5月25日に行われた日本エネルギー経済研究所のウェビナーで、ひとつの発言が思いがけない重みで伝わってきました。
丸紅の社長と会長を歴任し、いまはエネルギー政策の研究にたずさわっている国分文也氏が、中東から調達していた1500万キロリットルのナフサを代替で確保するのは「不可能」だと言い切ったのです。
早ければ6月末、遅くとも8月の終わりから9月ごろには、ナフサに由来する化学製品の不足が表に出てくる恐れがある、と続けました。
政府は同じ時期、ナフサ由来の製品は年を越えて供給を続けられると説明しています。高市首相も21日の関係閣僚会議で同じ趣旨を繰り返しました。
国分氏は、この日本全体としての足りているという説明を、はっきり否定したわけではありません。
それでも、見ている地点はまったく違う場所でした。
問題の本当の姿は流通の目詰まりではなく、莫大な供給ソースが消えていることだ。氏は、淡々とそう述べたと伝えられています。
「不可能」という言葉の重み
長く商社のエネルギー部門を歩いてきた人が、不可能という言葉を公の場で使うのは、それほど多いことではありません。
1500万キロリットルという量は、日本がこれまで中東から年間に手当てしてきたナフサの規模そのものです。
地球を回るタンカーの数、契約の網、精裵のスケジュール、そのすべてが組み合わさって、はじめて毎月のように港へ届きました。
中東以外でこの量を吸収できる供給源は、世界に多くはありません。
国分氏が指摘したのは、代替先として注目される米国産ナフサについても、何百万キロリットルもの量を継続的に輸入するのは現実的ではないということでした。
一時的に数倍に増えたという統計の派手さの裏で、絶対量はまだ細い。
これは、私が以前の記事「ナフサ輸入4割減 政府が語らない石油不足の正体」で触れた、米国からの輸入が前年比206%に増えても、もとが小さすぎて中東分の穴を埋めきれていない、という現実とそのまま重なります。
不可能という言葉は、根拠のない悲観から出たものではないはずです。
商社の現場で、契約の延長と新規開拓を繰り返してきた人だからこそ、世界の供給網の中にもう残っていないものを、残っていないと言える。
その重みを、まず受け取りたいと思います。
政府の説明と現場の証言、ふたたび広がる距離
5月以降、政府の説明は同じ言葉の繰り返しになっています。
ナフサは日本全体として必要な量を確保している。中東以外からの調達を拡大しており、年を越えて供給を続けられる。
経済産業省も首相官邸も、機会があるたびに同じ趣旨を述べています。
一方で現場の声は、まったく違う風景を伝えてきました。
食品ラップや包装紙の値上げ、住宅設備メーカーによるユニットバスの受注停止と再開後の納期未定、断熱材の40%値上げ。
スーパーマーケットの棚からは無料の薄手のポリ袋が消え、医療現場では透析患者用の医療器材が綱渡りの調達になっていると報じられました。
記事「品不足の真実|2026年夏に始まる日本の試練」でも、こうした初期の歪みが家庭の暮らしに染み出してくる過程をたどっています。
足りているという説明と、足りていない現場。
この距離を埋めるために政府がよく持ち出すのが、目詰まりという言葉でした。
総量はある、ただ流通の段階で偏りが起きているだけだ、というかたちで説明が組み立てられてきました。
国分氏の発言は、その説明の根に刃を当てるものでした。
総量があると言うが、その総量を支える供給源は、もうそこにはない。だから目詰まりの問題ではなく、供給そのものの崩落なのだ、と。
なぜ政府は「足りている」と繰り返すのか
ここから先は、私の見方になります。
おそらく政府は、嘘をついているわけではないのだと思います。
契約のうえで、年内、来年と続く調達のめどは確かに立っているのでしょう。代替ルートも増えています。
机の上の数字としては、必要な量は埋まる計算になっているのだと想像します。
それでも、暮らしの感覚としての足りているとは、ずいぶん違うものです。
ここで足りているという言葉が選ばれるのには、もうひとつの理由があるように思えてなりません。国民がパニックを起こすことを、避けたいのです。
仮に政府が、6月末から化学製品の不足が出てくる可能性があると、国分氏と同じ語り口で発信したとします。
スーパーの棚から消える前にラップを買おう、容器入りの食品を確保しようとする動きが、その日のうちに広がるでしょう。
住宅資材も、医療材料も、本当に必要としている人より先に、不安に駆られた買い占めへ向かいます。市場はあっという間に荒れます。
だからこそ政府は、危機が現実になるその直前まで、足りているという主旋律を崩さない選択をしているのだと思います。
