれた傷がフランチェスコにも表れるようになったそうです
これは聖痕と呼ばれ、後には聖人の証のように言われるようになります
聖フランチェスコさまにしても、イエス様のような苦しみを受けたいという思いを持たれていたのでしょう
そのように優れた魂であっても、自分を罰したり、苦しみを引き受けるような思いを持つことがあります
潜在意識で苦難を求めていると、やはり苦しい出来事を引き寄せてしまうことがあるでしょう
これは優秀な魂であっても、自ら求めてしまっている場合には、それが現実のものとなってしまいます
(イエス様や聖フランチェスコさまなどは、特別な使命があってそうした人生を生きられている面があると思います)
自身の中に自己否定的な思いや、自己処罰的な思いが無いかを点検し、それらを見つけて手放していくことが必要です
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