大きな災害が起きるたびに、「神様はこのことをどうご覧になっているのでしょうか」と尋ねてくる方がいます。
熊本の地をはじめ、各地で痛ましい出来事が続いたときも、同じ問いをいくつも受け取りました。今日はその神意というものについて、あらためて私の感じていることをお話ししたいと思います。
神を見失いかけている時代に生きる
いまの日本には、目に見えない世界をどう扱うかをめぐって、大きな揺らぎがあるように感じます。
そのひとつが、唯物論や無神論と呼ばれる考え方です。死んでしまえば何も残らない、実在するのは物だけで、霊や魂などはない。神もあの世も存在しない。そう考える人が、少しずつ増えてきました。
物を大切にし、現実を見つめることは、もちろん尊いことです。けれど物だけがすべてだと思い込んでしまうと、私たちは祖先が大切にしてきた、もっと大きなつながりを見失ってしまいます。
日本の神々が願っておられること
では、日本の神々は、私たちにどう生きてほしいと願っておられるのでしょう。
私が感じるのは、とてもあたたかく、そして素朴な願いです。人々が神とともに歩み、古くからこの国に受け継がれてきた文化を、誇りをもって生きていってほしい。神々はそう願っておられるように思います。
自分たちの来し方をいたずらに卑下したり、見えない世界を頭から否定したりする心は、神々の目には、澄んだ水を濁らせる穢れのように映ります。けれどそれは罰のためではなく、もう一度澄んだ流れを取り戻してほしいという、慈しみの呼びかけなのだと感じます。
御心は、いつもそっと差し出されている
こうした神々の御心を伝えようとしている人は、じつは少なくありません。
ただ、その声に耳を傾ける人は多くなく、反対の方向ばかりを見つめてしまう人のほうが目立つのが、いまの世の中なのかもしれません。それでも神々は、決して見放したりはしません。気づいてくれるのを、辛抱強く待っていてくださいます。
今日からできること
神意を難しく考える必要はありません。
朝、目が覚めたら、生かされていることに小さく感謝してみる。災いに見舞われた方々の安らぎを、心の中で祈ってみる。近くの神社で手を合わせ、この国を見守ってきた存在に「ありがとう」と伝えてみる。その一つひとつが、神々の御心に寄り添う、確かな一歩になります。
見えないものへの感謝を思い出したとき、私たちの心はやわらぎ、まわりの人にもそのあたたかさが伝わっていきます。神々の御心とは、けっして遠いものではなく、いつも私たちのすぐそばで、静かに差し出されているのだと思います。
日本の神々とともに生きる知恵をめぐる話は、古代文明・神話・日本の霊的起源 完全ガイドの中でさらにたどれます。
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