買い占めを抑え、配分を整え、代替の調達を一段でも進めるための時間稼ぎ。そこには、一理あるのでしょう。
ただ、その合理性が国民を守る方向だけに働くとは限りません。
足りているという言葉を真に受けて、何の備えもしないまま夏を迎えた家庭は、本当に棚が空になった日に、もっとも厳しい場所に立たされます。
記事「ナフサは来年まで確保、それでも安心できない理由」で書いたように、契約と実物の到着のあいだには、すでに大きな隙間が空いています。
国分氏の発言は、その隙間をつくっている供給源そのものの不在を、立場のある人が公に言葉にした最初の機会だと、私は受け止めています。
備えとは、買い占めることではない
ここで気をつけたいのは、備えの方向です。
足りなくなるかもしれないと聞くと、人はすぐ棚に走ります。
ラップを箱単位で買い込み、ポリ袋をまとめ買いし、洗剤を段ボールごと積み上げる。
ニュースが追いつく頃には、本当に必要としている人の手に物が届かなくなります。
買い占めは、不足を早回しでつくり出します。
国分氏が指摘した供給源の不在は、買い溜めで解決する種類のものではありません。
一軒の家がラップを半年分抱え込んでも、別のどこかでラップが半年分減るだけです。社会全体としては、何ひとつ楽になりません。
向き合うべきは、買い足す側ではなく、使う側の暮らしのほうだと感じています。
いまから減らして暮らすという備え
私が提案したいのは、6月末を待たずに、いまから少しずつ消費を減らして暮らす方向です。
ラップを使わずに済む保存方法を試してみる。お皿に蓋をする、ガラスの容器に入れ替える、布巾でくるむ。
一日のラップ使用量を半分にできれば、それだけで家庭から出る石油由来ごみが減ります。
ポリ袋も同じです。買い物の都度もらうのをやめ、布袋を持ち歩く。
家庭菜園をしていれば、生ごみをコンポストにしてゴミを肥料資源に変えられます。
ペットボトル飲料を、水筒とお茶パックに切り替える。
家庭用洗剤を、固形石けんや重更・クエン酸のような粉物に少しずつ寄せていく。
完全に置き換えなくていいんです。一日のうち、ナフサ起点のものに触れる回数を少しずつ減らしていく。それが暮らしの体力になります。
過去記事「物資不足が日常を止める前に、いま始める自給の暮らし」や「ホルムズ海峡封鎖が告げる不便な時代への回帰」では、消費を減らしながら手元のものを丁寧に使い切る暮らしへの戻し方を、もう少し詳しく書いてきました。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。
自分の備えが、周りの誰かの備えになる
消費を減らすことの良さは、自分の家の安全だけにとどまりません。
あなたが今日ラップを半分しか使わなければ、その半分は、必要としている誰かの棚に残ります。
あなたが洗剤の無駄遣いをやめれば、明日その商品を探しに来た人が、空の棚を前にしなくて済みます。
買い占めは個人を守る行為に見えて、実は社会全体の不安を加速させます。
一方で、消費を減らす暮らしは、何ひとつ騒がず、誰かを押しのけることもなく、棚に余白を残します。
あなたが棚に残した余白は、本当に困っている家庭にとっての一日になります。
家計にも効きます。買い占めはお金が一度に出ていきますが、減らす暮らしはお金が出ていきません。
今あるもので回せる工夫を増やしていけば、自然と支出も小さくなっていきます。
ナフサ不足が深刻さを増していく今は、暮らしを軽くする好機でもあると思っています。
これまで何となく使い続けてきたものを、ひとつずつ手放してみる。手放した先に、思ったより不自由のない暮らしが現れます。
政府が足りていると言うあいだに、棚は表向き整ったままで時間が過ぎていきます。
その整い方がいつ崩れ始めるのか、それは私たちには分かりません。それでも、ひとりひとりが消費を一段下げて夏に入っていけば、崩れ方そのものが変わります。
棚に向かって走るのではなく、自分の暮らしの方を一段ゆるめる。
私はそちらの備えを選びたいと思います。
※注、もちろん、日ごろからの備えもお伝えしているように、ローリングストックなどを常日頃から心がけるのは良いことです。
このブログでお伝えしているのは、魂の旅路への入口となる話です。
もっと深く学びたい方、満月の一斉ワークに加わりたい方は、スピリチュアルスクールでほぼ毎日メッセージをお届けしています。
ブログには書けない霊的な実践も、ここでお話ししています。
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